毒沢渡舟場跡

 山形県の7割以上を流域にする最上川。山形県は最上川によって育まれてきたと言って差し支えない。
 かつて渡し舟は川縁の庶民の足として多く利用されてきたが、架橋や陸上交通網の整備に伴い衰退し、2000年には大蔵村の稲沢、翌年には大石田町に残っていた渡し舟も廃止され、最上川から完全に姿を消した。
 尾花沢市と舟形町の境にある毒沢渡舟場跡はそうした歴史を偲ばせる記念の場所である。


渡舟場

最上川の渡舟場

 この光景からは及びも付かないが、かつては多くの水難事故があったらしい。大正時代には花嫁を載せた船が転覆し、花嫁含む多くの死者を出した「むかさり水難」という痛ましい事故も起きた。


猿羽根大橋

下から見る猿羽根大橋 猿羽根大橋

 1973年竣工。渡舟場はこのたもとにある。毒沢在住の中学生の新聞投書がきっかけとなり、県知事までをも動かし、ついに掛けられたという経緯がある。毒沢は三方を最上川に囲まれており、近くの集落へ行くにも舟が必要で、住民に負担を強いるものだったらしい。下の方には舟も見えるが、渡しには多くこういう舟が使われていたのだろう。


川原子地蔵堂

川原子地蔵堂

 渡舟場から少し離れた高台、杉林の中にある地蔵堂。水死者の供養と舟運の安全のために建立された。国道13号線沿いに目立たないようにして建っている。別名河童地蔵。水難を河童の仕業と考えたらしい。


渡舟の碑

大橋と渡舟の碑

渡舟と大橋に込められた想いが素朴なことばで綴られている。

こゝが毒沢の渡し場です

毒沢の人々の生活は渡舟とともにありました

春夏秋冬−

喜びも悲しみも−

渡舟と共にありました

星霜凡そ三百年

いま苦難の歴史を終ろうとしています

夢にまで見た橋−

猿羽根大橋の竣工に当り

こゝに昔を偲び

幾多殉難者の霊と

村びとの弥栄を祈りつつ

記念の碑を建立します

昭和四十八年九月六日
尾花沢市長 奥山英悦

(2000年8月/05年6月取材・03年1月記・05年7月追記)


案内

交通:猿羽根大橋東岸たもと。国道13号線と県道187号線の交差点を西に曲がってすぐ。JR奥羽本線舟形駅から車で約3分。

特記事項:舟下りは今もやっているか不明。要予約で大石田町から出発していた。冬場は近所の雪捨て場になってるようで近づけない。夏場でも草に埋もれて、渡舟の碑に近づけないことがある。

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