山形北部の最上地方と宮城県を結ぶ道でも、中山越こと堺田は、松尾芭蕉一行が通ったことで特に知られている。ところがその一つ北にある花立峠、最上町の向町(むかいまち)と宮城県鳴子町鬼首(おにこうべ)を結ぶ道のことは、それほど知られていないのである。
バイパスの新道もできているが、今回は旧道をご案内。国道47号線から伸びる路地のような脇道が県道への入り口。直前の標識には県道の表示がないので、注意しないと見落としやすい。写真には写っていないが、交差点の真ん前にセブンイレブンがあるので目印にしよう。
ちなみに新道入り口はちょうどこの路地の反対側。
路地に入って100メートルほどのところで、ヘアピンカーブの踏切で陸羽東線を渡る。
180度のターンを決めてまた100メートルほど走ると、最上駅の前に出る。昔は羽前向町駅と呼ばれていたのだが、1999年に最上駅と名前を改めた。公民館併設の珍しい駅舎で、全国でもここにしか例がないとか。
向町は最上町の中心部。駅前にはささやかな商店街がある。
駅前を直進し、最初の交差点を右折する。距離にして100メートル足らず。
直進したくなるが、県道は生花店脇の路地に入り込む。見落としやすいので要注意!
住宅街の路地をひたすら直進。
路地を進むと新道と合流する。花立峠に行くならここを左折しよう。
新道に出た途端に道が広くなるが、長くは続かない。
標識に従って直進道路を逸れる。新庄北高向町分校が目印。
分校前には「右 鬼首」と刻まれた碑があり、ここが古くからの追分であることを示している。隣にあるのは青面金剛の碑。庚申講と関係があるようだ。
追分を過ぎると急に鄙びてくる。目の前にどっしりと据わるのは禿岳(かむろだけ)。花立峠は禿岳の南で奥羽山脈を越えている。
黒沢集落にある神社と石碑。ちょうど集落の入り口と出口にあたる場所にある。
人だけではなく、馬も峠を越えた。最上町は古くは馬産地で、南部地方(現在の青森県八戸一帯と岩手県)から買い入れた馬を繁殖させ、軍馬や農耕馬として使役していた。南部からの馬の通り道となったのが花立峠で、現在の前森高原が牧場となっていた。峠を越えてきた馬は黒沢で当地に引き渡され、馬市にかけられた。
神社と馬頭観音は馬の守り神「大伝馬様」として、馬産に携わる当地の人々の崇敬を集めた。馬産で栄えた歴史がここに眠っている。
判屋橋という小さな橋で小川(黒沢川)を越える。両車線が別々の橋になっているのが特徴。橋の向こうに見えるのは判屋の集落。
ついでに橋の直前、左側はちょっとした空き地になっていて、一見絶好の路肩停車ポイントなのだが、乗り入れようとすると、草に隠れた側溝にはまってえらいことになる(実際えらい目に遭いました)。
峠下最後の集落。県道の両脇に農家が並ぶ。ここを過ぎれば峠を下りるまで民家はない。
判屋を出ると間もなく、道幅がいきなり狭くなる。ここから先は大型車両通行禁止。というか大型車は通れるのか?
冬季通行止め区間に到着。おなじみ通行止めゲートをくぐれば峠道の始まりだ。