県道13号・主要地方道上山七ヶ宿線

 県道13号線は金山峠(かなやまとうげ)を越え、上山市中心部と宮城県の七ヶ宿町(しちかしゅくまち)を結ぶ越県県道である。かつての主要道羽州街道筋にあたり、江戸時代には旅人をはじめ、参勤交代の大名たちが往来し、宿場町も発達していた。
 こうした歴史的・文化的価値を踏まえて、県道は国の歴史国道にも指定されている。沿線にある楢下(ならげ)の集落はもちろん、随所に残る石碑、金山峠が当時の空気を今に伝える。


起点・ショッピングプラザカミン

起点・ショッピングプラザカミン

 県道は上山市中心部の商店街から延びている。目印となる「カミン」はスーパーマーケット、銀行、図書館、公民館などが一体になった複合施設。衰退が進む中央商店街で貴重な存在。


路地

上山市内の住宅地

 商店街を抜け、いくつかの交差点を曲がると、やがて住宅街に出る。市街地を通る県道は、街中では複雑に折れ曲がっていることが多い。


立体交差と歴史国道

国道13号線立体交差 歴史国道の看板

 上に見える高架橋は国道13号線。国道をくぐると歴史国道の看板がお出迎え。ここから先が歴史国道となる。県道は旧街道筋。沿線の集落ではそれを利用した地域興しが盛んである。


皆沢

皆沢の集落

 よく整備された道路が続く。このあたりは皆沢という集落で、果樹園が多い。


こんにゃく番所

楢下・丹野こんにゃくのこんにゃく番所

 楢下にだいぶ近づいた頃、左手にこんにゃく番所が現れる。地元のこんにゃく屋が経営する県道随一の観光名所で、いつも県内外の観光客でごった返している。峠の行き帰りの腹ごしらえにもおすすめ。
 中では山形名物玉こんからこんにゃく懐石まで様々なこんにゃく料理が味わえるのはもちろん、刺身、佃煮、玉こんセット、ゼリーといった様々なこんにゃくみやげも売っている。山形は消費量全国第1位を誇るこんにゃく大好き県だ。


旧武田家と庄内屋

旧武田家
旧武田家

 近年バイパスが開通したが、今回は楢下集落を経由する旧道をご案内。
 楢下宿は本格的な本陣を備えた宿場町で、往時は奥羽地方の大名行列や、出羽三山への参詣客で賑わった。

庄内屋 庄内屋の囲炉裏
庄内屋とその中の様子

 旧武田家と庄内屋はその楢下に残る旅籠跡。旧武田家は主に平民が利用した。庄内屋は大名も利用した脇本陣で、庄内藩主の定宿だったためこの名がある。他にも楢下には滝沢屋や大黒屋といった古い旅籠が残る。


覗橋と新橋

覗橋 新橋
覗橋(左)と新橋(右)

 楢下を貫流する金山川には、覗橋と新橋という石造りの古橋が二つ架かっている。上流側に架かるのが新橋で、下流側に架かるのが覗橋だ。明治初期、山形県初代県令三島通庸(みしまみちつね)によって造られた。三島通庸は山形県内の主要道路や橋、トンネル整備を積極的に進めたため、「土木県令」「鬼県令」の異名をとっている。橋脚のない西洋式のアーチ橋なので、竣工当時、地元の人々は怖がってなかなか渡ろうとしなかったという笑い話が残る。
 楢下は金山川を境に、右岸(東側)の下町と左岸(西側)の新町に分かれており、互いに行き来するためにはこの橋を渡ることになる。県道は下町を逸れて新町の方を通っているため、下町には古い建物が多く残ることになったそうな。


滝沢屋

滝沢屋

 楢下のはずれにさしかかると、もう一つ古い旅籠が建っているのが見えてくる。これが先ほど述べた滝沢屋だ。当初は下町にあったのだが、新築建て替えにともない移築したので、現在は県道沿いにある。庄内屋などと並ぶ脇本陣で、主に武士らに利用されていた。建てられた年代は不明だが、様式や史料などから宝暦年間(1751年〜1765年)頃のものと推定されている。

 宿場町楢下のはじまりは、江戸時代目前の慶長7年(1602年)にさかのぼる。街道の整備を積極的に進めたのは地元羽前の大名ではなく、羽後国久保田(秋田)の佐竹氏だった。
 当時、出羽と江戸の往来には、もっぱら笹谷街道と奥州街道が使われていた。しかし標高906mの笹谷峠は容易に越せる道ではない。そこでこれに代わる道として注目されたのが、金山峠だった。
 佐竹氏は江戸時代初期から盛んに金山峠を利用している。元和8年(1622年)には、時の当主佐竹義宣公が重臣梅津政景に峠筋の測量を命じ、桑折宿から山形までの距離を調べさせた。それから程ない寛永元年(1624年)には、さっそく金山峠を通って江戸から秋田に向かっている。佐竹氏は久保田から江戸まで長距離を移動する必要があったから、少しでも負担を減らすべく、沿線の整備に熱心になったのだろう。
 寛永12年(1635年)に参勤交代制度が確立すると、各大名はたびたび江戸と領地の往復を義務づけられたが、この頃はまだ金山峠と笹谷峠が併用されていた。当時の金山峠はまだ十分に整備されておらず、馬どうしがすれ違えないほど細い「からめき道」だったと伝わる。それも明暦2年(1656年)の改修によって解決し、羽州街道金山峠は本格的な参勤交代路として、出羽の諸侯が利用するようになっていった。参勤交代でこの峠を通った大名は、全部で十三藩に及ぶ。

 大名行列や三山詣での行者らが多く行き交うだけに、楢下の村人は言葉遣いや礼儀作法は特にうるさくしつけられたそうだ。山間の集落であるにもかかわらず、村人の話し言葉は非常にきれいなものだったという。宿場町は人が通らなくなったらおしまいである。そこで多くの人に通ってもらえるように、様々な努力をしたのだろう。享保16年(1731年)、地震によって金山峠が通行不能になった際、沿線の村人はさっそく新道を付け替えたばかりか、各大名に金山峠を通るよう嘆願している。その甲斐あってか、3年後の享保19年(1734年)には、再び参勤交代の道として復旧を果たしている。


赤山鉱山跡

赤山鉱山跡

 峠区間入り口にさしかかると、斜面が赤く禿げた山が見えてくる。これはかつての赤山鉱山の跡である。
 鉱山は明治後期から昭和30年代にかけ、山形中堅の銅山として操業されていたが、主要鉱床の採掘終了にともない規模を縮小し、昭和42年(1967年)まで沈殿銅の採取と小規模な産出を続けていた。それも昭和47年(1972年)8月に放棄され、廃山となって現在に至る。
 金山峠には他にももうひとつ、金山鉱山なる金山があって、これが峠名の由来となっている。鉱山そのものは昭和45年(1970年)に放棄されているが、徳川家光の頃、日光東照宮造営にあたって仙台藩がここで産出された金塊を献納したという伝説が残っている。


峠入り口

金山峠口

 さらに県道を進む。ここが金山峠の入り口。右の方の立派な道でなく、ゲート付きの細い方が県道だ。

金山集落

 ちなみに右の方の立派な道を進むと、金山の集落に行ける。峠には江戸時代の古道も残っており、歴史の道として整備されているのだが、そちらへはここから登っていく。

行き止まり付近の切り通し

 さらに立派な道を進むと行き止まりになる。行き止まり付近はやけに立派な切り通しになっている。どうやらここに現在の県道に代わる新しい道を通すつもりのようだが、最近工事が進められた気配はなかった。


山また山

峠道その1 峠道その2
峠道その3

 改めて県道を走る。山形県側の峠道は、幾重にも折りたたまれた長大な山道が続いている。勾配が緩やかな上、全線舗装でガードレールもあるため、峠道としては走りやすい方。ただし幅は狭いので、走行時は要注意。


金山峠

金山峠鞍部 不動尊の祠
金山峠鞍部と不動尊

 4キロ弱におよぶ山道を走った末鞍部に到着。標高623m。金山集落からの古道もここに通じている。鞍部は切り通しになっており、その両側は苔むした石垣になっている。石垣に設けられた石段を登りきると、小さな祠が建っている。祀られているのは不動尊。昭和10年に地元有志が再建したものだが、その由緒は17世紀末に佐竹氏が寄進したものにさかのぼる。
 峠の向こうは宮城県七ヶ宿町。その名は宿場町が七つあったことにちなんでいる。

旧街道遊歩道の看板
旧街道遊歩道出口にある看板

 現在の峠道は明治初期に開削され、昭和30年頃に車道として整備されたものだ。羽州街道として多くの旅人が行き交ったこの峠も、現在は国道にその役割を譲り、ひっそりと静まりかえっている。


鏡清水

鏡清水

 鞍部の県境を越え、宮城県七ヶ宿側に足を踏み入れるとすぐに小さな泉が現れる。泉から湧き出る水は、太平洋に注ぐ白石川の源流となっている。糸のような流れには「白石川跨ぎ橋」なる小さな橋がかけ渡され、白石川を一またぎにできるという趣向になっている。
 大名行列がこの峠を越えた際、姫様がこの清水を鏡がわりにして身だしなみを整えたというのがその名の由来。
 水場は上山側にもある。こうした清水は大名たちをはじめ、行き交う人々ののどを潤してきたのだろう。金山峠は大分水嶺の峠でもある。


宮城側

宮城側の峠道

 宮城側に出ると長大なつづら折りは姿を消し、広く緩やかな道に変わる。


干蒲(ひかば)

干蒲集落

 宮城側最初の集落。峠をちょっと下るとすぐに現れる。これまでの峠道が嘘のよう。


石塔群

干蒲の石塔群

 干蒲集落で発見。大小とりどりの石塔や石仏が並んでいる。何を記念し何を祀っているのかはわからないが、道の旧さを感じさせる風景。


終点・国道113号線合流点

終点・追分国道113号線丁字路

 ここが終点。目の前を走るのは国道113号線。右に行けば二井宿峠経由で山形県高畠町へ、左に行けば宮城県白石市に出られる。昔の追分がそのまま終点になっている。

追分碑1 追分碑2

 追分には古い道標が残っている。「右ハもがみ海道 左ハ米沢海道」と刻まれており、ここがまさに羽州街道の分岐点だったことを物語っている。ちなみにこの追分碑、珍しいことに庚申塔を兼ねている。

(2005年9月/06年3月取材・05年10月記・08年7月追記)


案内

場所:主要地方道上山七ヶ宿線。起点山形県上山市二日町カミン前交差点。終点宮城県七ヶ宿町追分国道113号線丁字路。総延長約22km。県境に金山峠。標高623m。大分水嶺。

所要時間:どこにも寄らない場合、起点から終点まで自動車で約40分。起点から赤山まで約20分、赤山から鞍部まで約10分、鞍部から終点まで約10分が目安。

特記事項
 金山峠重量制限あり。5tを越える車両は通行不可。冬季閉鎖あり。上山市赤山(金山峠入り口)から宮城県境までの4.4km。12月上旬〜3月下旬あたり。冬季通行止めになる山形の峠の中でも、もっとも早めに通行止めが解除される。楢下のこんにゃく番所は火曜定休。
 近年、楢下を迂回して峠下に直通する新道が開通している。見所は旧道沿線にかたまっているので、走るなら旧道がおすすめ。

冬季通行止め中
冬季通行止めの様子

参考文献

「みやぎの峠」 小野寺寅雄 河北新報社 1999年

「山形県鉱山誌」 山形県商工労働部商工課 1977年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支局編 高陽堂書店 1978年

「歴史の道調査報告書 笹谷街道」 宮城県教育委員会 1979年

楢下宿案内小冊子

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