山形市の西、村山地方と置賜地方を隔てるようにそびえる白鷹丘陵の主峰が白鷹山である。ふもとにある白鷹町の名前の由来になっているのはもちろん、江戸時代に米沢を治めた名君、上杉鷹山(うえすぎようざん)公の号も、この山にちなんでいるそうだ。
山形市、白鷹町、山辺町、南陽市、上山市という五つの市町の境目にあり、登山道も数あるが、今回は、山辺町の嶽原(たけはら)登山口から山頂を経由して、山形市大平に抜ける道を紹介する。
真っ赤な鳥居が目印。登山道は山頂に祀られる虚空蔵菩薩の参詣道でもあるのだろう。厠・駐車場・水場完備。
登山口から5分ほど登った場所にある。大正時代、当時皇太子だった昭和天皇の御成婚時に、記念植林されたらしい。大正も昭和も遠くなったが、森と苔むした記念碑が今に残る。登山口の付近は杉林が続き、杉の落ち葉を踏みしめながら登っていく。
この時期は5月上旬で、里の雪はすっかり解けていたが、登山道はちょっと登っただけだというのに、まだまだ雪が残っていた。
登山口から600メートルほど、標柱のすぐ脇にある水場。杉の枯れ葉を割るようにして沢水が引かれている。ここから大平付近まで水場はない。
水場を出て間もなく、雪が間近に迫った沢筋を横断する。年によっては、ここで大きな雪崩が起きることもあるとか。この先の登山道は、まるきり雪に埋もれていた。
雪渓を横切ると間もなく杉林が切れ、中腹にさしかかる。明るい広葉樹林に変わり、展望がひらけてくる。
急斜面に切られた細い登山道を登る。中腹の登山道はもはやこんなありさま。滑落や雪崩には重ね重ねご注意を。
この前の冬は大雪で、山腹の至る所で倒木を見かけた。根元から折れた木や、根っこごと倒れた木が痛々しい。
急に雪が減った。ここまで来れば山頂はもうすぐ。
標高994m。山頂に着くと、真っ先に目に飛び込んでくるのがこの虚空蔵堂。山頂に来た登山客は、まずはここで手を合わせる。白鷹山の開山伝説はこの虚空蔵尊に由来しており、役行者(えんのぎょうじゃ)と行基の名前も現れる。五月になると山開きがわり、虚空蔵堂の例祭が開かれる。
山頂は結構な広さの広場になっている。虚空蔵堂と一緒に山頂にある無人の山小屋。中には焚き火用のいろりや、簡易宿泊用の板の間などがある。ご利用の際はマナーを守ること。
虚空蔵堂の真向かいにある石段は、大平側登山道につながっている。かなり急。大平への分岐は石段の真ん中あたりに、目立たないようにあるので要注意だ。
尾根筋に歩いていく。嶽原側と違ってほとんど雪も解け、林の間の軽快な道が続く。
道なりに歩いていると右の方に進みたくなるが、ここは左側を選ぶのが正解。間違うとあさっての方角に出てしまうので、案内標識には要注意。
分岐を過ぎると、まもなく急な下りが現れる。ちょっと目をとめると、林の間に麓の大平集落が。
大平側に下っていくと、やがて鉄塔が現れる。
鉄塔付近は格好の展望台。西の方に、二つ並んで盛りあがった山がある。右は片倉山(733m)、左が西黒森山(846.9m)。奥には雪を戴いた朝日連峰も見える。
鉄塔からすぐのところにある大平側の水場。大平から登る時は、ここで水を補充しておこう。
杉の木立を抜け、畑が広がるなだらかな坂を突っ切るように降りていくと、大平口はもうすぐ。
大平側登山口は集落から少し離れたところ、砂利道の途中からひっそりと伸びている。うっかりすると見逃しやすい。
季節だったので、随所でミズバショウを見かけた。特に大平はミズバショウが多く自生し、多くの方々が見物に訪れる。時期によっては椿やキクザキイチリンソウも楽しめる。
(2005年5月取材・2005年6月記)
交通:嶽原登山口までJR奥羽本線山形駅から車で約1時間。「県民の森」手前で県道17号線から大平・嶽原方面に入っていく。大平入り口に看板あり。
大平集落入り口
所要時間:嶽原から山頂まで約1時間20分。山頂から大平まで約1時間。
特記事項:嶽原・大平口とも、登山口近くに水場がある。嶽原登山道は5月頃まで残雪に埋もれている。山頂は標高994m。山頂の展望はあまり開けない。国土地理院1/25000地形図「白鷹山」。低山だが、その分登山道が多いので迷わないようにご注意。