鳥上坂

 南陽市にある鳥上坂(とりあげざか)は、置賜盆地北の入口にあたる峠である。そしてその場所ゆえに、もしかすると、山形最古の峠と言っていいのかもしれない。


白竜湖

白竜湖

 まずは峠下にある白竜湖を紹介しよう。面積7.13ha(0.07平方km)、日本一小さな湖で、名前はその昔、置賜一円が日照りで困っていたとき、旅の僧侶が三日三晩雨乞いの祈祷をした末この湖から白龍が昇り出て、待望の雨を降らしたという伝説に由来する(伝説ではよくあることなのだが、数々の異説がある)。とはいうものの下手するとただの「ため池」にしか見えず、龍神が住むには狭そうだ。
 しかしこのちっぽけな「湖」こそが、太古の昔からその歴史を刻む、鳥上坂の生き証人なのである。

 新第三紀(2500万年前)の頃。置賜盆地は海の底だった。この界隈は激しい地殻変動によって直径10キロ深さ1キロに及んで陥没し、海底火山が活発に活動していた(この海底火山の賜物が赤湯温泉)。
 永い時をかけ地殻変動が繰り返された結果、鮮新世(500万年前)になると、置賜は巨大な湖になった。「大湖水」はかつての海が陸封されたもので、置賜盆地一帯を湖底とするほどの広さを誇っていた。
 ところがその後、再び地殻変動によって地形が変わると、堰を切ったように湖水が外に流れ出し、大湖水は次第に水位を下げていった。そしてついに湖は姿を消し、跡に陸地が出現した。この陸地が置賜盆地で、大湖水の流路となったのが最上川である。
 だが、大湖水は全てが流れ出たわけではなく、置賜盆地の片隅にごく僅かを残していた。その僅かに残った大湖水こそが、他でもない、白竜湖なのだ。
 鳥上坂はかの大湖水の湖畔から、湖底に降りていく道筋にあたる。鳥上坂と白竜湖の地勢は太古の置賜の姿を今に留めているわけで、そう考えると、山形で最も古い峠と言えないこともないわけだ。

白龍弁財天
ほとりにある白龍弁財天。湖に竜神・水神信仰があることを伺わせる。

 湖は「大谷地」と呼ばれる低湿地にある。このあたりは地層的に浸食作用を受けにくく、しかも砂や土が流れ込むことも少なかった(実際、湖に流れ込む河川はない)。それゆえ湖周辺には湿性植物が茂り、泥炭層と独自の生態系を作っていた。昭和30年(1955年)には「白竜湖泥炭形成植物群落」として、県の天然記念物の指定を受けている。
 白竜湖はかつて「赤湯沼」と呼ばれていた。そのとおり、現在でこそ湖の周辺には水田が広がっているが、かつては腰まで抜かるような沼ばたけばかりで、耕作に大変苦労したと伝わっている。昭和30年代からの土地改良によって周辺は現在の姿になったが、一方で湿地独特の貴重な動植物が数多く失われたそうだ。その後環境破壊と消滅の危機にさらされながらも、かつての姿を取り戻そうと、現在は保全の道が模索されている。


セーブオン南陽中川店前

セーブオン南陽中川店

 峠の地勢を紹介したところで、さっそく走ってみよう。とはいうものの、峠道は山形県の大動脈国道13号線なので、通行に困ることは全くない。南陽市の中川地区、コンビニエンスストア「セーブオン」があるあたりが峠口だ。


旧道との追分

右はフルーツライン経由で旧道へ

 セーブオンから少し進むと追分が現れる。こちらは後で紹介する旧道につながっている。


跨線橋と十分一山入口

奥羽本線跨線橋 十分一山入口のおにぎり

 跨線橋で奥羽本線を超えると、間もなく下りにさしかかる。ここまでセーブオンから約1km。あっという間。
 奥羽本線もこの峠を通過しているのだが、鉄道で置賜入りするのも趣があって良い。


鳥上坂切り通し

鳥上坂の切り通し

 峠は巨大な切り通しになっている。峠は村山地方と置賜を結ぶ要所にあたり、絶えず車が行き交っている。


置賜盆地へ

鳥上坂を下る

 急坂で一気に置賜盆地に滑り降りる。現在の国道は昭和34年(1959年)以降に造られたものが基本となっており、昭和55年(1980年)には登坂車線を設けるなどの改修が施されている。

赤湯交通安全地蔵

 道路の片隅にある広場には、交通安全を祈るお地蔵さんが立っている。峠は急坂ゆえ国道13号線の難所の一つで、冬場などは特に危なくなる。渋滞することも度々のようで、交通情報では鳥上坂情報が紹介されることもある。さすが大湖水の湖底に下る道だけのことはある。

置賜盆地へ

 切り通しを抜けると、目の前に白竜湖と置賜盆地の展望が一気に飛び込んでくる。置賜に来たと感じる瞬間だ。


ぶどうハウスとぶどうの碑

十分一山のぶどうハウス

 左手を見ると、山の斜面に沢山のビニールハウスが並んでいる。峠の東にある十分一山ではぶどう栽培が盛んで、季節になればぶどう狩りを楽しむこともできる。

ぶどうの碑

 さっきのお地蔵さんの隣には、ぶどう栽培に携わった先人らを顕彰する「ぶどうの碑」が立っている。それによると南陽のぶどう栽培は江戸時代初期に始まったそうで、当地に採掘に来た甲州の鉱夫が持ち込んだとも、出羽三山行者が持ち込んだとも言われている。日当たりの良い急斜面はぶどう栽培にはうってつけで、大湖水の跡はこんなふうにも活かされているわけだ。


白竜湖入口

白竜湖入口

 急坂を下りきり、かつての湖底に降りてきた。この分岐を左に進めば白竜湖。直進すれば高畠町を経由して米沢に行ける。右の方には温泉で知られる赤湯が控えている。
 峠下の新しい区間、通称「南陽バイパス」は平成4年(1992年)に、昭和30年代の国道に平行する形で作られたもので、赤湯の街を迂回して米沢方面に抜けるようになっている。従来の国道は下り坂の途中で西に分岐し、赤湯を経由して南に続いている。


廃道区間

廃道区間入口

 国道は昭和30年代より漸次改修されたが、それ以前の道も残っている。今度は赤湯からそちらを追ってみよう。
 南陽バイパスと併走して、廃道となった区間が数百メートル続いている。赤湯を経由する従来の国道と、南陽バイパスが合流する地点が廃道の入口だ。パイロンやクッションドラムが並べられ、四輪車では進入できないようになっている。

廃道区間の様子その1 廃道区間の様子その2

 状態は非常によく、単車で何の問題もなく通れた。しかし廃道化は着実に進んでいるようで、路面の真ん中から草が生えている場所もあった。

廃道区間終わり

 廃道区間は現在の国道に吸い込まれる形で終わっている。廃道区間終わりの所から昭和55年の登坂車線が始まっていることを考慮すると、この区間は昭和30年代に作られた国道の一部で、南陽バイパス開通によって廃道になったものと思われる。


鳥上坂旧道

旧道入口

 国道に合流しほんの少し登ると、左手に小さな隧道が現れた。ここが昭和30年代以前の国道、鳥上坂旧道入口だ。

目印はこの看板

 旧道への分岐は流れの速い国道の片隅にあるため、気をつけないと行きすぎてしまう。連れ込み宿の看板を目印に左折しよう。


鳥上坂隧道(羽州街道架道橋)

鳥上坂隧道(羽州街道架道橋)

 隧道の長さは十数メートルで、あっという間に通り抜けてしまった。国道側からはただのコンクリート構造物にしか見えなかったが、旧道側から見ると、立派な煉瓦造りの洞門を備えていた。この洞門は通称で「鳥上坂隧道」と呼ばれている。

 近代的な道としての鳥上坂の整備は、戦国時代にさかのぼる。
 伊達氏が置賜を領していた頃。鳥上坂の道はさほど整備されておらず、曲がりくねった小径があるにすぎなかった。
 ところが天正19年(1591年)、伊達氏に代わって置賜を領した蒲生氏郷は、米沢と中山(現上山市中山地区)を結ぶ道路の開発に着手する。蒲生氏の本拠地は会津であり、会津からすれば中山は山形城下を睨む要地にある。そこで会津と米沢間の連絡を密にし、しかも山形に対する戦略的優位を確保するため、領内を直線的に移動できる道路の建設に乗りだしたらしい。かくして鳥上坂に、新しい道路が作られることになった。
 蒲生氏が整備した道路は「米沢街道」として、その後米沢城主が上杉氏に代わってからも重視され、米沢藩の下で整備されることになる。しかしさすが大湖水の急斜面を登るだけあって道は崩れやすく、石がゴロゴロとして車も通れぬような有様だったらしい。

 下って明治時代初頭。その鳥上坂を近代的な道路に作りかえたのは、毎度おなじみ三島通庸だ。その工事には、いかにも三島らしい逸話が伝わっている。
 明治10年(1877年)7月。苅安隧道(現在は国道13号線の切り通しとなっている)完成記念式典の帰り、三島が赤湯で一泊したときのこと。三島は突如随行の者に鳥上坂の検分を命じた。程なく検分を終えた随行者が、「新道を作れば馬車の通行が可能である」と三島に報告すると、三島は直ちに村長に命じ200人の人夫を集め、そのまま工事を始めさせた。そればかりかなんと三島自らも工事に参加し、鋤や鍬を手に取って石をどけたり土を掘ったりしたという。三島が手伝ったからでもなかろうが、新道は数日で完成し、鳥上坂は馬車が通れる近代的な道路として生まれ変わった。それがこの旧道というわけだ。
 北の雄勝峠から南の万世大路に至るまで、明治初頭には三島によって山形縦貫道路の建設が強力に進められたわけだが、その際置賜と村山の連絡道として、上山と南陽の間にも多くの新道が建設されている。鳥上坂はその代表格である。

 「隧道」と呼んでいるが実際は「陸橋」で、道路と交差するように、上には奥羽本線のレールが敷かれてあり、新幹線も通ったりする。ある資料では、昭和初期に線路を立体交差に改修する際造られたと記述しているが、実際のところは、明治末期に奥羽本線開通を受けて造られた鉄道構造物であるらしく、「羽州街道架道橋」と呼ぶ資料もある。いずれにせよ三島の時代のものではないのだが、赤れんがの小さな洞門は、明治の旧道に趣を添えている。

出口は急カーブ

 出口は急カーブになっており見通しが悪い。スピードの出し過ぎにはご注意を。


本当に坂です

旧道の坂を登る 続くだらだら坂

 カーブを抜けると、直線的にだらだらとした坂を登っていく。資料によれば縦断勾配なんと7%。


鞍部

鳥上坂旧道鞍部

 坂を登り切ると平場に出た。ここが鳥上坂の鞍部である。木陰が多いせいか、路肩には一休みする車が何台も停まっていた。

改修記念レリーフ

 木陰に埋もれるようにして、昭和初期の改修を記念したレリーフが設置されていた。旧道も昭和9年(1934年)から同10年(1935年)にかけ、国の事業として勾配をゆるくしたり、幅を広げるといった改修を受けている。「國道五號線」とは国道13号線の当時の名称だ。


ハイジアフルーツライン

フルーツラインへ向かう

 鞍部の先に坂はなく、平らな道を先へ進むのみとなる。

ハイジアフルーツライン合流地点

 進んだ先で市内の農道「ハイジアフルーツライン」に合流する。


国道13号合流地点

国道13号線へ

 フルーツラインに入り少し北進すると、はじめに見た国道13号線の追分に出た。旧道区間はここまで。


十分一山

十分一山から見る置賜盆地と白竜湖

 最後に周辺の名所をご紹介。十分一山には車道があって、自動車で簡単に登れる。中腹の展望台からは白竜湖はもちろん、置賜盆地を一望できる。

南陽スカイパーク十分一山テイクオフエリアの吹き流し

 「南陽スカイパーク」こと、パラグライダーやハンググライダーの離陸場もある。「鳥さえ登れない急な坂」という意味で名付けられた「鳥上坂」だが、遮るもののない地形、盆地の上昇気流、山を吹き上げる風などなど、実はうってつけの条件が揃うフライトの名所であり、天気が良ければ、空中散歩を楽しむグライダーをいくつも見ることができる。
 現在は、大湖水跡を龍神の代わりにグライダーが舞い、鳥も登れぬ坂を自動車が登っている。

(2006年8月取材・2007年7月記)


案内

場所:
南陽市赤湯。十分一山西麓。国道13号線。標高約280m。セーブオン南陽中川店前から白竜湖入口まで約3.3km。旧道区間約1.2km。

所要時間:
セーブオン南陽中川店前から白竜湖入口まで自動車で約5分。旧道区間自動車で約3分。

特記事項:
 南陽バイパスは国道13号線の要所なので、車での通行は容易だが、交通量が多く時に渋滞する。急坂であることは変わりないため、荒天時・凍結時の通行には気をつけること。十分一山からは置賜盆地の大展望が楽しめる。峠下に赤湯温泉。架道橋高さ規制あり。3.3mを超える車は通行不可。

参考サイト

「Nicht eilen」 TILLさん
URI:http://homepage2.nifty.com/tilleulenspiegel/

参考文献

「栗子峠にみる道づくりの歴史」 吉越治雄 社団法人東北建設協会 1999年

「南陽市史」 南陽市史編さん委員会 1992年

「三島通庸と高橋由一に見る東北の道路今昔」 建設省東北地方建設局 1989年

「山形県歴史の道調査報告書 総集編」 山形県教育委員会 1981年

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