ごくたまに、日本ファルコムホームページのBBSに「『ファルコムショップ』って、何ですか?」という書き込みがあったりします。「ファルコムショップ」とは文字通り、日本ファルコムの店でした。今回はこのファルコムショップとファルコムグッズの話です。
開店告知のフライヤー(89年)
ファルコムショップはキャラクターグッズ専門店です。89年11月3日東京の代々木に開店しました(大和ビル5階。90年秋ショウエイビル2階に移転)。90年夏には名古屋のパソコンショップ「コムロード」内に名古屋店も開店したようですが、通常ファルコムショップと言えば、代々木店のことを指します。キャラクターグッズ専門店といえば「アニメイト」や「ゲーマーズ」のようなものを想像しますが、最大の違いは、日本ファルコム関連商品しか扱わないことでした。
つまり、ファルコムショップとは日本ファルコムの自社関連商品を売る店でして、アンテナショップ(ユーザーの反応を探るための店舗)のような性格がありました。
いかに日本ファルコムが当時勢いを誇った会社だからといって、勢いだけでこのような店を開くことはできなかったはずです。それが可能となった背景について考察してみましょう。
「今年もファルコムだ!」 出演三遊亭円丈師匠(87年)
日本ファルコムがキャラクターグッズを作り始めたのは80年代中盤「ザナドゥ」(85/11)の頃でした。キャラクターグッズというよりはノベルティ(会社や商品の知名度を広めるための品)といった方が近いかもしれません。「ザナドゥ」は日本ファルコムの名を一躍有名にしたリアルタイムRPGです。日本ファルコムは当時から変わった広告を打つことが度々で、イメージ戦略には力を入れていたようです。その一環として、日本ファルコムは「ザナドゥ」のステッカーや財布といったファルコムグッズをいろいろと作っていました。
「ザナドゥ」グッズ
「ザナドゥ」は日本で最もヒットしたパソコンゲームでした。関連書籍も多く出版され、版権許諾によるアニメやレコードも作られました。メディアミックスの元祖とも言えるのですが、ゲーム内容が玄人向きだったせいか、広がりを持つまでには至りませんでした。
その後「ロマンシア」(86/10)「イース」(87/6)「ソーサリアン」(87/12)が立て続けにヒットし、日本ファルコムの地位は不動のものとなりました。もちろんこれらゲームの関連書籍、音楽CD、ノベルティグッズなども製作され、その数は飛躍的に増えたのです。
「英雄伝説I」通販案内の往復葉書(90年)
次に、そうしたファルコムグッズを、立川の本社の一角で売っていました。日本ファルコムはもともと「コンピュータランド立川」というマイコンショップでしたので、本社でゲームやグッズを売るという事に抵抗がなかったのでしょう。
また、通信販売にも力を入れていました。新作ゲームが発売される頃には申し込み書付きのダイレクトメールやグッズのカタログを送ったり、またはゲームソフトに同梱したりと、この頃から通販によるリピーターの確保を意識していたようです。
ついでに、この通販でゲームを買うと申し訳程度にファルコムグッズが添えられてきたのですが、これが現在非難轟々の「豪華特典」の始まりです。
初期の通販予約購入特典・「イースII」ステッカー(88年夏)
キャラクターを売りにし始めた頃の広告(89年末)
当初ファルコムグッズはゲームの添え物の域を出ないものでしたが、やがて転機が訪れます。「イースII」(88/4)の大ヒットです。
オープニングでリリアが振り向いて以来、ゲームのキャラクターはかつてないほどに脚光を浴びるようになりました。都築和彦氏描くマニュアルイラストも多くのユーザーを魅了しました。そしてストーリーは大絶賛されたのです。
ここに来て、イメージ戦略の一環でしかなかったファルコムグッズに別の意味が出てきます。魅力的な世界観(特にキャラクター)はそれ自体が優れた商品である。日本ファルコムは「イースII」の大成功でそれを悟ったらしく、世界観の売り込みに本格的に力を入れるようになります。各種ファルコムグッズはゲームに匹敵する商品となったのです。
それを受けるかのように、翌年には「スタートレーダー」(89/3)「ワンダラーズ・フロム・イース」(89/4)「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」(89/12)といった、キャラクター性と物語性の強いゲームを次々と発表します。キャラクターを押し出した広告が目立ってきたのもこの頃です。これが「イースII」以降の作風となりました。
「ファルコムスペシャルボックス'89」広告〜ファルコムレーベルの発足(88年末)
日本ファルコムのメディアミックス展開では見逃せない、ファルコムレーベルについても軽く述べておきます。
「イース」「ソーサリアン」の楽曲が高く評価されたことを受け、88年12月、キングレコードに日本ファルコムのゲーム音楽専門レーベルが発足しました。これがファルコムレーベルです。
以来ゲームのサントラはもちろんのこと、アレンジ盤、OVAソフトなどを次々とリリースしていきました。日本ファルコムの勢いと連動して、名盤珍盤含め数多くのCDをリリースしたために、良かれ悪しかれメディアミックス展開の象徴とされたのでした。
「ザナドゥ」以来、日本ファルコムはイメージ戦略としてノベルティグッズ製作やメディアミックス展開に力を入れており、その販売や拡充にも熱心に取り組んでいました。そして「イースII」の大ヒットにより、世界観そのものを商品にする発想が生まれ、大規模なメディアミックス展開に乗り出すのです。ファルコムショップの開業にはこうした背景がありました。
ファルコムショップは、日本ファルコム黄金期の威光と共に生まれた、メディアミックス展開の申し子と言えます。
移転後の店内の様子はサターン版「ファルコムクラシックス初回版」付属のムービーに詳しいです。ビル二階の奥にあり、ガラス張りで外から中の様子が見えます。学校の教室程度の敷地に小物やソフト、書籍、CDが陳列されていました。一番場所をとって売られていたのはキャラクターグッズです。店の一隅に置かれたパソコンやゲーム機では新作のデモが実演されていました。店内のBGMはもちろん日本ファルコム作品の楽曲やドラマCDです。
日本ファルコムのキャラクターグッズを扱っているということは、日本ファルコムのキャラクターに思い入れのあるファンにとってはそれだけで憧れの場所でした。特に地方在住のファンにとってはなかなか訪れることができないため、さらにその思いは強かったようです。
「ファルコム通信」第3号(95年)
店はファン交流の場でもあったようです。店内には来客どうしの連絡用にと通信ノートが置かれてありました。94年からは「ファルコム通信」というフライヤーを発行し、イベントや新作情報告知のほか、ファンのお便りを掲載するなどしていました。また、ジャンルとしては比較的マイナーなファルコム同人サークルのため、店内で同人誌即売会も定期的に開催していました。日本ファルコムは知名度の割に横のつながりがないので、こうした場所は貴重でした(注1)。
他にも、イラスト原画や稀少なグッズを展示したり、年に何度か売り出し期間を設けたりと、話題作りにもあれこれ取り組んでいたようです。店主催のイベントで最も有名なのはイラストコンテストでしょう。日本ファルコム作品の同人イラストを競い合うというものです。91年頃に始まり、季節ごとに開催され、98年の閉店間際まで続きました。ミーちゃんこと岩崎美奈子さんや、「Piaキャロットへようこそ3」で知られる橋本タカシ氏(応募名は橋本隆)なども応募していたようです。応募作品は店内に掲示され、来客の目を楽しませました。
ミーちゃん作(91年) | 橋本隆作(94年) |
注1:「ファルコムファンクラブ」や「ねりもの」といった私設ファンクラブはあったが、どちらもファン全体を巻き込むような大きな流れにはならなかった。残念ながら現在はどちらも解散している。ついでに「ねりもの」メンバーが中心となって2001年12月、東京都大田区産業プラザPioにて、日本ファルコムオンリーイベント「ファルコムコミュニケーション」が開かれたが、ファン主催のイベントとしては過去最大規模のものだった。