本当にあったかもしれないイースの話

 このゲームのタイトル、「イース」は、フランスの人々の間に伝説として伝わる架空の町の名称である。
 西暦4世紀、強固なダムによって海から守られていた「イース」は栄華を極めていたが、旅人に誘惑された王の娘がダムの門を開けてしまい、その町は一夜のうちに水没してしまったと、いくつかの書物に記されている。
〜山下章 「イース」ライナーノーツより

 「イース」の物語はもちろん作り話、ゲームのために作られた虚構ですが、オリジナルのライナーノーツにあるとおり、フランスのブルターニュ地方に残る伝説が下敷きになっていることが知られています。今回はその伝説を紹介いたします。


「海に沈んだイスの都」抄出〜「図説ケルト神話物語『バルザス・ブレイズ』」から

 「イース」が下敷きにしているのは、フランス・ブルターニュ地方の「沈める都」の伝説です。子細の違う言い伝えがいくつかあるようですが、テオドール・エルサール・ド・ラ・ヴィルマルケ(Theodore Hersart de la Villemarque 1815-1895)が1838年に発表したブルターニュ民譚集「バルザス・ブレイズ(Barzhaz Breizh)」に現れるものが特に知られています。
 残念ながら「バルザス・ブレイズ」の日本語全訳は出ていないので(2004年11月現在)、ここでは「バルザス・ブレイズ」を採り上げたイアン・ツァイセックの「図説ケルト神話物語」を元に、沈める都の伝説を追ってみます。
 ところで、伝説に現れるイースはゲーム同様「Ys」、または「Is」と綴りますが、「イス」と訳されることが多いので、荒井もそれに倣います。
(適宜中略および書き直し。小見出し・括弧内英語表記・註釈は荒井が追加)


君知るや、グラドロンにむかいて賢者の教えしこと?
情熱に身をまかすなかれ。狂気に心を奪わるなかれ。
愉悦(たのしみ)のあとには必ず悲哀(かなしみ)がおとずれん。
魚を啖(くら)う者はいずれ魚に食われ、肉をむさぼる者はいずれむさぼられ、
ワインにふける者はやがてハヤのごとく水を呑まん

グラドロン王と王女ダユー

 グラドロン(Gradlon)は、五世紀に生きたたいそう立派な人物でした。王が治めていたのはブルターニュ南部のコルヌアイユ(Cornouaille)という国で、首都はカンペルレ(Quimperle・注1)という美しい町でした。王はまっすぐな人で人々に慕われていましたが、愛娘ダユー(Dahut,Dahud・注2)には甘すぎると陰口をきく人もいました。美貌の娘ダユーはいつも注目の的でしたが、宮廷での娯楽(たのしみ)にはどこか飽き足りないといった風なところが見受けられました。こうした性格は彼女の血に混じっているのだと噂する者もおりました。
 何年ものあいだ、グラドロンの前の妃についての突飛な噂が流れていました。彼女はもともと人間ではなく海の妖精で、王と結婚するために人間の姿になりました。しばらく二人は幸せにくらし、愛の結晶としてダユーが生まれました。ところが、ある時グラドロンが妃の機嫌をそこねてしまった結果、妃は海へと逃げかえり、王は娘をひとりで育てなければならなくなったというのです。このように考えればダユーが海を見つめるときのあの思いこがれるような眼差しも説明がつくと感じている人もいました。

グラドロン王の改宗

 グラドロンがそれまでの土地の信仰をすてて、キリスト教徒になってからというもの、娘との関係が悪くなりました。王の改宗は突然のできごとでした。王はある日家来をつれて森で狩りをしていました。夢中になって獲物を追ううち、一行は道に迷ってしまったことに気づいたのです。
 暗くならない前になんとか森を抜ける蹊(みち)が見つからないものか、その辺りを偵察してくるよう、グラドロンは命じました。数分もたたないうちにきこりの小屋が見つかったので、一行はその丸太小屋を目指しました。
 そこに住んでいるのはきこりではなく、コランタン(Corentin)という名の隠者でした。王はキリスト教徒ではありませんでしたが、この人が徳が高く、立派な仕事をしている賢者だという評判を、聞き及んでおりました。王はコランタンに、どうか帰り道を教えてもらえないだろうかと言いました。コランタンは「喜んで」と答えるとともに、疲れた一行を気遣って、食事の世話を申し出ました。

 王とコランタンはしばしば話し込んでいましたが、たちまちにして王はコランタンの該博な知識と深遠な洞察にすっかり感心しました。しかし狩人たちは「主の祈りやアーメンで腹をいっぱいにしろっていうのかな?」「この坊主、俺たちがパンのかけらも食べてないってことわからないのかなあ」とひそひそと言い交わしました。
 コランタンは彼らの空腹のことは百も承知でした。彼は王の召使いに命じ、一番大きな籠と一番よく入る水差しを持ってこさせ、小屋の奥の方に案内しました。そこには小さな泉があり、その中にちっぽけな魚が泳いでいました。コランタンは水差しを手にとって、泉の水をいっぱいに汲みました。つぎに泳いでいるハヤをつかみとるとナイフで二分し、片方を籠に入れました。他の半分は泉に戻します。ついでテーブルにこの籠と水差しを持って行きなさいと、召使いに命じました。はじめ召使いはコランタンがふざけていると思ったのですが、コランタンが大真面目に言い張るので、それにしたがいました。召使いは王と伴の狩人のところに行き、ご馳走の準備ができましたと伝えましたが、とても貧しい食事で、空腹を満たすにはとても足りないでしょうと、言い添えるのでした。
 テーブルを目にして一同は驚きました。上にはありとあらゆる種類のご馳走が並んでいます。肉、魚、くだもの。水差しには赤ワインがこぼれんばかりに入っています。グラドロンは隠者のやったことを聞くと驚嘆しました。隠者に案内されて、ご馳走にばけた魚を見るに及んで、驚きはさらに大きくなりました。半身が再び完全な魚となり、何ごともなかったかのように泳ぎ回っていたのです(注3)。

 グラドロンの心には、隠者を連れて帰りたいという気持ちがつのってきました。「人々の中に入って、国中にそなたの信仰を広めてほしい。カンペルレの司教にもなってもらおう。好きなだけ改宗させてよろしいですぞ」
 イエス・キリストのためにこれほどの奉仕をする機会をみすみすのがす手はありません。コランタンは即座に承諾しました。
 このようにしてグラドロンはキリスト教徒となりました。カンペルレには教会や礼拝堂、修道院が建てられました。コランタンは美徳、慈善、節制を広めるため、王にすすめて新しい法を制定させました。

イス造営

 何か月かがたちました。以前とくらべて、カンペルレは徳が高く、精神的に満ち足りた町となりました。
 が、ダユーはしだいにものうげで、ふさぎがちになって行きました。心配した王はついに娘に話しました。
 「わが子よ。何を悩んでいるのだ? 何かほしいものでもあるのか?」
 「このぞっとする町のせいですわ、お父さん。あなたのおかげで、ここは僧侶だの悔悛した罪人だのでいっぱいになってしまいました。ここにはも喜びもないし、笑い声も聞こえない。聞こえてくるのはお祈りに、聖歌ばかり。」
 「黙るんだ、ダユー。」と王が答えます。「神に仕える人たちを冒涜してはいけない。あの人々の仕事に比べたら、他のことはすべて犠牲になっても仕方ないのだ。」
 するとダユーは顔を伏せて泣き出しました。グラドロンは厳しいことを言い過ぎたのではないかと反省するのでした。
 「ほらほら、そんなに泣くんじゃないよ。おまえの心の悩みをやわらげるのに、何か私にできることがないかな? 何がほしいか、ほら、一言いってごらん。すぐにかなえてやるぞ」
 ダユーの目が輝きました「海です、お父さん。海がほしい」
 グラドロンが戸惑った顔をしたので、ダユーは続けます。「海が恋しいんです。海からこんなに離れたところに住むのはもう我慢できません。海のそばに町をつくってください。そうなれば私も満足です」

 こうしてイス(Ys,Is・注4)の町が作られることとなりました。位置はコルヌアイユの一番西の端が選ばれました。渦潮岬(ポワント・デュ・ラ)の近くです。グラドロンは職人たちに指示し、まもなく新しい町が姿を現してきました。あまりにできばえが素晴らしかったので、グラドロンは宮廷をそこに移し、娘といっしょに住むことにしました。ダユーは大喜びです。グラドロンはこれ以上の何を望みましょう? 娘を溺愛する父親として、グラドロンは最高に幸せでした。

 程なくして、コランタンのもとから使いがやってきました。
 「素晴らしい新都のどこに、神の家があるのです?」と司教が尋ねます。
 グラドロンは深く恥じてうなだれました。娘を喜ばせたいという一心で、グラドロンは教会をなおざりにしてきました。すぐに過誤(あやまち)をただそうと、王はコランタンに返事を送りました。
 ところがダユーの方でもある願いを父親のところに持ってきました。イスの町は窪地にたっているので、洪水や嵐に対して脆弱です。大波から町をまもるために、堤防を作らなければいけません、とダユーは言いました。王は辛抱強く娘の話に耳をかたむけ、そのことは考えておこうと返事しました。しかし、第一に優先すべきは教会を建てることだ、神の家がないことには王の魂も、民草の魂もどうなるやら知れたことではない……と言うのでした。
 ダユーにとってこれ以上腹立たしい言い草はありませんでした。ダユーの頭には、自分の愛しい町が第二のカンペルレとなり、僧や説教師たちのおかげで窒息させられる姿が浮かんできました。

サン島の巫女

 解決策を授けてくれたのは、ダユーの母親ゆずりの本能でした。深夜、ひそかに寝床を抜け出したダユーは、小舟にのりこむとサン島を目指しました。この島はイスからさほど遠くはないのですが、島をとりまく潮の流れが気まぐれなので、漁師たちは「サン島を見る者は、自分の死を見る」と言い習わしているほどです。ダユーは固い決意をもってサン島に向かっていきます。この島には、古いしきたりを守り、福音を説こうとするものを寄せつけない巫女の集団が住んでいるのです。この女たちはコリガンを思い通りに動かすことができました。コリガンというのは小ぶりの妖精の一族ですが、人間百人分もの力とスピードを持っているのです(注5)。

 ダユーは島に着きました。そして島の奥地の森の中で、ついに巫女たちを見つけました。ダユーは一同に呼びかけました。
 「サン島の皆さん、どうかお聞きください。私はダユー、イスの王女です。皆さんのお力添えをお願いにきました。」
 一番の老女がダユーに近寄りました。「ダユー、お前のことは知っている。それにしてもなぜ、サン島に来たのかね? 我らをおとなう者はもはやほとんどいない。新しい教えを奉ずる者どもは、我らを迫害しおった。我らに残されたのは森の暗闇だけだ。もう他に行くところはない。」
 ダユーは自分の町もキリスト教の脅威にさらされていると言いました。そこで巫女たちはダユーに救いの手をさしのべることにしました。コリガンを呼び出し、町の周囲に堤防を築くよう命じ、さらにグラドロンの教会を見下ろすような立派な城を造りなさい、と言いました。

 ダユーは巫女たちにお礼をして、すぐにイスに戻ってきましたが、近づくにつれてダユーの胸は喜びでいっぱいになりました。なんと新しい城の櫓が、月光を浴びて皎々と輝いています。港に近づくと、約束の堤防が姿を現しました。巨岩を並べてつくった堤防で、どんな嵐が襲ってきても大丈夫そうに見えました。堤防には青銅の水門がついており、それを開けるのは二つの銀の鍵です。ダユーはていねいに鍵を抜き取り、保管をグラドロンに頼みました。グラドロンは町がみちがえるようになってびっくりしました。そのわけを娘に聞こうと思いましたが、ダユーは真実をあかさず、自分のやとった職人が作ったのだというばかりでした。

イスの繁栄

 その後数か月の間、こうして美しくなったイスの町は、美しさに恥じないほどの繁栄のときをむかえました。コリガンの助けをかりたダユーが、市民たちを富ませる新たな方法を見つけたのです。ダユーは彼らに舟脚が速く、頑丈にできている舟を与えました。突風や嵐にも沈むことはありません。次に海の底から恐ろしい怪物を呼び出しました。そして通りかかった舟を襲い、岩に衝突させよと命じるのでした。間もなく、イスの住人は漁師をやめて、ハイエナ稼業を始めました。難破船から流れ着く高価な品物で、自分たちのふところを肥えさせようという商売です。そしてこの商売に一番熱心だったのは、だれあろうダユーでした。毎晩のようにダユーはコリガンを呼んで、珊瑚だとか、ネックレスだとか、はては溺れている船乗りを自分の恋人にしたいとねだるのです。しかしこうしたものに心を惹かれるのは一瞬で、たちまち飽きてしまうと、波間に捨ててしまうのでした。

 こうして得た富によって、イスが腐ってしまうのは時間の問題でした。グラドロンの教会には閑古鳥が鳴き、人々は安逸と邪淫の生活にふけりました。この嘆かわしい事態に、コランタンはランデヴェネック(Landevennec・注6)修道院のゲノル(Gwenole,Guenole・注7)を呼び出し、イスの人々に説教するよう要請しました。

背徳の都

 ゲノルはイスの町の核心にまで悪徳がはびこっているのを目のあたりにして、身ぶるいしました。建てられて間もない教会はすっかり見捨てられていました。これを見て、会衆の集まるのを待っていても詮のないことと悟ったゲノルは、教会の外に出て説教をはじめました。悪の道から足をあらい、悔い改めねば、父なる神が必ずやみなの衆を破滅の淵におとすだろうと、警告したのです。
 こうしたゲノルの言葉は、嘲りをもってむかえられました。やがて人々は石を投げはじめ、ゲノルを城壁の外に追い払ってしまったのでした。

 イスを事実上治めていたのはダユーです。王はもちろんグラドロンですが、何でも娘のいいなりでした。グラドロンは娘の暴虐非道のおこないを知らなかったし、知りたくもありませんでした。夜になると、王は一人で私室にこもり、早々と床についてしまうのでした。
 ダユーは対極の生活をおくっていました。ダユーの城では、飲めや歌えやの宴の大騒ぎの音が毎晩ひびきわたっています。また、毎晩違った求婚者がダユーのわきにはべるかのようでした。色白美人と噂のダユーを一目見ようと、ブルターニュ中から若い貴公子がやってきては、かの女の魅力にころりとまいってしまうのでした。ダユーは夜どおし相手に寄り添って、下にも置かないもてなしをします。男がよい気分になったところで、ダユーは耳もとに口を寄せて何やらささやいたり、わざとらしく髪をかきあげたりします。すると男の心にはこの女がほしいという気持ちが勃々と湧いてくるという仕掛けです。

 特に気に入った少数の男たちには、ダユーはさらに秘められたご馳走をふるまいました。この選ばれた男には絹の仮面があてがわれます。そしてダユーの部屋に忍んでくるときも、出て行くときもこれを着けるように言われます。黄昏どきになると漆黒のマントに身をつつんだ長身の従僕が男を迎えにゆき、秘密の廊下をとおってダユーの部屋まで案内します。そして男は夜明けとともにこっそり抜け出すのです。
 このような営みは、王女がご満悦の間は夜な夜な繰り返されます。しかし男にあきてしまうと、王女は仮面のひもを特別の結び方でしばるのでした。男が部屋から出ると、ひもは鉄のワイヤーに変わり、男の頭蓋骨を貝殻のように砕いてしまうのです。死骸は従僕により渦潮岬に運ばれ、そこで海中に投じられました。地元の漁師たちはことの真相を知り尽くしていました。というのも漁師たちはまもなく、岬の風に混じる苦しみ悶える魂の叫びが聞き分けられるようになったのです。

赤い男

 一方、ダユーの方では押し寄せる求婚者たちに心動かされることはありませんでした。ところがある日、異国(とつくに)からの見知らぬ客人がイスの城門をたたきました。客人は途方もないほどの従者をひきつれ、王女さまへといって豪奢な贈り物の数々を並べて見せました。この客人自身は、兜のてっぺんの飾りからかかとの拍車にいたるまで全身が赤ずくめです。髭までが地獄の業火のように真っ赤です。

 この客人のふるまいには他の求婚者たちとは一線を画すものがありました。王女のわざとらしい誘惑にのってくるということもありません。絹の仮面を送りつけても、そんなものは被らないといって、男は素面であらわれました。ダユーは内心、男の自制心に舌をまいていました。誰もがまいってしまった私の魅力に、この男だけは何ともないみたいだ、と。王女は相手の頬をなでようと手を伸ばしました。ところが男は後ろに身をひき、「王女よ、何を下さりますかな?」と訊くのでした。
 「この私だけでは不足なの?」
 「では、私の頼んだものをいただけますか? この私に気がおありなら、堤の鍵をいただけますかな?」
 男が求めたものは、イスを守る水門の鍵でした。
 「グラドロンが昼も夜も首にかけていますわ。絶対にあなたなんかに渡すものですか」
 ためらい、一度は断ったダユーですが、男は続けました。
 「今は夜ですぞ。王はきっと眠っているでしょう。そんな王様から鍵を盗むことなど、あなたなら簡単にできるはず。鍵を私にください。きっとあなたを私の妻にしましょう。火が燃え、煙の柱がたなびく私の宮殿にあなたをお連れしよう。」

 ついにダユーの好奇心が勝ちをおさめました。部屋から男を連れ出すと、二人はグラドロンの私室をめざしました。王はぐっすり眠っています。外では嵐が始まり、足音を聞かれる心配はありません。ダユーは部屋に入り、王の寝台に近づくと、手をのばして王が首にかけている鎖から、そっと鍵をはずしました。ダユーは鍵を後ろ手に男に渡し、その顔を見ようと首をめぐらすと、男は消えていました。

失われたイスの都

 王はびくっとして目を覚ましました。誰かが大声で呼んでいます。「グラドロン、急いで逃げないと命がないよ。水門が開いてる。イスに洪水がおしよせてくる。すぐに町全体が海に沈むぞ」 そこにはゲノルの姿がありました。
 一刻の逡巡もなりません。グラドロンは寝台から跳ね起きて、駆け出しました。まず頭に浮かぶのは娘のことです。ダユーは王の寝室を出た廊下で、当惑の極みで凍り付いたような表情をしています。グラドロンはダユーの手をひいて階段を下りて行きました。中庭ではゲノルが馬の用意をして待っていました。王は娘とともに馬にのると、修道僧を伴にして、城門の方へとすばやく馬を進めました。
 ゲノルの馬は速く進みましたが、グラドロンの馬はぐずぐずとおくれました。ゲノルは振り返ります。するとただちに何がまずいのか分かりました。
 「うしろの悪魔を振り落とすのです」とゲノルが叫びます。しかし王はこの忠告にはおかまいなしで、馬にさらに拍車をかけました。が、そのかいもなく、水が馬の脚を徐々に這いあがってきます。
 「悪魔を振り落としなさい、グラドロン。さもないとあなたの命はありませんよ」 ゲノルがもう一度叫びました。
 「何を言っているのだ、坊主。これは私の娘だ。悪魔などじゃない」
 しかし修道僧は首を横に振りました。「その女こそ王様の一切の禍の種子ですぞ。その女が悪魔に水門の鍵をあたえ、イスの町を破滅に導いたのです。今この瞬間に捨て去りなさい。それともいっそ心中する気ですか?」
 それでもグラドロンがためらっているので、ゲノルは杖をえいとばかりに伸ばして、ダユーの肩を打ちすえました。その瞬間、ダユーの握っていた手が放れ、ああっと叫んだかと思うとのけぞりざま、さかまく渦の中に落ちてしまいました。そしてたちまち波が王女を呑みこみ、それっきり姿が見えなくなりました。するとまさにその瞬間に嵐が鎮まりはじめました。これによってグラドロンとゲノルは安全な場所へと馬の鼻を向けることができたのです。ついに二人は乾いた地面にたどりつきました。グラドロンは馬を休めるかたわら、最愛の娘を失ったことに心の整理をつけようと、懸命につとめるのでした。

 しばらく休んで元気がもどると、王をランデヴェネックの修道院に連れて行こうとゲノルは決心を固めました。騎行する二人からは、まもなく海は見えなくなりました。しかし、恐ろしいほどの霧が発生して二人のあとを追ってきました。そしてこのように半ば目かくしをされたような状態の中で、かもめの声を聞くたびにグラドロンはびくりとするのでした。置き去りにしてきた娘の最後の悲鳴にそっくりだったからです。

グラドロンの最期

 グラドロンは数か月間ゲノルの僧院に滞在しました。しかし海辺のランデヴェネックでは、王は心からくつろぐことはできませんでした。夜など、岸辺によせる波の音が聞こえてくると、物狂おしい気分になって、寝つけなくなるのです。時に、自分を呼ぶ娘の声が聞こえるような気がします。あまりに甘美な響きなので、今すぐ水に飛び込んで、そこにいるはずの娘を見つけ出したいという、激しい欲求にとらわれてしまうほどでした。
 このような声を聞いたのはグラドロンだけではありません。ダユーが姿を消して以来、渦潮岬付近で人魚を見たという漁師が多数でてきました。彼らにとっていちばん印象深いのは人魚の歌でした。その訴えるがごとく、怨ずるがごとき歌にほだされた末に人魚の姿をもとめて水中に飛び込んだ漁師は数が知れません。そして、人魚にほんとうに出会ってしまったら、彼らが二度と陸に帰ってくることはありませんでした。

 しばらくすると、グラドロンは海辺にすむのが耐えられなくなり、僧院から抜け出してしまいました。ゲノルは失踪した王を心配して、捜しに出かけました。ずいぶん長く捜し回った末、ようやくクラヌーの森(注8)で探し当てたときには、王はすでに死の床にありました。私はここで隠者の生活をおくってきた、たった一人のドルイド僧(注9)だけが仲間だったと、王は苦しい息で言いました。

 「この老人にはつらくあたらないでくれ。この男は私などよりよほど苦しみは大きいのだ。私は娘を喪った。自分の都も喪った。だが、この男は自分の神を喪ったのだ。この男は信仰の死をいたんでいるのだ。これほどつらい悲しみがあるだろうか?」

 これがグラドロンの最後の言葉でした。そして、ここに教会を建ててほしいと王が最後にお望みになったと、ドルイド僧は伝えました。この願いは叶えられ、新しい教会が建てられました。一方でゲノルはドルイド僧にむかって、人生に残された日々をランデヴェネックの僧院で暮らさないかと勧めるのでした。
 しかしドルイド僧はこれを断り、こう言ったのです。

 「私には森の小径の方がむいています。こんな小径も、あなた方がお求めの道も、同じ神様のところにまで通じているのかもしれませんよ」

 ドルイド僧はゲノルに背をむけ、愛する森の中へと戻って行きました。ゲノルはグラドロンの遺骸を僧院へと運び、手厚く葬りました。

沈める都

 では、イスの都それ自体はどうなったのでしょうか? 海の底で、今もなお存在し続けているのだという人がいます。しかし、このようにいう人もいるのです。イスの都が海に沈んでいるのは、グラドロンの教会でミサが行われている間だけだというのです。このミサは今も現に進行中です。なぜなら、正式な唱和を返してくれる会衆がいないので、司祭は最後まで終えることができないでいるのです。しかし、いつか突然生きた人間が教会にあらわれ、司祭に協力した結果ついにミサが終了し、海底のイスの都が再び浮かび上がって来る日がやってくるのだろうというのです。そうして、その時にはフランス中で並ぶもののない、美しい都となるだろうと言われているのです。


 イスの勢いは相当なものだったようで、フランスの首都パリ市にからめて、「パリ市(Paris)の名前は、『イスに匹敵する』(Par-Is)という意味で付けられた(注10)。」「パリが水没するとき、イスは再び姿を現す。」といった言い伝えもあります。
 伝説の大筋は以上に挙げたとおりですが、他にも「イスを去ったグラドロン王は、改めてカンペールに遷都した。」「ある日女が浜に降りていったところ、壮麗な街区があった。歩いてみると、商店主が何か買ってくださいと勧めてきた。持ち合わせがなかったので断ると、商店主が残念そうに『一文でもいいから何かを買ってくだされば、イスは復活できたのに。』と言うと、そのまま街区は消え去り、女は浜辺で気絶していた。」「漁船の網に何かが引っかかったので調べてみると、水没したイスの寺院の十字架だった。」「今でも海の底から寺院の鐘の音が聞こえる。」といった異説・後日談が多くあります。


脚註

注1・古都カンペール(Quimper)のことと思われるが、カンペール市の東南東45キロほどの場所にはカンペルレという町もあるので、そのどちらであるかはわからない。

注2・ダユ、ダヒュ、ダユット、ダフウトと読む向きもあるが、ここではダユーと表記。伝説によっては名前がアーエス(Ahes)に変わっていることもある。

注3・聖コランタンの奇跡こと、食べ物や飲み物が豊かに出てくる泉や大釜という発想はケルトならではのものだが、キリストが五つのパンと二匹の魚を分け与え五千人以上の群衆の空腹を満たしたという下り(新約聖書マタイ福音書第14章)にも似ている。キリストの出自や生涯もケルト伝説の英雄のそれに似ているとされ、そうした類似性がケルト人の間でキリスト教が広まった大きな理由となっている。

注4・Ysはフランス語、Isはブルトン語表記。イスの名はブルトン語の「Izel(低地)」に由来するという説がある。

注5・コリガンはケルトに先立って存在した巨石文明の担い手が神格化され、やがて妖精としてケルト神話や伝説に組み込まれたものと考えられている。

注6・ランデヴェネックはクロゾン半島の基部、カンペールから北北西に35キロほど行った場所にある町。伝説に登場するグラドロン王と聖ゲノルはここに葬られているという。

注7・聖ゲノルは有名なケルトの聖人で、ブルターニュの対岸、イギリスコーンウォール地方には、その名を冠する寺院がいくつかあるそうな。

注8・場所不明。ご教示乞う。

注9・Druid。ケルトの神を祀る僧。初期ケルト社会では、政治・祭祀・教育などの面で中心的な役割を担っていた。その活動は秘密主義に徹しており、知識を文字で残すことを嫌ったため、詳細はよく分かっていない。人里離れた森の奥で暮らしては修行に励んでいたらしい。森の奥で暮らしていた聖コランタンに見るとおり、ケルトの聖人は少なからずドルイド僧に通じる部分がある。

注10・パリの地名は、周辺を支配したパリシイ族の名前に由来するという説が最有力。ちなみに「Par-Is(パリに匹敵する)」はブルトン語。

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