第四章 復讐者の血統

1 戦いの準備

城攻めを前に腹ごしらえをするドギ

 ドギは単身城に先行することになり、アドルは町で準備を整えていくことになった。アイーダはアドルに「勇者の指輪」を与えた。ボブとエレナはアドルに城に連れて行くようにとせがんだが、危険だとアドルは断った。アドルはエドガーから彫像と必要な装備を受け取り、城へと向かった。

注:ゲームの見せ場の一つ、アドルがガルバラン島行きを志願する場面は、エドガーに城攻めの許可を取り付ける場面に書き換えられている。しかしゲームにあったような意味合いはない。また、本作のボブはPCエンジン版「イースIV」のティムのような役になっている。

2 夕暮れの城

 ドギと合流したアドルは、密かに城へと侵入した。一方、こっそり後を付けてきたボブとエレナも城に侵入を果たしていた。

3 無能の王

 城での彫像捜索が急に進展したのは、彫像のありかを知るチェスターのおかげだった。チェスターはマクガイア王に、彫像を二つ手に入れたことを報告した。この時チェスターはマクガイア暗殺を企んでいたが、ガーランドの邪魔により未遂に終わってしまう。ガーランドは王にチェスターが裏切る可能性があることをほのめかし、その忠誠心を試すべく、チェスターに人質ピエール神父を処刑するよう言い渡した。
 神父はチェスターにとって父同然の存在だった。しかしここで処刑しなければ、復讐計画が失敗してしまう。チェスターが苦しい決断を迫られているとき、アドルとドギが城に侵入したという知らせがもたらされ、処刑は中止となった。
 ガーランドは言葉巧みに王から彫像を奪おうとしていた。チェスターはガーランドはガルバランの手先で、彫像を渡してはいけないと王に進言したが、ガーランドはついに本性を現し、力ずくで彫像を奪い取った。

4 甲冑像

 城は魔物と罠であふれかえっていた。アドルとドギは城の中を進んでいったが、ドギが罠で負傷してしまった。アドルは単身先を目指すことになった。

5 金色の獅子

 城の中庭では、金色の魔獣シュティルガーが待ち受けていた。苦闘の末アドルはシュティルガーを退けた。
 アドルが中庭を去ってしばらく、中庭にはエレナとボブの姿があった。

6 礼拝堂

 礼拝堂でアドルはガーランドと対面した。礼拝堂にはピエール神父、ボブとエレナがいたが、ガーランドに捕まってしまった。ガーランドはボブを人質に、アドルの持つ彫像を要求してきた。
 隙を見てなんとかボブを救出したものの、彫像はガーランドの手に渡り、エレナはガルバランがいる「死者の島」へと連れ去られた。アドルはガーランドを追った。

注:ゲームでは「先回りヒロインE」武勇伝の一つとなっている場面だが、小説版ではまるきり逆になっている。大場版エレナは飽くまでか弱い少女として描かれる。

7 動く歯車

 アドルはガーランドを追って、歯車の並ぶ鐘撞き塔を登っていった。

8 懺悔の涙

 追いつめられたガーランドは、巨大な魔物に変身した。ガーランドはガルバランの腹心だった。千年前に一度倒されたガルバランは、長い時をかけ力を回復し、ガーランドや他の魔物を復活させていった。ガーランドはガルバランを完全復活させるため、マクガイア王に取り入り、復活の鍵を握る彫像を集めさせたというのだ。
 アドルはガーランドを倒し、彫像を取り戻した。そこにチェスターが現れたが、以前のような敵対する態度は消えていた。
 アドルとチェスターは、幽閉されていた王を救助した。王は自らの過ちと愚かさをひたすら嘆いていた。チェスターは復讐を果たそうと剣を振り上げたが、王を殺すことはできなかった。駆けつけたドギがチェスターを止めたのだ。悔恨に暮れる王を目の前に、チェスターもドギも復讐心は消えていた。
 王は三人に、ガルバランの復活を阻止するよう懇願した。

9 死者の島へ

 ピエール神父は解放され、王は改心した。しかしガルバランを倒さぬ限り、フェルガナに未来はない。打倒ガルバランとエレナ救出のため、アドル、ドギ、チェスターの三人は、「死者の島」に向けて船を漕ぎ出した。アドルとチェスターは島に上陸した。

10 魔王の力

ガルバランの脅し

 エレナは島の中心部に囚われていた。チェスターは自らの過ちをエレナに詫びた。
 そこにガルバランの声が響き渡った。ガルバランは彫像を渡さなければエレナを殺すと脅してきた。アドルが譲歩すると、ガルバランはエレナの身柄を引き渡した。
 チェスターはエレナに即刻島から逃げるように言うと、アドルに彫像の効力を教えた。三つはアドルの力となるもので、「暗黒の彫像」はガルバランを「死者の島」もろとも永久に封じるものだった。「暗黒の彫像」を使えるのはイルバースの民のみ。そう言うとチェスターは「暗黒の彫像」を手に、谷底に身を投げた。

11 秘められた力

 そしてアドルとガルバランの決戦が始まった。死闘の末、アドルは彫像と「勇者の指輪」の力を得てガルバランを倒した。「暗黒の彫像」の力で、ガルバランは「死者の島」とともに永久に封じ込められた。それはチェスターの犠牲によるものだった。


エピローグ

 アドルはチェスターを失ったことをエレナに謝った。だがエレナにはチェスターの覚悟がわかっていた。イルバースの男として誇り高く死んだとして、エレナはチェスターの死を平静に受け止めようとしていた。
 レドモントでは町の人々が、アドル達の歓迎の準備をしているはずだった。しかし二人はエレナを船から降ろすと、そのままフェルガナを去ることにした。二人は新たな冒険に向けて旅立っていった。


本作の位置づけ

 作者自身があとがきに書いてあるとおり、本作はシリーズの穴埋めという側面があります。
 作者によるこれまでの小説版は、メディアミックス展開の一環という性格が強いものでした。作者が最初に手がけた「イースIV序章」は、発売を控えたゲーム「イースIV」の宣伝という意味合いがありましたし、「イースI」「イースII」は、当時発表されたTRPG版「イース」の宣伝や、世界観の紹介として必須のものでした。作者による「イースIV上巻・下巻」は、ゲーム発売の余波を受けてのものです。
 対して、本作の発行日は1995年4月です。同年にゲーム「イースV」こそ発売されましたが、当時は「イースIV」の時のような、メディアミックスによる大規模な広告展開は見られなくなっていましたので、この小説が「イースV」の宣伝であるとは考えにくいです。
 新作ゲームの宣伝という意味では、この時期に「ワンダラーズ」を小説化する理由はありません。それでもなぜ小説版が出たかというと、それは「イース」「イースII」「イースIV」が小説化されたことで、読者の間で「ワンダラーズ」小説化の要望が高まったことにあります。「I」「II」「IV」が小説化されたとなれば、残る「ワンダラーズ」も、となるのは自然の成り行きでもあったのでしょう。小説版の題名が「ワンダラーズ・フロム・イース」ではなく「イースIII」となっていることからも、基本的に本作が欠番を補完するための小説化であることがうかがえます。
 この小説化によって、大場惑氏はイースシリーズを全て小説化した作家となりました。その肩書きゆえに、後に小説版「イースVI」を手がけることにもなったわけですが、そう考えると本作なくして小説版「イースVI」はありえなかったのかもしれません。


主題について

 「ワンダラーズ」が人間の愛憎を描いた話であることは以前述べたとおりですが、その採り上げ方はゲームと本作とでは若干異なっています。ゲームではチェスターの葛藤を横軸に物語が進みますが、本作ではあとがきにあるとおり、ドギの過去に焦点を当て、その過去やレドモントとの関係を明らかにする形で物語が進みます。
 作者は小説化はまず、ゲームから物語の柱となるものを読み取る作業から始めたと述べています。「ワンダラーズ」は、ドギの故郷フェルガナが舞台です。そこで作者が注目したのは、ドギの過去を描くということでした。
 作者による小説版では、ドギはアドルの「従者」というよりは、自分の意志で単独行動をすることもある「もう一人の冒険家」として描かれます。しかし、アドルと並ぶ重要な役でありながら、ゲーム中でその過去が描かれることはほとんどありません。それゆえに、フェルガナが舞台の「ワンダラーズ」だからこそ、こうした発想が出てきたものと思われます。

 作者の狙いはドギの過去を明らかにしつつ物語を進めることにありましたが、一読してみると、ドギの過去というよりはむしろ、ドギやチェスター達の出身地「イルバース」の過去が中心になっています。イルバースの名前は本作独自のもので、ゲーム中に現れる「イルバーンズの遺跡」をもじって作られたと思われます。
 この過去の悲劇は、ゲームではストダート兄妹の口からあっさりと語られるのみですが、本作では全ての因縁の源として冒頭のプロローグを飾るばかりか、多くの登場人物の口により何度も繰り返し語られます。
 このように、本作は過去の事件に対する各者各様の関わり方や語り口を集めることで、フェルガナに隠された謎を次第に明らかにする構成をとっています。作者は「小説のたくらみ、物語の悦楽」を追求して、絡み合った人間関係を描くべく、こうした構成にしたとあとがきに述べています。
 特に同じ悲劇的過去を経験したドギとチェスターという二人の若者が、その後どのような生き方をたどったのかという対比は、本作の縦軸に匹敵すると見てよいでしょう。復讐に生きることよりも未来を見据えることを選んだドギと、過去の怨念をいまだ引きずって生きるチェスター。後に改心しますが、過去の怨念を清算するため、結局チェスターは自ら命を絶つこととなりました。同じ過去を共有しながら、対照的な未来を迎えた二人の関係は、「友にささげる鎮魂歌」という副題に集約されています。
 ただし、全体的に描写が今ひとつ絞り切れていない印象を受けます。二人の生き様の対比もぼやけがちで、もっとはっきりと対比を打ち出した方が、より印象に残る作品になったのではないかと思います。

 ところで、作者は小説化するにあたって、もちろんゲームに触れているのですが、ゲームの主題をくみ取っているかというとそうとも限りません。
 ゲームでの縦軸に匹敵した「人が生きる理由」という要素は、本作では現れません。ゲームでは(シナリオ的にはなはだ不十分ではあるものの)、復讐に燃えるチェスターがかつての自分を取り戻す姿や、無力さに自分の存在意義を疑うさなか、冒険家としての自分を取り戻すアドルの姿が描かれます。また、ゲームでは(これまたはなはだ不十分ではあるのだが)、「人が生きる理由」に対する答えとして「夢」が提示されているのですが、本小説版では一切出てきません。奇妙な話ですが、アドルの苦悩や生きる姿勢を描いたという意味では、ゲームと全く異なるはずの飛火野版の方が、かえってゲームに近かったりします。

 作者はゲームの主題には触れず、飽くまでイルバースの過去を中心にした物語として、「ワンダラーズ」を描いたわけですが、このあたりの主題の取捨選択を「作者独自の視点を生かした」と見るか「ゲームの主題を見過ごした」と見るかで、本作の評価は大きく異なってくるものと思います。


大場版の特徴

 これまでにも何度か触れていますが、作者による小説版は今ひとつ評判がよくありません。以前その理由として、ファンタジー小説として面白味に欠けることを挙げましたが、もう少し具体的に考察してみましょう。
 たとえば、飛火野版と大場版からそれぞれ、アドルが初めて目にするエレナの第一印象を描いた一節を抜き書きしてみます。

飛火野版エレナ(絵・杉浦守) 大場版エレナ(絵・池上明子)
飛火野版エレナ(左)と大場版エレナ(右)。

飛火野版:

「そこには、一人の美しい少女が映っていた。その少女を目にしたとたん、アドルの全身を電流のような何かが走り抜けた。それは、生まれて初めての体験だった。長い黒い髪、白い肌、憂いをふくんだまなざし、そして、開きかけた花のつぼみのような薔薇色の唇……。」

大場版:

「ドギがきつい口調で文句をいわなかったのは、きっと娘がかわいかったせいだと思った。十五、六歳くらいだろうか。色白で目鼻立ちのはっきりした、快活そうな娘だった。金色の髪は、肩に触れないくらいの長さに揃えてあった。服は、この年頃の娘が着るには、少し地味かと思えるくらいの落ち着いた色合いのものだった。」

 どちらもエレナが美少女であることを描写していますが、飛火野版が見た目よりもエレナの可憐さに胸打たれてしまったことを文章にしているのに対し、大場版は見たままを具体的に文章にしています。また、飛火野版のエレナがゲームの設定とは異なる黒髪の娘となっているのに対し、大場版のエレナは、設定どおりのボブカットの金髪娘となっています。
 一例を挙げましたが、同じことが他にも言えまして、作者による小説版は、短い言葉で簡潔に描写するというよりも、具体的な言葉を尽くして、ゲームに忠実に説明する傾向にあります。
 具体的な説明は人物の外見に限りません。地形、罠、敵の名前や攻撃方法、ジャンプに上突きや下突きといったアドルの動作、果てはアドルが道に迷う場面、雑魚と戦う場面、体力回復する場面といった、物語部分に直接関係のないところも丹念に説明しています。ゲーム展開のみならず、まるでゲームシステムまで文章に写し取ったようです。

 このように、作者による小説版は、作者なりの解釈や変更点こそ盛り込まれているものの、基本的にはゲームシステムまで含めて、ゲームの流れを忠実に写し取ることに主眼が置かれています。画面上での出来事をことごとく文章にすることで、世界を表現しようという意図なのかもしれません。
 しかし、詳細に説明したからといって、世界の全てを描写できるとは限りません。想像力を働かせながら世界を読み解くことはファンタジー小説の醍醐味ですが、なんでも具体的に書いてしまう大場惑氏の小説版は冗長に過ぎて、そうした楽しみに乏しいです。これが「ファンタジー小説としての面白味に欠ける」ということです。

 はっきり申し上げますと、本作は無駄な説明が多いです。そのしわ寄せが一番盛り上がるべき終盤部分に来ています。序盤から丹念な説明を続けたために枚数が足りなくなったのか、息切れしたのか、終盤部分の展開が端折り気味で、それまでの丹念さに比べてあっけない印象が否めません。
 もっとも、作者もそのことには気付いていたようで「スケジュール調整のまずさから、ラストは追い立てられるようにして収束へ向けてのかけっことなってしまいました。」と明かしています。
 さらに厳しい言い方をすれば、力を入れる場所を間違えています。たとえば本作ではアドルが雑魚相手に苦闘する場面が何度も描かれますが、小説でまで「経験値稼ぎ」をする必要はありません。思い切って核心に関係のない部分は省略して、その分の描写を、主題や盛り上がる部分に回すべきだったのではないでしょうか。冗長さゆえに、同じ過去を持つ若者どうしの対比、という作者ならではの視点がぼやけてしまっているのが残念です。
 こうした特徴はなにも本作のみに限らず、作者による他の小説版にも多かれ少なかれ現れています。ゲームの流れこそ言葉を尽くして説明しているけれども、ゲームが含んでいる雰囲気や主題は描けていないということが、大場版があまり評価されない理由でしょう。飽くまでゲームの見た目のみを忠実に説明するにとどまっている、「ゲームをそのまま文章化した」と揶揄されるのはそういうことを指しています。

 全体的に大場氏の小説版は入手しづらいです。本作もリサイクル書店を何軒か廻ってようやく見つかるか見つからないかという状態ですが、「フェルガナ」の予習として、本作を探して読んでみるのも悪くないかもしれません。

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