現在の日本ファルコムではそういうことも少なくなっていますが、「ワンダラーズ・フロム・イース」の頃までは、同社の制作者が雑誌などで直に制作裏話をすることがよくありました。8Bit版「イース」が生まれた背景をより深く理解するための資料として、制作者の言葉をいくつか紹介いたします。
今回紹介するのは山下章氏の著書「AVG&RPGIII」(1987・電波新聞社)に収録された、「イースI」開発室インタビューです。
(誤字脱字は適宜訂正。脚註は荒井が追加。役職等は当時のもの。)
今年(87年)の8月に、日本ファルコムが引越したってことをみなさんはご存知かな?(注1) 引越したと言っても、同じ中央線立川駅の南口で、以前の場所からそれほど離れていないところにある立派なビルの1フロア。この本の取材で、ボクも初めてその事務所を訪れることになったんだ。
駅の近くのロッテリアでサンパチトリオをお昼がわりにしてから、さっそくファルコムにおじゃますると……ウ〜ン、これは広い! 以前にくらべると、1.5〜2倍はあるだろうスペースに、机がビッシリ、その上にパソコンがギッシリとならべられている。
ザッと見わたすと、社員の人数もちょっと増えたって感じ。やっぱり以前のところでは人口密度が高くなりすぎたから、もっと広いところへ引越すことにしたのかな?
そうそう、ファルコムというと、昔はショップだったことで有名なソフトハウスなんだけど、新しい事務所でもちゃんとショップの部分は残っている。主にファルコムのソフトやグッズ関係のものを取り扱っているようだから、近くの人は買いに行ってみるといいかもね。ひょっとしたら、木屋さんや橋本さんといった有名プログラマーの顔も見れるかもしれないヨ。
そんなこんなで事務所内を見回していると、加藤社長と『イース』のメイン・プログラマーの橋本さんがボクを出迎えてくれた。そうだ、せっかくの機会だから、まえまえから疑問に思っていたことを聞いてみようっと。
山下「加藤社長は、なぜご自分の会社に『日本ファルコム』という名前を付けられたんですか?」
「ん〜、これはいきなり難しい質問ですねえ。僕は昔、タイに何年かいたことがありまして、国際援助のプロジェクトの調査団のコンピュータ部門の担当をしていたんです。それで、その頃から、パソコンショップを経営することとゲームを作ることが夢だったんですが、いざ自分の会社を作るというときになったら、結構安易にネーミングしてしまいましてね。”FALCON(隼)”という単語をもじってつけたんです。というのも、その当時は、〜COMという名前が業界ではやっていましたし、当時人気の『スターウォーズ』でミレニアム・ファルコン号というのがありましたから、言葉のひびきがよかったんですね。ただ”ファルコム”だけだとちょっと軽い感じがしたんで、頭に”日本”というのをつけました。最近では、その頭をおいてきぼりにして、”Falcom”だけがひとり歩きをしている感じですけどね。」
なるほど、ネーミングっていうのは、意外なところから生まれてくるものなんだなあ。―オッとっと、そんなことに感心してばかりもいられない。今日は『イース』の取材にきたのだった。美人のお姉さまに入れていただいたコーヒーに手をつける間もなく、あわただしく席を立ったボクは、橋本さんに案内されて『イース』の開発チームの面々が待つ一角へと足を運んだ。
見つけました、ファルコムのあるトミオービル! 昔より駅から近くなって、通いやすくなりました(と言っても、わずか500mぐらいですけど)。
山下「まずは『イース』の開発のコンセプトからお聞かせください。」
ボクの質問に、『ダライアス』が30万円なら買ってもいいとふだんから口にしている橋本さんは、丁寧に答えてくれた。
「最近のパソコンのRPGっていうのは、かなり難しくて終わらせるのには相当な根性がいりますよね。はたして、それが本当におもしろいのか疑問に感じてきたんです。それで、そういう作品とは逆に、マニアではない一般の人々でも気軽にプレイできるような、とっつきやすいゲームを作ってみたいと考え『イース』を制作しました。」
ウン、確かに『イース』は、RPGにありがちな「ハマルんじゃないか」というヘンな疑いの心を持たずにプレイできる、素直なゲームだ。ひとつの目的をクリアすると、自然に次の目的がわかるように設定されている。
「『イース』の広告では”優しさ(Kindness)”というのを前面に打ち出しています。これは、僕達開発の人間がプレイヤー・サイドに立って、プレイヤーがよりゲームを楽しみやすいように制作してやろうと考えたからなんです。たとえば、どこでもセーブが出来るようにする。セーブが限られているゲームだと、ムダな努力を何度もすることがありますからね。それから『イース』では、RPG特有のくどい経験値かせぎもできるかぎり避けました。経験値かせぎって言うのは、単純作業になってしまうと、どうしても飽きてしまいますからね。とにかく、ユーザーの立場になって考えるっていうのが、『イース』の最大のコンセプトだったと思います。」
あとから聞いた話によると、橋本さんはご自分でもけっこうゲームをプレイするそうで、最近では『ガンダーラ』『サイキックウォー』『ドラキュラII』『ファザナドゥ』(注2)あたりをクリアしたんだって。忙しい合い間をぬって、よくそんなにゲームをする時間があるなあなんて感心したんだけど、それだけいろいろなゲームをプレイしているからこそ、ユーザーの気持ちが良くわかっているのかもしれないね。プログラマーではあるけど非常にゲーマーに近いっていうのが、ボクの橋本さんに対する正直な印象だ。
それから、『イース』でもうひとつ驚かされるのが、開発期間がわずか5か月足らずだったということだ。最近では開発に1年ぐらいかかるソフトもあたりまえになっているのに、それだけの短時間でどうしてあんなに完成度の高い作品が作れるのか、秘密を知りたいところ。その点について、橋本さんは次のように語ってくれた。
一見すると事務所でも、中ではちゃんとグッズも売ってマ〜ス。「どんどん買いにきてください」とは、麻雀がとっても強いという噂の井上部長のお言葉。
「これはもうチームワークの勝利と言うしかないでしょう。それこそ言いたいことを言いあって、納得のいくまで話し合う。それによって、そのあとの開発スピードが速くなるということの繰り返しでしたから。ただ、開発中の5か月間は、開発員一同『イース』のこと以外は何もできませんでしたけどね。」
チームワークの話にうつると、『イース』開発スタッフの面々が、我も我もと身を乗り出してきた。
これが『イース』開発スタッフがいる一角。隣では富に元気な木屋さんが『ソーサリアン』のプログラミングをしていた。
まず最初に口火を切ったのが、ファルコムの語り部こと山根さん。『ザナドゥ・シナリオII』をプレイしたことのある人なら知っているだろうけど、Vorpal-Weaponを持っていた文字モンスター(注3)、Tomoo Yamaneその人だ。山根さんは『イース』では、主に背景データやタイトルのグラフィックなどを担当している。
「『イース』の地形データっていうのはけっこうパワーにまかせて作っちゃったりしたんですけど、例えば”木”ひとつを考えてみても、2キャラクタ使っていて、右側が光っていて左側が暗く描かれています。で、木のてっぺんのパーツには、木・平地・砂地・水辺のそれぞれにさしかかっている物があるんですが、木にさしかかっている場合は、うしろの木の明るいほうに面している物と、暗いほうに面している物の2パターンがあるんです。結局木のパターンだけで16種類も描いたわけなんですが、マッパー(マップを実際に作っていく人)がどれがどれだかわからなくて、適当にやっちゃったみたいですね、ハッハ。そうそう、それでマッパーの倉田氏が苦肉の策として作ったものに、”自動植林プログラム”というものがあるんですが、木のてっぺんをPUTしたときに下のキャラクターを見て、合成してグラフィック化してくれるという、聞いてみると非常に便利そうなプログラムなんです。ただ、そのプログラムは一度学習させなければいけないんで、全ての条件を覚えさせるのに非常に時間がかかりました。まあ、いわばちょっとした人工知能プログラムとでも言いましょうか。結局トータルで300以上のデータを登録したわけなんですが、野原の上のほうの森なんかは、全てこのプログラムで作られたものなんですよ。」
山根さんっていう人はけっこうひょうきんな人で、話の中に笑いが絶えることがないってカンジなんだけど、そのグラフィック・デザイナーとしての手腕はかなりのものなんだそうだ。以前は「ドット野郎・山根」なんて呼ばれてたこともあるんだヨ(知ってるかな?)。
加藤社長、橋本さんと対談中の風景。普段じゃ聞けないようなオモシロイ話も飛び出したのだ。
山根さんに続いて話をしてくれたのは、問題の(?)”自動植林プログラム”の倉田さん。倉田さんは、マッパーの他に、『イース』のFM−7/AV版の移植も担当している。
「僕は例の人工知能プログラムを駆使して木をならべていったんですが、意気ごんで木をいっぱい立てたものの、スクロールの際にうねるということで、涙ながらに減らしていきました。あと、マッピングのときに、シナリオ・ライターと口論することもしばしばでして、たとえば、塔の中のこことここに人を置いてくれという指定がきたときなどに、何でこんなところに配置しなきゃいけないのか疑問に思ったら、『こんなところでコイツ何を食って生きてんだよ!』なんてイチャモンをつけたりして……。単にシナリオライターをいじめているだけかもしれませんけどね。」
倉田さんがファルコムに入るきっかけとなったプログラムは、FM−7用のなつかしのAVG『異次元からの脱出』(注4)なんだそうだ。そういえば、ボクもあのゲームはプレイしたかったんだよなあ。でも、いつまで待っても88版が発売されなくて……。それにくらべると、今はすぐにソフトがいろんな機種に移植される。いい時代になったもんだ。
さて、次に話をうかがったのは、もうひとりのマッパーで、『イース』をPC−98へわずか2週間で移植したという桶谷さんだ。
今度はマップ・デザイナーの桶谷さんからお話をうかがう。ヤヤッ、テーブルの上にあるビンはナンだ!?
対談中にこんなコマンドを入力してはいけません ―「DRINK ××××」。
「『イース』は正面上方から見おろした画面構成のため、扉を縦方向にしか置くことができません。だから、神殿や廃坑の中を迷路っぽくするのが、けっこうツラかったですね。それから、ボクは98版の移植を担当したんですが、FM音源ボードを持っていないユーザーのためにBEEP音でBGMを入れておきました。でも2曲しか入れられなかったので、ハーモニカをレアに渡したときのBGMや、悪魔の回廊のBGMがないんです。入れなかったほうが良かったかなあ、なんて、あとから後悔してるんですけど……ハハハッ。」
おつぎは、シナリオ・ライターでもあり、MSX2版の移植版のプログラマーでもある、宮崎さんのご苦労話。
「そうですねえ『イース』のシナリオを書いているときに一番困ったのは、メッセージがすべてひらがなだったことですね。たとえば、”廃坑”という言葉は漢字で書くと一目瞭然ですが、ひらがなで”はいこう”と書くと何が何だかわからないんです。今度シナリオを書くときは、ぜひ漢字を使いたいですね。」
ウーン、『イース』の製作スタッフは、みなさん目立ちたがり屋だなあ。ボクが質問しなくても、どんどんオモシロイ話をしてくださる。てなわけで、つぎは、ベーマガ誌上で”コピロン”というペンネームで、すっかり有名になった『イース』のキャラクタ・デザイン担当の古代彩乃さんだ。
「ホントはもっと大きなキャラを作りたかったんですよね。決められたワクの中だと、どうしても自分が作りたい物が作れなくて……。まあ、次の機会に期待してます。ね、橋本さん!」
なるほどねえ、プログラマーっていうのは、こうやって各セクションからくる要望もうまく調停していかなくちゃいけないのか(”次の機会”っていうのも、なんだか気になるゾ)。オッと、そうそう、『イース』と言えば忘れちゃいけない、音楽プログラマーのかたがたの話も聞いてみよう。まずは、PSG版の曲のほとんどを作られた、ボクと同い年の石川三恵子さんだ。
「FM+PSG音源6声使用の完成された曲をPSG3声にアレンジするっていうのは、本当に大変な苦労でした。X1ユーザーのかたがたからは、『手抜きだ』などの苦情もいただきましたが、決して手は抜いていません! FM音源版のオリジナルから、単にメロディー、サブメロディー、ベースを抜いて3声に置きかえたわけじゃないんです。各曲の個性を残しつつ、88版に勝るとも劣らない迫力を出すことに命をかけたのです!」
―うん、これはボクもそう思う。X1版の音は、今までのPSGミュージックの中では、傑出した仕上がりなんじゃないだろうか。事実、『パソコンサンデー』(注5)の収録中に、出演者の小倉さんや高橋さんがX1版の音を聞いて、「コレ、FM音源でしょ?」とのたまわったくらいなんだから。X1ユーザーのみなさん、たしかにFM音源ボードには対応しなかったのは残念だけど、PSG版のBGMも決して捨てたもんじゃありませんヨ。
88ユーザーのボクが、素直にそう思う 素直にそう思うホント(そういえば橋本さんもさかんにX1ユーザーのみなさんに謝っていた)。
さて、インタビューの最後にひかえしは、パソコン・ミュージック業界の第一人者と言ってもおかしくない、古代祐三さん。彼に、『イース』で苦労したことを語ってもらった。
「『イース』の音楽を作る際に自分でミュージック・ドライバーを作って、その上でプログラミングしていったのですが、作っていくうちに、だんだんそのドライバー上ででる音だけじゃ満足できなくなってくるんです。それで、勝手にドライバーを改良しちゃうんですが、これで一番災難を受けたのが、プログラマーの橋本さんでした。そのたびごとに新しいドライバーをプログラムに組みこんでいって、結局完成版の『イース』には、3種類のミュージック・ドライバーが入っているんです。そうそう、移植の人たちも泣いてましたね。」
ミュージック・ドライバーを何度も改良する−口で言うのは簡単だけど、その裏には、なみなみならぬ努力があったに違いない。『イース』の完成度の高いミュージックは、そうした妥協を許さない姿勢から生まれているのだとあらためて実感させられた。
とってもキレイな社長室の中。加藤さんは忙しそうに、お仕事をしていた。来年の新春発売の『××××』の企画を練ってるのかな?
これで一応、『イース』のスタッフ全員へのインタビューが終わったわけだけど、最後にひとつ、一番聞きたかった質問を加藤社長にしてみた。
山下「日本ファルコムは、今後どのような物を作っていきたいとお考えですか?」
「いや〜正直言って、どうしたらいいのか、みなさんにお聞きしたいですよ。『ドラゴンスレイヤー』シリーズを存続するかどうかは別にして、何か新しいことをやってみたいですね。教育ソフトなんていうのもやってみたいし……。ゲームでしたら、ゲームをプレイすることによって、その人が新しい体験をしてくれて、人生にひろがりを感じてもらえるような作品を作っていきたいですね。今でこそ、ゲームはあまり良くないものというイメージでとらえられていますが、はたして、数百年前に冒険小説などが世間にでてきたときに、それらは良いものとして受け入れられたでしょうか? しかし、今、冒険小説を読んでいて、それを悪いことだなどと批判する人はどこにもいません。つまり、ゲームは近い将来、世間でキチンと位置づけられる可能性は十分あると思うんです。それが将来も”ゲーム”と呼ばれているかどうかはわかりませんが、私たちとしては、それに貢献できるようなソフトを生みだしていきたいですね。」
さすがパソコンソフト業界で1,2を争うソフトハウスの社長、しっかりとした考えを持っていらっしゃる。そう、ゲームが単なる”遊び”の域を脱する日は、将来きっとやってくるとボクも思うんだよね。それがはたして、映画や小説のような形になるかどうかはわからないけれど、文化媒体と呼ばれるところまで成長してくれたら、これ以上うれしいことはない。ゲームがそうやって成長していく過程を目の当たりに見られるボクらは、なんという幸せな時代に生まれたんだろう−そんなことを考えながら、ボクは日本ファルコムの新事務所をあとにした。
最後に、橋本さんが、ニューゲーム(注6)―まだ発表できないけど、たぶんみなさんのご想像通り―のプログラミングを着々と進めていたということを、ここに記しておこう(’88年2〜3月頃の発売だってさ!)。
これがファルコム特製のグラフィック・エディタの画面。キャラを指定すれば、サブ・スクリーンでアニメ処理もみれちゃうんだ。
注1:以前までの日本ファルコムの住所は、立川市柴崎町2−2−19カトービル。この当時は立川市柴崎町2−1−4トミオービル3Fとなっている。
注2:どれも当時発売されていたコンピューターゲーム。「ガンダーラ」は拙サイト記事「イースに憧れたゲーム達」をご参考に。「サイキックウォー」(1987・光画堂スタジオ)はSFな世界観の3DRPG。超能力者らによる戦いが描かれる。「ドラキュラII」(1987・コナミ)は、かの有名な「悪魔城ドラキュラ」の続編。RPGの風味が加えられているらしい。「ファザナドゥ」(1987・ハドソン)はファルコム通には言わずとしれた「ザナドゥ」のFC版迷移植。
注3:「ザナドゥ・シナリオII」の裏技で出現する、文字の形をした敵。戦うこともできる。
注4:80年代中頃に日本ファルコムが制作したAVG。当時、日本ファルコムは怪奇物AVGでもその名を知られていた。この路線の延長線上に「デーモンズリング」「アステカ」などがある。その「アステカ」が「アステカII太陽の神殿」となり、それがやがて「イース」へとつながっていく。
注5:当時やっていたパソコン紹介番組。山下氏もレギュラー出演して、パソコンゲームの紹介などをしていた。「小倉さん」と「高橋さん」とは、同番組司会者の小倉智昭氏と出演者高橋雄一氏のこと。
注6:「イースII」のこと。