"より難しければいい"というのは、危険な思いこみだ。今、RPGは優しさの時代への第一歩を踏み出した。
〜「イースI」のキャッチコピーから
「イース」は物語性や音楽で評判になりましたが、それだけではここまで語られるような、歴史的作品にはなりえませんでした。今回は8Bit版紹介の締めくくりとして、「イース」がどのような作品だったかについて考察します。
「イース」が当時のゲームに対する反省と問題提起として作られた作品であることは以前述べたとおりです。それはゲームシステムについても同じことが言えます。
「イースI」の下敷きになったのはAVG「太陽の神殿」です。もちろんゲームシステムをそのまま使ったわけではありませんが、「イースI」は「チップキャラによるフィールド移動」と「建物内でのグラフィック表示」「アイテムのアイコン選択」という「太陽の神殿」の様式を受け継いでますので、ゲームシステムは「太陽の神殿」の延長線上にあると言ってよいでしょう。「太陽の神殿」をARPG向けに作り直したのが「イースI」のゲームシステムだと見ることもできます。
「イースI」のゲームシステムの大きな特徴としては、次のものが挙げられるでしょう。
曲線を描く山道。87年当時はこれがスクロールするだけでもハイテクだったのだ。
「イースI」がそのゲームシステム最大の売りとしたのは、高度なスクロール技術でした。今となってはもはや驚くにもあたりませんが、当時の8Bit機において、フルカラー(とはいえせいぜい16色程度)のグラフィックで描かれたフィールドマップを高速かつ滑らかにスクロールさせるには高度なプログラミング技術が必要で、実力のある一部のソフトハウスが実現できるにとどまっていました。現に日本ファルコムのライバルだったT&Eソフトの「ハイドライド」シリーズさえ、スクロールを実装していたのは一部の機種だけです。
「イースI」のフィールドマップは、凝ったグラフィックで描かれていました。滑らかな曲線を描く山道や廃坑の内壁はもちろんのこと、草原の木を無理なく配置するために「自動植林プログラム」なるものまでが作られています。こうして作られたマップは見栄えのするもので、それがキャラクターの重ね合わせを実現しつつ滑らかにスクロールするというだけでも、当時は驚くべきことだったのです。
スポット処理される廃坑内。「イースI」の技術力の一端を見せつけた。
その技術力の一端は、円形スポット処理にも伺えます。「暗いところでは自分の周囲の僅かな範囲しか見えなくなる」という演出は「ウィザードリィ」の昔からありましたし、「ドラゴンクエスト」(1986/5・エニックス)にもありました。しかしその多くは、区画やチップキャラ単位で(つまり「四角く」)見える範囲を制限するというものです。「イースI」のような円形スポット処理は高度な重ね合わせ技術を必要とするもので、それまでなかなか例のないものでした。
「イースII」音楽試聴モード。「イースといったら音楽」という評価は初回作以来のもの。
「イースI」において、何より衝撃的だったのは楽曲群でしょう。現在でこそ、日本ファルコムはゲーム音楽で評判になっていますが、「ザナドゥ」以前、音楽面ではぱっとしないソフトハウスでした。実際、当時アーケードではセガにコナミやナムコといったメーカーが、すでに高水準の楽曲でしのぎを削り合っていましたし、パソコンでは日本テレネットやゲームアーツといった技術どころのソフトハウスが、FM音源を駆使することで評判になっていたのです。
その中で日本ファルコムはどちらかというと並の水準だったのですが、そこに一人の音楽家が現れることで状況は一変します。それがかの古代祐三氏です。
「イースI」以前、古代氏は「YK−2」のペンネームを使い、電波新聞社の「マイコンBASICマガジン」誌の執筆陣の一人として活動していました。同誌では、アーケードゲームの楽曲をパソコンの内蔵音源で再現する音楽演奏プログラムを発表していたのですが、そのプログラムは音楽センスの高さはもちろん、機械語レベルで直接FM音源を操作するような高度な技術力も備えており、多くの読者の支持を集めていました。古代氏は同人活動にも力を入れており、そこで内蔵音源を使いこなす腕前を磨いたと語っています。
ある日オリジナル曲を作りたいと思い立った古代氏は、日本ファルコムに自作曲のデモテープを持ち込みます。それをきっかけに日本ファルコムで働くことになるのですが、これがその後の伝説の始まりでした。「ザナドゥ」と「イースI」の間のことです。
芸術家の家庭で育まれた非凡なる音楽センスと、同人活動で培われた高い技術力。古代氏は高水準の楽曲を提供する一方、日本ファルコムのプログラマーと協力して高品位な音が出せる音楽ドライバーを開発し、同社の音楽水準を底上げしました。こうして生まれた楽曲の数々は「ザナドゥシナリオII」「イースI」「ドラゴンスレイヤーIV」「ソーサリアン」「イースII」といった作品群で次々に発表されたのですが、それは当時のゲーム音楽では抜群に優れたもので、瞬く間にプレイヤーを魅了したのです。
「イースI」の楽曲の凄さを伝える逸話として、こんな話があります。
古代氏は「イースI」のために膨大な楽曲を作ったのですが、作っているうち既存のドライバーの性能に飽き足らなくなり、勝手にドライバーを改良してしまいました。この「災難」のおかげで、プログラマーの橋本氏はそのたびに新しいドライバーを組み込む羽目になり、結果、「イースI」には三種類の音楽ドライバーが組み込まれることになりました。さらにこれを他機種に移植するのも大変だったようで、古代氏は「移植の人たちも泣いてましたね。」と語っています。
ゲームを盛り上げる楽曲の数々は、「イースI」の大きな売りの一つでした。「イース」と音楽は切っても切り離せないものとなり、音楽性の高さはシリーズに欠かせない要素となりました。
「ザナドゥ」以降、日本ファルコムがメディアミックス展開に力を入れていたことも相まって、「イースI」のサウンドトラックCDが発売されると、日本ファルコムは一躍、パソコンゲーム業界どころか日本のゲーム音楽界を代表する存在になります。そしてコナミとともに、キングレコードより日本初のゲーム音楽専門レーベル「ファルコムレーベル」を起ちあげることになったのです。
「イースI」は体当たり式の戦闘システムを採用しています。戦闘システムとしてはこれ以上ないほど簡素なものでありながら、「イースI」はアクション性の高さでも評判になりました。それはなぜでしょう?
ここで一度、「イースI」以前のARPGの戦闘システムを見てみましょう。
ARPGの源流となった「TOD」では、剣を抜いた状態で敵と交差すれば攻撃できます。しまった状態で敵と交差するとミスになりますが、そのかわり正面からの呪文を防げます。プレイヤーは絶えず意識して攻防を使い分けなければなりません(注1)。
元祖ARPG「ハイドライド」には、攻撃モードと防御モードがあります。攻撃モードで敵にぶつかれば大きなダメージを与えられますが、敵の進行方向や位置によっては大ダメージを喰らいます。防御モードで敵にぶつかれば、大きなダメージを受けることはありませんが、その分与えるダメージは格段に少なくなります。ですから、プレイヤーには進行方向を意識して敵にぶつかったり、防御モードで体力を削って攻撃モードでとどめを刺すといった戦術が求められます。
このように「イースI」以前にも、それなりに凝った攻防切り替えを盛り込んだ作品はありました。一方「イースI」は体当たりだけです。にもかかわらず高いアクション性を実現したものこそ、イース式の「半キャラずらし」なのです。
ダメージを受けて突き飛ばされるリーボル。小さな工夫が爽快感に大きく寄与している。
「イースI」の戦闘システムは、敵にぶつかるとダメージを与えられるというものです。ただし真正面からだとこちらも相応のダメージを喰らいますので、敵キャラとチップキャラ一つ分座標をずらしてぶつかれば、ダメージを受けずに一方的に攻撃が当てられる仕様になっています。このチップキャラ一つ分の座標差が、ちょうどアドルや敵キャラの大きさの半分にあたるので、この技は「半キャラずらし」と呼ばれています。
「半キャラずらし」自体は、元祖ARPG「ハイドライド」がすでに実現しており、決して新しいものではありません。しかし「イースI」には「イースI」ならではの工夫があります。それは「敵を突き飛ばせる(または交差できる)」仕様にしたことでした。
「ハイドライド」や「ドラスレ」「ザナドゥ」にて、敵は「障害物」でした。プレイヤーの行く手に敵がいれば、地形同様引っかかります。そのため敵の体力を削るために連続攻撃を仕掛けようとすれば、常に敵に接触し続けることになります。接触している間は反撃を防ぐ手段がないので、ダメージを与える一方で、ダメージを受ける危険性も高くなっています。
ところが「イースI」では、体当たりをするとダメージを受けた側が突き飛ばされます(ボス戦では交差するだけ)。接触しているのは一瞬ですので、その分反撃の危険性が下がっています。さらに半キャラずらしをする限りこちらがダメージを喰らうことは一切ありません。そのため「イースI」の戦闘は回避や連続攻撃・一撃離脱がやりやすく、爽快感あるものに仕上がっています。
「イースI」には「TOD」や「ハイドライド」のような防御操作は盛り込まれていませんが、「半キャラずらし」がそのかわりになっています。言わばイース式の「半キャラずらし」は、攻防一体型の戦闘システムなのです。
「イースI」のアクション性の高さを示すのが、ボスキャラ戦でしょう。ボスキャラはさすがに突き飛ばせませんが、そのかわり、交差して通過できるようになっています。ボス敵はそれぞれに異なった移動パターンと攻撃手段を備えていますが、本体に攻撃能力はなく、あっても低いものになっています。そのため隙を狙って本体に一撃離脱を繰り返すのが非常に有効な戦術なのですが、それを可能にしたのが他でもない、交差可能な体当たり戦闘システムだったのです。もし体当たりのたびに「障害物」に引っかかって足止めされる仕様だったら、「イースI」のボス戦は相当にストレスの溜まるものになっていたでしょう。一見単純な「半キャラずらし」も、細かく見れば爽快感を高めるための工夫が盛り込まれているのです。
強敵ヨグレクス&オムルガン。もし「引っかかる」仕様だったらどうなったことやら。
凝った攻防切り替えを実現したARPGがすでに存在していた当時、「イースI」があえて「半キャラずらし」を選んだのは、そのシンプルさゆえと思われます。
先述のとおり、「イースI」には高水準のスクロール技術が盛り込まれているのですが、それはそれなりにマシンパワーを喰うものでした(注2)。もしここに凝った戦闘システムを盛り込んだら、スクロール速度や操作性の低下は免れません。よくできたゲームシステムも、スクロールが遅かったり操作がもたつけば、途端に爽快感が失せてしまい、遊ぶに堪えないゲームになってしまいます。
貧弱なハードにおける快適なスクロールと爽快な戦闘システムの両立。思うにその妥結点として選ばれたのが、戦闘システムとしてはこれ以上ないほどにシンプルな―ハードの負担が軽い―「半キャラずらし」だったのではないでしょうか。その証拠に、その後橋本氏が手がけたスーパーファミコン用作品にて、「半キャラずらし」を採用したものは一つもありません。「イースI」の象徴の一つである「半キャラずらし」は、飽くまで当時のハード性能を考慮して盛り込まれたものだったのです(注3)。
おなじみ「非戦闘レベルアップ法」。こんなところにも制作者の配慮が。
「イースI」「イースII」では戦闘以外にも、依頼をこなしたり、人助けをすることで一定の経験値が得られます。得られる経験値は若干量ですが、その分だけ経験値稼ぎを免除されますので、少しだけゲーム進行が楽になっています。その好例が、金の台座とサファイヤの指輪を利用した、序盤の非戦闘レベルアップ技でしょう。イベントによる経験値上昇はTRPGではよく見られるものですが、これを盛り込んだCRPGはごく少数で、この試みは珍しいものでした。イベントの多い「イース」だからこそ可能だったのかもしれません。
当時のCRPGにて、戦闘による経験値稼ぎは欠かせない作業でした。ところが戦闘は単調な作業に陥りやすく、経験値稼ぎがプレイヤーにストレスを与えることもしばしばでした。イベントによる成長は、経験値稼ぎの負担を軽くして遊びやすくするための工夫の一環で、「イース」の隠れた特徴の一つとなっています。
戯れ言ですが、制作者はこの戦闘外の経験値上昇に「戦闘ばかりが能ではない」という主張を託しているように思われます。人間の成長には、肉体的な成長ばかりではなく、精神的な成長も含まれています。「人間の成長」は、後のクインテット作品で描かれる重要なモチーフの一つですし、強くなることは心の成長を伴うという主張は、「人間性や信頼を大事にする」という「イース」の方針にも合致します。そこで制作者はゲームシステムと物語での「優しさ」の体現の一つとして、イベントによる経験値上昇を盛り込んだのではないか...と、荒井は深読みしたくなるのです。
昨今のシリーズではイベントによる経験値上昇が廃され、戦闘以外の方法では経験値を得られなくなりました。ゲームシステムの進歩により、経験値稼ぎが苦にならなくなったからこそなのでしょうが、イベントによる成長に「優しさ」を深読みする荒井としては、寂しさを憶えたりもします。
このように、「イースI」には様々な技巧や工夫が見られるのですが、それらはすべて、快適なプレイ環境のためのものです。そして実際、その遊びやすさはプレイヤーから称賛されたのです。
注1・厳密には剣を出した状態でも、楯を持つ左手方向の呪文が防げるようになっている。この状態で呪文を受けないと宝箱が出現しないフロアもあり、ゲームクリアに必須の技となっている。
注2・「イースI」の画面構成の大きな特徴である「飾り枠」は、マップ表示範囲を小さくすることで少しでも描画速度を上げるためのもので、当時のゲームではおなじみの手段だった。
注3・その後PCエンジン版制作者の岩崎啓眞氏が、オリジナル制作者の山根ともお氏から聞いた話として、半キャラずらしが採用された理由を明かしている。当初は剣を振って攻撃できる仕様だったのだが、あたりまえすぎるということで没になった。そこでもっと簡単な体当たり方式を試してみたところ、意外と感触が良かったので、そのまま本採用になったとのこと。