「ここまで来て今さら引き返すことなど……出来るものか!」
「フェルガナの誓い」より
リメイク版「フェルガナの誓い」。リメイクと言うより新しく作り直したと言うのがふさわしい。
1998年の「イースエターナル」を皮切りに、日本ファルコムではシリーズの新作発表と旧シリーズのリメイクを進めています。その一環でシリーズ三作目である「ワンダラーズ」も、「イース〜フェルガナの誓い」(以下「フェルガナ」と略)として改作されています。ここでは「フェルガナ」について軽く触れておきます。
視点こそ変わったが演出とアクション性は旧作以上。日本ファルコムの技が光る。
「フェルガナ」は「ワンダラーズ」の発売から約16年後、2005年6月に発売されました。機種はWindows XP以降。その間のパソコンの進歩にともないゲーム内容も大幅な増強が図られました。
「フェルガナ」は「ワンダラーズ」を基本としながら全般にわたって手が入れられ、旧作とは全く異なる作品に仕上がっています。特にゲームシステムは全くの別物となっています。
サイドビューだった視点は、状況に応じて視点が変わる可変式のトップビューに変更されました。トップビューに変わったものの、ポリゴンによる立体表現をよく活かし、旧作以上に凝った演出とアクション戦闘を実現しています。補助的な役割に留まっていた旧作のリングパワーは特殊攻撃「リングアーツ」として生まれ変わり、より激しく劇的な戦闘が楽しめるようになりました。このアクション戦闘は「ワンダラーズ」よりむしろ、「イースV」や「イースVI」の進化形で、それまで日本ファルコムが培ってきたトップビューARPGのノウハウが余すところなく詰め込まれています。
マップは全く見直され、アクションを使った謎解きや探索が存分に楽しめるようになっています。旧作ではどこでもできたデータセーブは、決められた場所でのみセーブできるというセーブポイント制に変更されました。難しいながらもリトライを繰り返すうち、やがて倒し方が見えてくるボス戦のバランス設定も見事。これら変更によって「フェルガナ」では、「ワンダラーズ」にはなかったアクションゲームならではの達成感が存分に味わえるようになりました。そのゲームシステムの完成度はシリーズ随一のもので、発売直後からシリーズ最高峰と賞賛されました。楽曲は全編にわたり旧作BGMのアレンジ版が使われ、旧くて新しいフェルガナ冒険記が描かれるという寸法です。
リメイクで物語も大きく変わった。しかしそこに違和感を覚えるファンも。
アクション部分は文句なしの一言ですが、その一方で「フェルガナ」は、オールドファンに不満を感じさせることもありました。その大きな理由は改変された物語でしょう。
「フェルガナ」では物語も、旧作を基にしながら大きく変更されています。魔王復活にからむ人間の愛憎劇という輪郭こそ同じですが、「フェルガナ」ではストダート兄妹が中心に据えられ、その生き様が物語の主題となっています。そのため全体にわたってストーリーとシナリオが書き換えられた結果、「ワンダラーズ」で描かれたアドルの苦悩や「夢」というテーマは影をひそめ、また、エレナも行動派ヒロインからただのヒロインへと変化しました。いわばリメイクの過程で「ワンダラーズ」の魅力的な部分がなくなってしまい、これを残念に思う向きも多かったのです。
また「フェルガナ」では「有翼人文明」設定が持ち出されています。最終ボスガルバランは、「イースVI」の舞台、カナン諸島由来の生体兵器であるということにされ、「有翼人文明」に関する冒険として再定義されています。古の魔王ガルバランがただの戦闘兵器にされたこともさることながら、フェルガナ冒険記もシリーズ迷走の元凶と見なされる「有翼人文明」と関連づけられてしまい、シリーズの大きな魅力であった神秘性が大きく損なわれた、と不興をかこつオールドファンもいます。
エメラス・古代文明・有翼人。オールドファンは嘆く。元々そんなゲームじゃなかったのに!
「フェルガナ」のゲームとしての出来はシリーズ随一のもので、(巧拙はさておき)物語も特に大きな破綻はなく、非常に優れた作品であることに違いはありません。ただし「フェルガナ」は飽くまで「ワンダラーズ」に上書きして新しく作られた「フェルガナ」であって、「ワンダラーズ」の魅力を発展させた作品ではありません。どんなに出来が良くとも「ワンダラーズ」への思い入れを凌駕するには何かが決定的に足りなかったようで、「『ワンダラーズ』の方が好き」というファンも根強く存在しています。
前作への思い入れゆえに手放しで褒められないという部分では、皮肉にも「ワンダラーズ」も「フェルガナ」も、同じものがあるのかもしれません。
「僕は、自由っていうものがこんなにすばらしいものだと、今になって、やっと気付いたんだ。」
「ワンダラーズ・フロム・イース」より
制作当時の雑誌記事によれば、本作を作ったのは「失われし古代王国」の主要スタッフです。デザイナーの山根ともおさんと音楽家の古代祐三さんこそ参加していませんが、アートディレクターに桶谷正剛さん、楽曲に石川三恵子さんが参加しています。特に前二作のメインプログラマー橋本昌哉さんとシナリオライター宮崎友好さんはそれぞれメインプログラムとシナリオを担当し、本作でも中心的な役割を果たしたようです(ちなみに山根さんは当時「スタートレーダー」を手がけていた)。
しかし出てきた作品は前二作とは全く異なるものでした。「イース」シリーズといえばゲーム業界に革命をもたらしたビッグタイトルです。当時ならば、そのネームバリューと、同じようなゲームシステムで無難な続編を作ることも可能だったはずですが、制作者はあえてそのようなことをしませんでした。
物語のテーマも宮崎さんの十八番「創造と破壊」ではなく「人間の夢」です。そもそもこの「夢」というテーマもゲームの後半になってから提示されるもので、何の前触れもなく悩みだすアドルと相まって唐突さは否めません。
本作の製作体制についてこのような噂が伝わっています。「スタッフは別のゲームを作ろうとしていたのに、日本ファルコムの上層部がイースシリーズ以外作らせてくれなかった。新しいゲームとして作っていた作品を、上層部により無理矢理イースシリーズにさせられてしまった」と。
実は「ワンダラーズ」は発売がかなり延期されています。当初は89年春の予定でしたが、実際に発売されたのは同年7月のことでした。小学館のパソコン雑誌「ポプコム」では88年12月号(11月発売)に第一報が載り、その後89年2月号まで3号にわたって鋭意制作中と紹介されていました。ところがその後ぱったりと情報が途絶え、再び「ワンダラーズ」の情報が載ったのは、発売直前の89年7月号のことでした。
その89年7月号の記事には気になる文章が載っています。「発売に向けて再始動」「開発途中にはいろいろあったらしいけど、実際に動いている画面を見たら、そんなことはゲームのできとはまったく関係ない。」「何はともあれ、これが発売されないような状況にならなくてよかった。デモを見ながら、つくづく『こいつが出なかったら国家的損失だな』と、マジで感じていた。」 これら経緯から察するに、どうやら「ワンダラーズ」は制作中、発売中止さえ危ぶまれるような危機を迎えていたらしいのです。
ポプコム89年2月号より、88年秋当時の日本ファルコムスタッフの面々。伝説の錚々たる顔ぶれが揃う。
中には橋本昌哉さん(後列右から8人目)、宮崎友好さん(同じく7人目)、山根ともおさん(左端)も。
おそらく黄金期スタッフが集結した、最後の記念写真。
その危機とは何か。それは主要スタッフの離脱、具体的には89年4月の橋本さんと宮崎さんによるソフトハウス「クインテット」創立と思われます。
「ポプコム」の記事から伺うに、「ワンダラーズ」は相当に難産だったようです。まず第一報ではゲームの名称さえ決まっておらず、便宜上「イースIII(仮)」と呼ばれていました。主役こそアドルでしたがその年齢は21歳になったり19歳になったりと一定しません。ゲームも88年中にはほぼ完成していたようなのですが、発売されたのは翌年7月のことでした。
当時の日本ファルコムは「ザナドゥ」から「イースII」に至る作品群の連続大ヒットにより、まさに絶頂期にありました。しかし当時を知る関係者の証言によれば、製作に携わったスタッフはあまり報われていなかったようです。
PCエンジン版「イースI・II」の制作者岩崎啓眞さんはその同人誌「The Colorful Pieces Of Games」にて、当時山根ともおさんから聞いた話として、スタープログラマーである「ザナドゥ」の木屋善夫さんに比して、イースチームの面々には「日陰者」だと卑屈になっていたところがあったと明かしています。その山根さんについても、「イースII」のオープニングアニメ製作に際し、当時のファルコムの加藤社長に当初さんざん実装を渋られたものの、それが大好評を収めるや「最初からやるつもりだった」と、手のひらを返すような発言をされたことを根に持っていたという逸話が紹介されています。当時イースチームがその扱いについて、日本ファルコム上層部に対し強い不満を抱えていたことは確かなようです。
クインテット初回作「アクトレイザー」。「ワンダラーズ」に通じるサイドビューアクションモードを備える。
制作者が作りたかったのはこういうゲームだったのかもしれない。世が世ならファルコムから出ていたのかも。
これらから察するに、件の噂は極めて真実に近いと見て良いでしょう。どうやら「ワンダラーズ」では制作方針を巡って制作者と上層部の意見が衝突し、制作が難航したようです。新しいゲームを作りたかった制作者と、「イース」の続編を求めた上層部。やがて両者の亀裂は決定的なものとなり、主要スタッフは新天地を求め独立を決意。そして大部分ができたところでファルコムを離脱。その影響でソフトの完成と発売が遅れてしまったのでしょう。
前出の岩崎啓眞さんの同人誌には、これも山根さんから聞いた話として「ワンダラーズを作る前から橋本さんらは『ワンダラーズが終わったら辞める』と言っていた。『スタートレーダー』完成直後に『ワンダラーズ』も完成し、そこでそのとおりファルコムを辞めた。」という証言が現れます。
「ワンダラーズ」の取説と付録イラストカード。エレナを差し置いて、登場しないリリアとフィーナの姿が。
多くのファンは続編を求めていたし、会社も新たな「ドル箱」となったシリーズを終わらせたくはなかったのだろう。
雑誌での発表から発売までの経緯を見るに、早いうちから変更指示は度々出されていたのでしょうし、制作終盤まで揉めに揉めただろうことが想像できます。演出やシナリオの修正等々、衝突にともなう仕様変更も数あったことでしょう。その混乱ぶりはそもそも、単純に「イースの第三弾」を名乗らず「イースから来た冒険者」という題名を掲げていたことに、すでに表われていたのかもしれません。新規タイトルとして始まったはずの作品がイースの続編となったのは、89年になってからのようです。当時プレイヤーから「無理矢理こじつけられたストーリー」と批判されたことも、無理はなかったのかもしれません。
全て「ワンダラーズ」が原因というわけでもないのでしょうが、クインテット組を初めとして、この頃には多くのイースオリジナルスタッフが日本ファルコムを離れていました。アルバイトとして参加していた古代祐三・彩乃兄妹は「イースII」完成後にバイトを辞めており、山根さんは「スタートレーダー」完成後に離脱。マッパー倉田佳彦さんも「ワンダラーズ」直後に辞職しています。山根さんによれば絵師の都築和彦さんは辞職時に「こんな会社辞めてやる!」と加藤社長に啖呵を切ったとか。
このスタッフ大量離脱直後、思うところあったのか、日本ファルコムはスタッフの個人名を出すことを厭うようになりました。木屋善夫さんはTwitter上で当時を振り返り「クレジットは橋本さんたちがやめたあとに急に規制が入りましたね。某社長は名前が有名になるのを嫌ったようです。私はどうでも良かったのでクレジット無しでも気にしなかったのですがスタッフはそうでもなくて、かなり大騒ぎになった気が・・・」とツイートしています。雑誌に制作者インタビューが載ることが目に見えて少なくなったのもこの頃です。
「ワンダラーズ」MSX2版のスタッフロールと隠しメッセージ。どちらも裏技的な方法を使わないと見られない。
匿名のスタッフロールと実名で書かれた隠しメッセージに、制作者の意地と離れていった仲間への想いを垣間見る。
制作中、主要スタッフはすでに独立の意志を固めていました。そうした事情を踏まえた上で「ワンダラーズ」の物語を俯瞰すると、また異なった意味合いが見えてきます。「人は夢のために生きる」。このテーマは、当時の制作者の想いそのものだったのではないでしょうか?
「今、行かなかったら、ボクは、一生後悔するような気がするんです。」
アドル・クリスティン
制作にあたって、橋本さんはアドルの年齢にこだわっていました。製品版では19歳となりましたが、当初の予定では21歳になるはずでした。曰く、アドルはもう子供ではないのだ、と。
「ワンダラーズ」のアドルは無力感ゆえ己の存在理由に思い悩みます。そして「自分が目指すのは人に夢を与える冒険家だ。」という己の夢に気付き、それを確かめるため強敵ガルバランに挑み、最後にはレドモントの人々の慰留を振り切り、新たな冒険へと旅立っていきます。その境遇は、軋轢が渦巻く中苦闘しながらこの作品を作り上げ、新天地を求めファルコムを去って行った制作者らの立場と重なります。
そう捉えると、唐突に感じられるアドルの苦悩や「夢」というテーマにも納得がいきます。制作者はこの作品に、己の境遇や決して譲れない信条を託していたのではないでしょうか?
「何のために戦っているのか?」「冒険家ならば生きて帰れるかわからなくとも、行かなければならないときがある。」「僕から冒険を取ったら何も残らない。僕の生き方を見てみんなが夢を持ってくれたら。」等々のテキストは、そうした境遇にあったからこそ紡ぎ出されたものなのでしょう。いわば「ワンダラーズ」のアドルとは制作者そのものだったのではなかったのかと。
これら作中のテキストを見る限り、制作者は本作で完全にイースシリーズを終わらせるつもりだったことは間違いないようです。そもそも制作者の中では「失われし古代王国」でシリーズは終了し、もう作るつもりはなかったのでしょう。ところが「作ってしまった」ことでシリーズは存続し、結局「イース」シリーズは21世紀になっても新作が作られるロングラン作品となりました。
ともあれ、「ワンダラーズ」はシリーズの大きな転機でした。その評価は賛否両論で、決して好意的に受け容れられたわけではありません。特に保守的なファンの間での評判は悪いものでした。確かに、ゲームとしてもイースとしても物足りず、食い足りなさの残る作品です。「薄っぺらなストーリー」「技術偏重で中身がない」「ネームバリューだけのカス」「日本ファルコムは駄目になった」などと言われることもしばしばでした。しかしそこに託されたものを見るに、「ワンダラーズ」には埋もれさせてはならないものがあるように思えるのは荒井だけでしょうか。
「それぞれの人の新しい物語が、今、始まろうとしている。」
イースから来た冒険者たちは、エンディングでこの言葉とともに旅立っていきました。そしてそれは制作者らの日本ファルコムに対する訣別の辞でもあり、新たな「冒険」に向けての決意表明でもあったのかもしれません。
「イース THEアートブック」 2013年 ソフトバンククリエイティブ
「The Colorful Pieces Of Game PCエンジンCDROM版イースI・II制作メモ」 2012年 岩崎啓眞
「The World of Ys 」 1991年 電波新聞社
「チャレンジ!!パソコンアドベンチャーゲーム&ロールプレイングゲーム V」 1990年 山下章 電波新聞社
「ポプコム」 1989年・1990年近辺の各号 小学館
「アクトレイザー」 1990年 エニックス
「イース〜フェルガナの誓い」 2005年 日本ファルコム
「イースマテリアルコレクション」 1995年 日本ファルコム
「イースマテリアルコレクション2」 1996年 日本ファルコム
「ワンダラーズ・フロム・イース」 1989年 日本ファルコム
「リンクの冒険」 1987年 任天堂
当時の日本ファルコム事情についてご教示くださった岩崎啓眞さんと高橋俊弥さん、ならびに情報を提供してくださったtk_nzさん各氏にこの場を借りてお礼申しあげます。