解説〜X68k版の衝撃

岩崎美奈子meetsX68k版(嘘)
X68k版に「エターナル」の人物画を合成してみる。こうだったら酷評は避けられたのだろうか?

 マイコンソフトがベーマガ誌上で連載していた「なにわ通信」によれば、本作を遊んだユーザーの感想は「全体的にみると好評」だったそうですが、一方で他機種で遊んだユーザーにはそれなりの思い入れがあるためか、「いろいろな意見」が寄せられたのだそうです。ここから察するに、本作は単純に賞賛されたわけでもなく、多かれ少なかれユーザーを困惑させただろうことがうかがえます。

 この電波新聞社版「イースI」も、単純にゲームとして見た場合、出来は決して悪くなく、高品位なグラフィックと音楽を詰め込んだ作品であることに間違いはありません。スタッフロールを見てみると、天野喜孝氏を初めとして、平田弘史氏、佐藤樹云々氏、GORRY氏の他にも、サブ・プログラムに磯田重晴氏、動画に土田康司氏等々、制作陣にはやけに豪華な名前が並んでいます。
 ところが、そのような豪華スタッフが手がけ、まずまずの出来を誇るにもかかわらず、本作に対するユーザーの評価は厳しいもので、酷評されることもしばしばでした。今なおイースフリークの間では、X68k版は「イロモノ」呼ばわりされていますが、それでは、なぜ本作は、そのような烙印を押されてしまったのでしょうか?
 ここでひとつ、小学館のパソコンゲーム誌「POPCOM」に掲載された投書を紹介しましょう。文面は感情的ですが、X68k版に対する評価の大概は、この記事に言い尽くされています。

 夏休みに入って、いちばん初めにやったのが『X68k版イース』でした。はっきりいって…最低です! あのファミコン版にも劣る、下の下の移植ソフトといってもいいくらいです。
 ソフトハウスには、まだユーザーの気持ちがわかっていないのだろうか? 68kユーザーの僕にとって、電波は信頼できるメーカーだった。なぜなら、68kソフトラインナップを初期から支えていてくれるメーカーだったからです。『源平討魔伝』『ドラスピ』などは、今でもやりたくなるほどの完成度だったし『ギャラガ88』のアレンジのセンスはとっても気に入っていたのです。
 しかし、『イース』はいったい、何年前のゲームなのですか? 88版、マスターシステム版、ファミコン版、PCエンジン版と何度もプレイしている僕として、この68k版『イース』は、いちばん、おもしろくない『イース』だった。アーケードゲームのそれこそ過去の名作、人気作品は、そのままの移植をしてもらったほうがうれしいかもしれない。
 でも、何度もあらゆる機種に移植された『イース』を、優れたX68000に移植するというのに、「何の変更も、付けたし」もないとは。あのグラフィック(特に人物画)とサウンドのアレンジは、むしろマイナスでしかないように思える。
 X68kはすぐれた「上位機種」なのだから、グラフィック、サウンドは、変わってあたりまえ。わかってほしいのは、ユーザーは、なんらかの+αを期待しているということ。そこらへんをよく考えて『イースII』の移植にのぞんでほしい。

P.S.ファルコム、あんたら一体何やってんだ!?(怒)

(熊本県・豊永展輔 「POPCOM」1991/12「ああ…すばらしきパソコンゲーム」より)

 X68k版が酷評された大きな理由の一つは、なんと言っても、そのリアルタッチなグラフィックでしょう。先述の読者評に現れるとおり、特に屋内の人物グラフィックは8bit版を知るユーザーの間で「キモい」「イメージが壊れる」「こんなフィーナ……やだ。」等々、さんざんな評価を受けました。
 シリーズは「イースは『ギャルゲー』である。」とからかわれることがあります。毎度様々な女の子が登場し、しかもその女の子がかわいらしいヴィジュアルで描かれ、大きな売りとされていることを揶揄しているわけですが、ミーちゃんが云々、田上がどうこうと、今なおフリークがキャラデザで侃々諤々していることを考えると、さもありなんです。それはさておきこの揶揄は、シリーズにおいてファンがそれだけ登場人物のデザインやヴィジュアルを重視していることの裏返しでもあります。
 「イースII」でリリアが振り向いたのが1988年のことでした。以降、作中のCGや都築和彦氏らによる各種イメージイラスト等により、各登場人物のヴィジュアルが披露されていったのですが、その多くは漫画やアニメ調―もっと的確に称するなら「ライトノヴェルの挿絵風」―に描かれたものでした。アニメ調のヴィジュアルはユーザーにとって親しみやすいもので、感情移入や思い入れ―「萌え」とも言う―の大きな手助けとなったわけですが、その結果、こうしたヴィジュアルはユーザーの間に浸透し、もはや世界観(注9)の一部となってしまうほど、シリーズの人物デザインの雛形となりました。
 しかし、X68k版のリアルな人物画は、その雛形をほぼ無視するようなものでした。確かに美麗な絵ではありますが、それまでユーザーが見慣れた、アニメ調の「イース」の雰囲気とは相当に異なるものです。ですからかわいらしくデザインされた登場人物に慣れ親しんだユーザーにとって、それを大きく逸脱するようなキャラデザはシリーズのイメージを壊すもの、ひいては世界観にそぐわないものと映りまして、相当な拒否反応を招くことになりました。一言で言えば、リアルタッチな人物画には「萌えられなかった」のです。
 まだイメージが固まっていなかった1987年の8bit版発売当時にこの絵を出されていたならば、評価はまた少し違っていたかもしれません。

 ヴィジュアルがあまりに衝撃的だったからか、あまり目立って喧伝されることがありませんが、酷評されるもう一つの大きな理由は、本作が「技術を尽くしたタイニー版」であることでしょう。先述の投書が「何の変更も、つけたしもない」と言っているのは、このことを指していると思われます。
 これまで述べたとおり、X68k版は8bit版に比べ、テキストをはじめとしてマップ・イベント等々、随所に省略が目立つものでした。そのおかげでゲーム展開が快速になってはいるのですが、一方でクリアまでの時間が大幅に短くなったり、印象的な謎解きが削られたりと、どこか物足りなくなったこともまた確かです。

ガゼルの塔タイトル画面 ガゼルの塔探索中
ラグーン・ナセルの家 ラグーン・鉱山で敵と戦闘中
「イースI」「イースII」以上のアクションを実装した「サーク外伝ガゼルの塔」と「ラグーン」。
発売後4年の91年ともなると、技術・演出・システム的に「イースI」は古臭くなりつつあった。

 1987年ならばそれでもよかったかもしれません。しかしX68k版が発売された1991年ともなると、もはや周囲の状況がそれを許していませんでした。
 X68k版が発売された、1991年7月という時期に注目してみましょう。シリーズ最大の対抗馬、マイクロキャビンの「サーク」シリーズ第一作は1989年5月に発売されています。こちらもその後順調にシリーズを重ね、翌1990年9月には続編「サークII」が、X68k版「イース」発売直前の1991年6月には外伝「ガゼルの塔」が発売されました。他にもX68kではズームの「ラグーン」が1990年8月に出ていますし、PC98ではティールハイトの「エイジア」が、1991年4月に発売されています。
 これら作品に共通しているのは、どれも従来のイースシリーズ以上のものを目指して作られたということで、イースに追いつけ追い越せとばかりに、ゲームシステムや映像表現等、どの作品にも野心的な試みが盛り込まれ(注10)、その当時最高のARPGを目指して競い合っていました。少なくとも、ゲームシステム・演出等の面では8bit版「イースI」「イースII」の先を行くものを実現しています。
 中でも驚異的だったのは、1989年12月に発売されたPCエンジンCD-ROM^2版「イースI・II」でしょう。PCエンジン版は当時普及しだしたCD-ROMの大容量と音楽再生能力を活かし、ヴィジュアルデモが新規に追加されたり、バンド演奏による新規アレンジの楽曲が使用されたりと、当時の技術の最先端を行く演出が詰め込まれていました。特に物語の要所要所で、アニメ調で描かれた人物バストアップ像が表示され、人気声優の声でしゃべるという演出は、登場人物の人気とあいまって、大好評を博しました。

PCエンジン版「イースI・II」フィーナさん
PCエンジン版「イースI・II」から。ファンによって好みは別れるが、当時の「決定版イース」であることに違いはない。

 このように1991年ともなると、従来のイースシリーズを超えるシステムや表現を備えた作品は、すでに世に溢れていました。ですからそうした時代に「イースI」を出すならば、それらに負けない内容が期待されましたし、また、そうしたものでなければ、もはやユーザーを満足させられませんでした。しかもハードは当時最強のホビーパソコンX68k、PCエンジンのようなCD-ROMこそありませんでしたが、ある意味それを凌駕するものが作れるはずのコンピューターで、さらに開発・販売元はイースに詳しいはずの電波新聞社、信頼のブランドマイコンソフトだったのです。
 しかし、実際に蓋を開けて出てきたものは、「技術を尽くしたタイニー版」でした。グラフィックこそ緻密に描かれていますが中身は灰汁の強いもので、シナリオは省略版、戦闘は体当たり方式のままです。言わば8bit版のシナリオを整理して、グラフィックと音楽を「差し替えた」だけにすぎず、元が1987年製のPC88用ARPGであることに変わりはありません。X68kの性能を活かした演出とはいうものの、同期のライバル作は、(X68k以下の性能のパソコン用のゲームでも)もっと野心的なゲームシステムや演出を実現し、評価されていたのです。
 ですから当時的な作品と比べた場合―もしかするとオリジナルの「イースI」と比べてさえ―X68k版はもろもろの点で見劣りすることは確かで、それはユーザーを失望させるものに他なりませんでした。
 当時プレイヤーが求めていたのは、よりイースの世界を満喫できる作品、その魅力を深く掘り下げた作品、決定版とも言える「イース」でした。PCエンジン版が大いに人気を得たのはそういうことです。X68k版はその欲求に応えるには到底力不足で、それゆえにファンを困惑させ、酷評までされたのです。

勝手に移植版「True-Ys」
某所のパワーユーザーが勝手に移植したという「True-Ys」
発売わずか一ヶ月後にこういうものが出てしまうことが、X68k版がいかなる作品だったかを示していた。

 元がマニア向けだったせいか、X68kにはプロ並みの技術力を備えるパワーユーザーが多く、「無ければ作れ」を合言葉に、ゲームやアプリケーション等、同人レベルで高水準なソフトが数多く開発され、出回る程でした。このX68k版「イースI」発売に際しても、発売翌月の1991年8月には、さっそく某所のパワーユーザーが「しかたないから自分で作ってしまえプロジェクトチーム」と銘打ち、「True-Ys」なる勝手に移植版を制作、フリーソフトとして配布しています。「True-Ys」は、テキストこそ漢字仮名交じり文に書き改められていますが、その内容はPC98版をほぼベタ移植したものでした。下手に手を加えられるぐらいならベタ移植の方がはるかにマシだという作者の気概は、「真」を標榜していることに見て取れるでしょう。
 X68k版がいかなる存在であったかは、ある意味この行動に集約されているように思われます。結果「最高の演出・最高の表現」を目指したX68k版は、それがユーザーの求めたものとあまりに異なるものだったため、「イロモノ」の烙印を押されてしまったのです。


X68k版にまつわる噂

 なぜX68k版が「イロモノ」になってしまったかについては、こんな噂が伝わっています。どうやらX68k版の移植担当者はイースが大嫌いで、それゆえにこのような移植をしたというのです。その真相は確かめようがありませんが、前出の山下章氏はKTCのレトロゲーム専門誌「ユーズドゲームズ」1997年秋号収録のインタビュー記事にて、「あー…、それはX68k版のことですね、きっと(笑)。」と、噂を肯定するような発言をしていますので、事実無根というわけでもないようです。
 脚本アレンジを担当したのはなぞいちけんけん氏こと磯田健一郎氏です。他のスタッフが全て実名でクレジットされている中、同氏だけがペンネームというのは、なにかそれなりの理由があったのかもしれません。先述したとおり、本作は88版とは違うものにすることを旨として作られました。数々のアレンジは全てそのためだったわけですが、この点についてはGORRY氏が「嫌いだったかどうかは『違うもの』の解釈次第。それは評価する者の自由でよいのではないか。」と語っています。

 「I」が出れば当然「II」もと期待されるのは当然ですが、残念ながらと言うべきか、それとも幸いにもと言うべきか、結局電波新聞社による「II」は出ませんでした。電波新聞社では、「オールアバウトソーサリアン」同様の、イースに関する解説書を出す可能性を示唆していましたが、本作の反響で頓挫したのか、企画のみで終わってしまったようです。
 先述したとおり、本作では「イースII」がすでに世に出ているにもかかわらず、物語の根幹に関わる設定のいくつかが改変されています。続編でどのように収拾を付けるつもりだったのかは謎のままですし、元から続編など作るつもりがなかったから、このような改変を盛り込んだのではないかという気もします。
 仮に電波新聞社から「イースII」が出ることがあったら、あのリアルタッチでほほえむリリアが拝めたのかもしれません。

 本作の出来自体は決して悪くはありませんし、丁寧に作られてはいます。ただし注力した方向がユーザーの求めていた方向とは全く異なっていたのと、時代に即応しきれない作りだったため、ユーザーを納得させるまでには至りませんでした。そしてパソコンユーザーが望んでいた「決定版のイース」という願望は、往年の国産機が滅び去った頃、実にX68k版の7年後の1998年にWindows用として発売された「イースエターナル」で、ようやく叶えられることになったのです。

X68k版meetsエターナル(嘘)
再び冗談画像。もしX68k版が好評だったら「イースエターナル」はこうなっていたのかもしれない。


脚注

注9・「世界観」:本サイトでは物語の背景、登場人物をはじめとする種々の設定などをまとめて「世界観」と呼んでいる。

注10・「野心的」:もっとも以前述べたとおり、その多くは飽くまでイースシリーズの発展改良型であり、イースの影響から逃れることはできていなかったのだが。

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