イース・オリジナル〜「失われし古代王国」の登場人物

 ゲームとしての面白さもさることながら、「失われし古代王国」はその物語性が高く評価されました。その物語を彩るのが数々の登場人物です。今回はその登場人物を紹介します
(画面写真はMSX2版。イラストはゲーム取説と「イースマテリアルコレクション」より転載。)


主人公

 シリーズは基本的に、千と数百年前、未知を求めて世界を巡った冒険家が遺した百余冊の冒険日誌をもとに、その冒険を追体験するという体裁をとっています。その記念すべき第一冊目が「失われし古代王国」ということになっています。


アドル・クリスティン

アドル・クリスティン アドルドット絵

 主人公の冒険家。16歳の時より故郷エウロペ地方の山村を離れ、63歳で没するまでエウロペを中心とした西世界を巡り、百余冊の冒険日誌を遺した。「失われし古代王国」は彼が17歳の時の冒険。
 自他共に認める好奇心旺盛で意志の強い少年。冒険を求め、危険を覚悟でエステリアに渡ってくる。エステリアの異変を目の当たりにして、真相究明の冒険に乗り出すが、やがてイースの救世主となることに。

 アドルはシリーズの主人公で、プレイヤーはアドルを介してゲームを進めていきます。明朗快活で好奇心旺盛、かつ何事も諦めない強い意志を備えた少年で、赤毛がトレードマークです。もっとも、以前述べたとおり「イースI」では、取説でも作中のテキストでも、アドルが赤毛であることを明記していません。「赤毛のアドル」が定着したのは、「イースII」でアドルを「赤い髪の人間」「赤毛の少年」と表現してからです。

 当時的なCRPGの主人公とアドルの一番の違いは、ヴィジュアルを含め、こうした「個性」が与えられたことでしょう。
 「ブラオニ」「ハイドライド」「ザナドゥ」などなど、当時のCRPGにて、主人公に積極的な性格付けがされることはなく、台詞が与えられることも稀でした。主人公は飽くまで「プレイヤーの分身」でして、それ以上の役割は期待されていませんでした。
 その名残か、確かにアドルにもあまり台詞はないのですが、にもかかわらず、アドルは個性的な登場人物の一人として人気を博することになりました。それはなぜでしょうか?

 ゲームはアドルの冒険「失われし古代王国」を追体験するという体裁をとっています。つまり、アドルはプレイヤーの分身ではあるけれど、飽くまでプレイヤーとは別人であるという大前提があります。
 それだけにアドルは「無口」ではありません。「イースI」の取説掲載のプロローグ小説では、アドルがエステリアに興味を持ったいきさつやその心境などが台詞とともに描かれ、プレイヤーは遊ぶ前にアドルの人物像に触れられるようになっています。
 また、基本的にアドルの台詞は他の登場人物の台詞に含まれています。例えば「なんで神殿に閉じこめられていたのかって?」とか「そうか…マリアの救出は間に合わなかったのか。」という台詞から、アドルが「ねぇフィーナ。なんで君は神殿に閉じこめられてたんだい?」とか「サダさんすみません。マリアさんは...。僕が間に合わなかったせいです。」とか言ったんだなと、プレイヤーがめいめい補完できるという寸法です。
 数々のイメージイラストが用意されたことも大きいでしょう。特に都築和彦氏による魅力的なイラストは、「快活で好奇心あふれる少年アドル」を強く印象づけ、今なお、アドルを描く際の雛形となっています。
 本作では、こんな具合に他のテキストやヴィジュアルが十分アドルの台詞を補ってまして、プレイヤーはそれを読み解く形で、アドルの発言や感情の動き、表情などを想像できるようになっています。台詞の少なさは結果的に感情移入の一助となり、その分プレイヤーがアドルに思い入れることによって、アドルは個性を獲得したのです。

 これが昂じて感情移入の妨げになるということで、その後ファンも制作者も「アドルはしゃべらないもの」と決めてしまったらしく、いくつかのリメイクや続編では、アドルの台詞や行動は「アドルは〜した。」「アドルは〜と伝えた。」といった具合に、全てナレーションで説明するようになっています。
 しかし、オリジナルでは要所要所で口を開いています。例えばフィーナ救出時には、「僕が敵の注意を引きつけておくからその隙に逃げるといい。」といった旨のことをフィーナに言ってますし、「誰に話しかけようか?」「私にはできません」といった具合に、建物に入った時の選択肢には、アドルの一人称になっているものがあります。「イースII」でも、オープニングでリリアに助けられるところをはじめ、いくつか自らしゃべる場面があります。これら例を見ると、シナリオ担当の宮崎友好氏は必要とあらば、アドルをしゃべらせることにあまり抵抗がなかったのではないかという気もします。

 複数のテキストでもって間接的にほのめかすという物語手法は、「失われし古代王国」全体に見られるもので、アドルの描写はその一例といえます。個人的には、「アドルは〜した。」式のナレーションでアドルの行動を直接「説明」するようになって以来、かえって感情移入しづらくなったように思います。


神官の子孫

 「失われし古代王国」とは、かつてエステリアに栄えた古代イース王国のことを指しており、王国滅亡の謎を解き明かしながら物語は進みます。神官はその謎の鍵を握る存在です。


サラ=トバ

サラ=トバ サライメージイラスト

 ミネアの街の占い師。エステリアの災厄が古代イース王国の謎と関係があることを見抜き、アドルにイースの本の収集を依頼する。しかしそれを阻止しようとする何者かによって殺害され、志なかばで非業の死を遂げる。ジェバの姪。

 サラは物語の最初の案内役で、アドルを冒険に導いた人物です。アドルに冒険の指針を与えるのが彼女の最大の役割なのですが、その途中、殺害という形で舞台から退場します。犯人はダルク=ファクトとされていますが、作中でそれが明言されることはありません。彼女が殺された理由は「イースII」の「神官の子孫を消すための人間狩り」として、間接的に語られます。
 唯一、PCエンジン版だけは身の危険を察してセルセタに逃れたことになっています。「イースI」と「イースII」を一本につなげた都合上、ハーモニカ返還を必須イベントにしたかったため、物語進行に絶対必要な「イースの本」をハーモニカと引き替えにレアから受け取るように変更したためこうなったという話です。そのため、現在でもPCエンジン版とパソコン版で「失われし古代王国」を遊んだプレイヤーの間で、しばしば齟齬をきたす場合があります。
 彼女は力の神官トバの子孫なのですが、作中では直接それを明記したテキストはありません。ドギの「ジェバ=トバという婆さんが…」という台詞と、ジェバとサラが叔母と姪の関係にあるというテキスト、それに「イースの本」の一巻「トバの章」を組み合わせ、ようやく彼女がかつての神官トバの子孫であり、それゆえにイースの本を所持しており、災厄の原因を見極めることができたのだとわかる作りになっています。こうした数々の状況証拠や証言を提示し、そこからプレイヤーに真相を推測させるという物語手法は、「イースI」の特徴となっています。

 本作では、サラの殺害、人間狩り、そして女神たちとの別れといった具合に、平和の礎として誰かが犠牲になる様が幾度か描かれますが、これも宮崎氏が好んだモチーフでして、「人は誰かの痛みの上に生きている。」という主張をそこに見ることができます。この傾向は後のクインテット作品ではさらに顕著になるのですが、その源流はすでに「失われし古代王国」に現れていたのです。

 物語上、フィーナに次ぐ重要人物とも言える彼女ですが、序盤で早々に退場するせいか、影は薄いです。殺害後、「イースII」の結末に至るまで、具体的な名を挙げて彼女を回想するテキストがほとんどないことが一番の理由かと思われます(せいぜいマリアが犠牲者を悼むくらい)。「イースエターナル」(以下「エターナル」と略)では、ジェバや街の人々に彼女を悼む台詞が追加されましたが、それでも扱いは基本的に8Bit版と変わりません。彼女が物語で果たした役割の重要さを考えると、「イースII」のエンディングで、ゴーバンあたりに一言、「サラに見せてやりたかったよ。」と言わせてもよかったような気はします。


ジェバ=トバ

ジェバ=トバ

 ゼピック村に住む老女。サラの叔母でゴーバンの母。アドルがサラに見いだされた剣士であることを認め、数々の助言を与える。歴史にも通じており、その知識でアドルの手助けをした。また、神殿から逃げてきたフィーナを保護していた。ある意味フィーナに人間のすばらしさを教えた人物。

 ジェバはサラに続く案内役です。サラから「イースの本を集める」という目的を与えられた後は、もっぱらジェバに助言を求めながら冒険を進めていきます。地上における古代イース王国の語り部とでも言うべき存在で、プレイヤーはまず、彼女を通じて古代史に触れることになります。
 本来なら物語の案内役は、アドルを冒険に引き込んだサラが果たすべきなのですが、彼女が絶命したため、その役目が同じく神官トバの子孫である人物に引き継がれたと見ることができます。

 また、ジェバはフィーナの身元引受人です。フィーナは彼女の元で暮らすうち、人間のすばらしさを知ることになりました。その間何があったかは、結末でフィーナがあっさりと語るだけですが、「エターナル」ではイベントやテキストが追加され、ジェバの元でのびのびと過ごすフィーナの姿が描かれています。


ゴーバン=トバ

ゴーバン=トバ ゴーバンのお頭ドット絵

 義賊を自任する盗賊の頭。アドルをダームの塔に導く。イースが地上に降りた時はルタとともに中枢に乗り込み、アドルに加勢する。力の神官トバの子孫でジェバの息子。サラとは従兄弟にあたる。

 「失われし古代王国」全体を通じての彼の最大の役割は、なんといっても、神官トバの子孫として中枢に乗り込んでくることです。
 普通に考えれば、トバの子孫として乗り込んでくるべきなのは、間違いなくサラです。彼女は魔の復活に対し、神官の子孫の中で一番最初に行動を起こした上、アドルの冒険の後見人でした。しかし早々に絶命しましたので、その役目をゴーバンが引き継いだと見ることができます。そう考えると「そうはいかねぇぜ、魔物さんよ!」の名言は、生まれるべくして生まれた台詞だったのかもしれません(「ダームよ、そうはいきません!」と乗り込んでくるサラさんもそれはそれで見てみたかったけど)。

 ちなみに「ゴーバン」はケルト系の名前です。その原型は「アーサー王と円卓の騎士」にも登場する「ガウェイン(Gawain)」でして、これをフランス語に置き換えると「ゴーバン(Gauvain)」となります。ただし知ってか知らずか、「エターナル」の英語表記では単に「Goban」と綴られていました。


ルタ=ジェンマ

ルタ=ジェンマ

 ゼピック村に住む若者。夢遊病で出歩くうちダームの塔に迷い込む。知恵の神官ジェンマの子孫で、アドルの冒険に様々な示唆を与える。最終決戦ではゴーバンとともに中枢部に乗り込んだ。

 ルタはアドルが初めて会う「神官の子孫」です。確かに、作中ではすでにサラやジェバ、ゴーバンといったトバ一族に会ってはいるのですが、彼女らは自らを神官の子孫であるとは一言も言いません(「エターナル」では変更されているが)。神官の子孫を自称する人物はルタが最初ですので、アドルが神官の子孫と意識して会う人物はこのルタが最初ということになります。それは名前だけの登場人物が多い中で、彼だけが登場時から「ジェンマ」の姓を名乗っているところからもうかがえます。「夢遊病」は、女神の導きゆえと理解されています。
 イース滅亡の歴史は「イースの本」によって語られるのですが、その本を書いた人間の子孫と、本に現れた品物が実際に残っているのを目の当たりにして、プレイヤーはエステリアの災厄がイース滅亡以来の因縁であることを印象づけられます。ルタは古代イース王国の歴史と現在の災厄をつなげる役割を果たしています。

 ちなみに、彼が吟遊詩人であるという設定は今やお馴染みになっていますが、オリジナルにその旨のテキストは一切ありません。彼が吟遊詩人になったのはOVA以降のようで、それが後にゲームに採り入れられて、彼は変わり者の吟遊詩人になったのでした(注1)。


タルフ=ハダル

タルフ=ハダル

 溶岩の村に住む少年。橋番ルバの息子。人質として魔物に囚われていたところをアドルに助けてもらって以来、アドルの冒険に関わることに。最終決戦では大地の神官ハダルの子孫として中枢にやってきた。

ゴート=ダビー

ゴート=ダビー

 ラミアの村に住む気のいい兄ちゃん。サルモンの神殿に続く通路の番をしている。女神のお告げに従いアドルを神殿に導いた。光の神官ダビーの子孫で、最終決戦に立ち会った。

マリア=メサ

マリア=メサ

 ラミアの村に住む村娘。サダの恋人。人間狩りで神殿に捕らえられ、生け贄として命を落としかけた。身につけていた神官の腕輪のおかげで一命を取り留め、中枢にやってきた。時の神官メサの子孫。

 タルフ、ゴート、マリアは天空で会う神官の子孫です。「失われし古代王国」は「イースI」で古代史の謎が提示され、「イースII」でそれを明らかにするという構成をとっています。「イースの本」で語られる古代史とは、700年前、魔法が招いた災厄「魔」によって古代イース王国が滅んだというものです。古代史で描かれる「女神と神官」対「魔」の構図は、そのまま「女神と王国の遺臣」対「魔」の対立に置き換えられ、「失われし古代王国」の物語を支える枠組みとなっています。


キース=ファクト

キース魔物時 キース人間時

 呪いで魔物に姿を変えられた青年。人間狩りによって妹を失っている。タルフを保護したり、脱走者の手引きをしたり、神殿でアドルの手伝いをしたりと魔軍を手こずらせた。中枢部にも現れた。魔法消滅に伴い人間の姿に戻る。

 彼は実は作中でファクト姓を名乗ることはありません。夢枕で女神のお告げを聞いたことと、最終決戦に立ち会ったことを考慮して、消去法でファクトの子孫ということにされています。彼はサルモンの神殿での案内役で、「イースI」におけるドギのような存在です。
 「イースII」では単身で魔軍をきりきり舞いさせる活躍を見せたキースですが、なぜか後のPCエンジン版「イースIV」ではあっさりガディスに捕まりアドルにけしかけられるなど、ヘタレ化されてしまいました。スーファミ版に至っては、いつでも魔物に変身できるというイロモノにされています。

 物語の終盤になると、女神の号令で神官の子孫たちが中枢部に集合します。しかし彼らが集まらなければならない具体的な理由は作中では明らかにされません。
 集まって具体的に何をしたのかは不明ですが、集結した意味については宮崎氏が述べています。曰く、「失われし古代王国」の物語とは、「イースII」のエンディングに登場する人物の紹介なのだと。
 「失われし古代王国」発売当時、その物語を「登場人物が全員同じ方向を向いている」と評する声がありました。作中の登場人物がみな「エステリアを救う」という目的を共有しており、誰もがアドルに協力を惜しまないことを指しています。物語におけるアドルの行動とは、畢竟、彼らの想いを束ねることでして、神官の子孫は人々の代表として最終決戦に現れるのです。一つの目的の下に人々が集い、アドルがその想いを背負って戦う様は、ある意味「見えないパーティ」を組んでいるような感覚をプレイヤーに与えるもので、宮崎氏が狙って仕組んだ演出でもありました。
 なお、こうした演出は後のクインテット作品にも受け継がれ、「ソウル三部作」でも、世界中の生命の想いを背負って戦う主人公の姿が描かれます(注2)。


敵役

 エステリアの災厄とは、700年前に古代イース王国を滅ぼした災厄の再来です。「失われし古代王国」では、敵の存在にも大きな意味が与えられています。


ダルク=ファクト

ダルク=ファクト ダルクさんドット絵

 エステリアで暗躍する黒いマントの魔人。人々が銀に手を出したことをきっかけに「魔」を蘇らせる。クレリアと「イースの本」を利用して強大な魔力を手中に収め、世界を我が物にしようとしていたが、ダームの塔の最上階でアドルに倒された。心の神官ファクトの子孫。

 ダルク=ファクトは「イースI」最後の敵ですが、アドルやフィーナに劣らぬ人気者となっています。それはなんといっても彼が(角こそ生えているが)長い金髪の美青年で、しかも神官の血統を備えているからでしょう。

 「イースI」以前のCRPGにおいて、敵役とは強大かつ邪悪な「異形」であることが大半でした。「ウィザードリィ」のワードナは老獪な魔術師でしたし、「ウルティマ」のモンディンやミナクスは邪悪な魔導師でした。「ハイドライド」のバラリスは「伝説最強の悪魔」ですし、「ザナドゥ」のガルシスは悪意が竜の形をとったものとされています。戦う動機も「私利私欲の追求」「世界征服」というものが多く、単純な悪役であることが大半でした。
 基本的にはダルク=ファクトもその詳細が物語で語られることは少なく、「世界征服を企む邪悪な魔導師」であることに違いはないのですが、「神官の家系」という出自と長身で金髪のハンサム青年という美貌ゆえ、プレイヤーは彼について様々な想像力を巡らせることになりました。本来なら味方であるべきはずの神官の子孫が最後の敵として現れるという展開は衝撃的でしたし、彼をしてそう至らしめた悲しい事情や宿命の存在を十分感じさせるものだったのです。
 確かに、アニメに目を向ければ「機動戦士ガンダム」のシャア、「未来警察ウラシマン」のルードヴィッヒなどなど、美形の敵役というものは以前からありました。ところがゲームでそうした「美形の敵役」を出した例は「イースI」以前にはほとんどなく、しかもそれが悲しき宿命を感じさせる人物だったゆえ、ダルク=ファクトはプレイヤーから絶大な人気を得るに至ったのです。
 ダルク=ファクトのキャラデザを担当したのは古代彩乃女史です。制作秘話では「堕天使のイメージでやってくれ」という指示を受け、直感的に「堕天使=美形のおにーさん」と連想しこうしたキャラクターを作ったと、彼が美青年になったいきさつを語っています。

 ちなみにOVAではダルク=ファクトの悲しき側面がさらに推し進められたようで、銀採掘に反対した両親を暴徒によって失ったため闇に堕ちたという設定が与えられました。後の「エターナル」ではこの設定が採り入れられ、ダルク=ファクトはより悲しき敵役の性格が強くなりました。


ダレス

ダレス

 魔導師。魔軍の最高幹部。神殿では何度か遭遇することに。魔軍のため幾度となく非道を働くが、最後はアドルに倒される。

ダーム

ダーム

 魔の元凶。「イースII」最後の敵。その正体は邪悪な意志が宿った黒真珠と思われる。700年前、差し違える形でイースの女神に封印されたが、ダルク=ファクトによって復活させられる。全ての魔力の源で、その強大な魔力で世界を我が物にしようとした。最後は女神と神官の子孫たちの協力を得たアドルによって滅ぼされた。

 ダルク=ファクトが悲しき宿命を感じさせる敵役だったのに対し、「イースII」に登場する敵役は、むしろ従来型の「邪悪な異形」に近い存在です。とはいえ単純な悪役なのかというと、そうではありません。
 「イースII」の戦いは「魔」を滅ぼすための戦いで、ダームは「魔の元凶」と呼ばれます。「魔」は「全てのものと相反する存在」と定義されており、ダームやダレスは、女神や人間とは決して相容れない異形としての性格が強くなっています。しかしその一方で「魔」は女神や人間の鏡像でして、対立しながらも互いに深く関わり合う「表裏一体」の関係にあります(注3)。一つの事件を「女神」と「魔」の両側面から捉えることで、災厄の原因が女神や人間の側にもあり、一方的に「魔」だけを責められないということを、プレイヤーは知るのです。

 破壊と創造、光と闇などなど、こうした表裏一体のものの対立は宮崎シナリオの十八番ですが、「失われし古代王国」もその例に漏れません。「失われし古代王国」とは、女神と「魔」の対立の間で、未来を求めて揺れ動く人間の姿を描いた話なのです。

 ところで制作者が後に手がけた作品では、魔とは「心の闇より生まれるもの」とされています。最近のイースシリーズではあれこれと設定が追加され、その正体についても再定義されたようですが、元来「魔」がどういうものだったかを考えると、新しい設定は余計な気もします。その本来の意義を考えた場合、飛火野耀氏の小説版に現れる「混沌と無秩序を作り出す力」という表現が、「魔」の本質を最も的確に射抜いているように思われます。


脚註

注1・その後当記事を読んでくださった方から、「詩人」が誤植に由来するのではないかという説をご教示いただいた。曰く、ファミコン版ではルタの妻の台詞「しゅじんのルタが〜」がなぜか「しじんのルタが〜」となっており、それが「詩人」と受け取られたのではないかというもの。ファミコン版の移植度や普及度を考えると、この誤植が一般化したとは考えにくいが、かといってOVAやその後の作品に影響を与えなかったとも言い切れない。移植度の低さで知られるファミコン版だが、一方ではオリジナルで没になったテキストが復活していたりする。メールを下さった方にこの場を借りてお礼申し上げます。

注2・本編やソウル三部作から察する限り、「イースを結集した力」とはイースやエステリアの人々の「想い」に他ならず、その力を得るために、女神をはじめイースやエステリアの人々が集まる必要があったのでないかと、個人的には理解している。

注3・山下章氏の「AVG&RPG III」では、「イースI」のボスキャラにはそれぞれ神官にちなんだ別名があることが紹介されている。ジェノクレス:フェニス=トバ、ニグティルガー:セムス=ハダル、ヴァジュリオン:ガルバ=ダビー、ピクティモス:マナル=メサ、コンスクラード:グラック=ジェンマ、ヨグレクス&オムルガン:アミューダ=ファクト&ファド=ファクト。六神官に対抗する六体の魔物という関係を意識して、こうした設定が作られたのかもしれない。この設定は後に「エターナル」で採用されている。

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