「イース」の音楽を巡る話
〜サウンドトラックライナーノーツと古代祐三インタビューから

 「イース」はその音楽性でも評判になって、オリジナルサウンドトラックをはじめ、アレンジ版などの各種の音楽ソフトが発売されました。ここでは「イース」の音楽がどういうものかを知る資料として、サウンドトラック「ミュージック・フロム・イース」「ミュージック・フロム・イースII」から、山下章氏と日本ファルコムの音楽担当石川三恵子女史による解説文と、KTCのゲーム雑誌「ユーズドゲームズ」誌収録の古代祐三氏のインタビューを紹介します。
(斜体部分は荒井が追加)


ゲーム・ミュージックに寄せる熱き想い〜「ミュージック・フロム・イース」から

ゲーム・ミュージックに寄せる熱き想い

(ゲーム評論家)山下 章

 いまさらあらためて言うまでもなく、僕はゲーム・ミュージックが好きだ。約9年前、インベーダー・ゲームの♪ドゥッ、ドゥッ、ドゥッ、ドゥッ……という歩行音を友達と口ずさみあっていた頃から、その兆候が現れていたのかもしれない。その当時は、音楽性という観点からとらえると、お世辞にも「いい」とは言えなかったゲーム・ミュージックも、9年間のゲームの進歩と共に、今やひとつの楽曲として聞くに十分耐えうる完成度の高い芸術作品へと変化してきた。
 ひとくちにゲームと言っても、業務用ゲーム(いわゆるビデオゲーム)、パソコンゲーム、ファミコンゲームと様々な種類があるが、その中のパソコンゲームのミュージック・シーンを考えてみた場合、この『イース』ぬきでは、とうていそれを語ることができないような気がする。
 『イース』は、最近はやりのRPG(ロールプレイング・ゲーム)である。主人公のアドルが、その世界に散らばった”イースの書”を集めて、謎の敵ダルク=ファクトを倒すまでを描いた物語だ。
 近頃、ゲーム業界では、「難しいゲームがおもしろいゲーム」と考えられる風潮があるのだが、この『イース』はそれに真向<まっこう>から対立して、”優(易)しさ”をコンセプトに制作されている。すなわち、トリックなどはできるだけ素直なものにして、ゲームプレイを楽しんでもらうというプロセスに重点を置き、誰にでもエンディングまで行ってもらうことを意図した作品であるわけだ。
 『イース』は、発売と同時に売れに売れた。そのコンセプトの斬新性もさることながら、『イース』ほど、その音楽性の高さで評判になった作品も珍しい。もともと音源という点では貧弱な機能しか持たないパソコンで、業務用ゲームに勝るとも劣らない美しい音色を実現したことに対して、全国のユーザーから絶賛の声が集まった。また、秋葉原のショップの店頭で『イース』のデモをしていると、おおよそゲームなどには関心のなさそうな人たちが、その音楽に魅せられて足を止める、といった光景を僕は何度も目のあたりにしている。『イース』にとって、ゲーム・コンセプトとゲーム・ミュージックは車の両輪であり、そのどちらも水準を超えたレベルであることを示す良い一例であろう。
 ここで決して見逃してはならないのが、『イース』のミュージック・コンポーザー、古代祐三君の手腕だ。彼の場合、ミュージック・コンポーザーといっても、単なる作曲家としての仕事にはとどまらない。そのイメージにあった曲の楽譜を作るだけならば、おそらく作曲を少しでもかじったことのある人ならば容易にできる作業であろう。イメージにあった曲を作ったうえに、さらにイメージにあった”音”を作る―これが彼の仕事なのである。『イース』が最初に制作されたPC-8801SRシリーズには「YM-2203」という音源LSIが組み込まれているのだが、その音源LSIの持つポテンシャルをフルに生かして、自分の作った曲にピッタリの音を作り出すという作業は、それこそ並大抵のものではない。業界広しといえども、パソコンの音源を使いこなすという意味では、古代祐三君の右に出る者はいないのではないだろうか。
 このレコードには、その原曲のPC-8801SR版の音が収録されている。ゲームに使用されたすべての曲はもちろんのこと、Bディスクを起ちあげてYSのキーを押していると聞くことができる未使用曲13曲もすべて収められている。未使用曲は88版にしか入っていなかったので、88以外のユーザーのみなさんにとっては、まさに必聴ものだ。加えて、88ユーザーが聴けなかったX1、FM、MSX用のPSG3声によるオリジナル曲(こちらは石川さんの作曲)も完全収録。さらに、このレコードのために演奏されたアレンジ版5曲も出色の出来に仕上がっている。まさしく『イース』の音楽のすべてを収めた1枚と言っても、過言ではないだろう。
 今、こうして原稿を書いているときにも、BGMに『イース』の曲を流しているのだが、ふと目を閉じると、あの懐かしい『イース』の冒険が、つぎつぎと走馬燈のようにまぶたの裏に映っては消え、消えては映っていく。そう、ゲーム・ミュージックとは、他のジャンルの音楽と違って、一度自分が体験したことを再び想像力の中で疑似体験させ得る、ニューメディアでもあるわけだ。今後とも、ひとりでも多くの人が、このゲーム・ミュージックの素晴らしさを理解してくれることを願ってやまない。
 ―この一文を、素晴らしい楽曲群を創造し、パソコン・ゲーム・ミュージックの可能性を大きく拡げてくれた、親愛なる古代祐三君に捧ぐ―

1987年9月10日

(1987年11月発売「ミュージック・フロム・イース」ライナーより抜粋)


「ミュージック・フロム・イースII」ライナーノートから

石川三恵子(日本ファルコム音楽担当)

 『イースII』は『イース』の続きです。
 あの『イース』の続編なんです。だから主人公はやっぱり赤毛の「アドル」なんです。
 記憶喪失のフィーナも、詩人のレアも、壁ぶっこわしたドギもいるんです。
 だから、きっと、たぶん、ぜったいアドルとフィーナは再会して、手を取り合って平和な夜明けを迎えるに違いない。ワクワクと心がはやってしまうのです。
 だって、オープニングナンバーが「もう、我慢できない。エンディングまで一気にいくぜ!」って気にさせてくれちゃうごっきげんなノリだから。盛り上がるわけなのね。
 「リリア」の笑顔のバックに流れるBGMも彼女の可愛いらしさを倍増させてて良いしね。
 でも、きっとあなたは彼女の笑顔にあまりにマッチしたこのBGM「LILIA」を聞きながら、『イース』タイトル曲「FEENA」を思い出しつつ「まさかフィーナではなく、アドルはリリアと……。」という、ファンの期待を裏切るような大どんでん返しを予感してしまったのではないですか。
 そう、『イース』のBGM群はただのBGMではないんです。
 物語の展開を予想させ謎解きの手助けにもなるかも知れない、シナリオに密着しきってる奥の深いものなんです。
 だから、やっぱり凄いんです。スーパー・アレンジ・バージョン。「これ聞かないで『イースII』解いたなんて言っちゃあいけないと思うな、僕は。」自ら感動の嵐に咽び泣く制作スタッフの肩をたたきながら、総指揮官・加藤社長はつぶやいたんです。
 ゲーム中では、MissPSGの美声が満喫できる「ランスの村」のBGM。スーパー・アレンジ・バージョンでは、平野文さんが歌ってくれました。
 アドルとリリアの恋の歌でしょうか。苦しい戦いを終えたアドルのための女神からの贈り物でしょうか。もしかしたら……。
 ともに冒険してきた親愛なるあなたへの、アドルと、そしてイースの国からの声なのかもしれないね。

(1988年6月発売「ミュージック・フロム・イースII」ライナーより一部抜粋)


「ミュージック・フロム・イース」再販版ライナーノートから

 今は平成元年5月9日。
 この「ミュージック・フロム・イース」の発売が昭和62年11月5日、ゲームソフト「イース」が発売されたのは、昭和62年6月21日でした。時の流れって、なんて速いんでしょ。

2年も前です。もう、古いよ。「イース」なんて。と言いたいところなんだけど。
やっぱ、「イース」は忘れられない。こういう(心に残るゲーム)って、無いよ、あんまり。

 本でもレコードでも、何でもそうだと思うんだけど、(おもしろいもの)っていうのは、たくさんあるんだよね、捜せばいくらでも見つけられるでしょ。
だけど、どこが何とか、可愛いとか、かっこいいとか、そういういろんな(わけ)みたいのを感じてる余裕なしに、夢中にさせてくれるものに捜して出会えることってほとんど無いでしょ。
《運命的な出会い》っていうか・・・ちょっと大袈裟ですが。

 とにかく、「イース」は、あたしにとってそういう存在なわけです。うまく言葉に出来ないんだけど、「ネバー・エンディング・ストーリー」っていう映画の、主人公バスチアン君を実体験してしまったという感じで、「イース」の世界でのアドルとの冒険が《想い出》みたいになってるんだよね。遠足とか修学旅行の想い出とおんなじように、机の引き出しの奥から、アドルと写した写真が出て来ても驚かないだろうな、みたいな。

 うん。解ってます。
言葉なんかで、くどくど説明したって仕方ないってね。
「ミュージック・フロム・イース」を聴いてください。
「イース」の世界をアドルと一緒に冒険した人なら、きっと、おんなじ懐かしさで一杯なはずだから。

1989年5月9日 石川三恵子

(1989年5月発売「ミュージック・フロム・イース」再販版ライナーより抜粋)


音の巨匠インタビュー 古代祐三〜「ユーズドゲームズVol.6『めくるめくゲーム音楽の世界』」から

「88」のために生まれた名曲「イース」

編集部(以下、編):FM音源は88のSRから搭載されたんですよね。

古代さん(以下、古):そうです。あれとグラフィックチップの少々の改良で、88はかなり寿命を延ばしましたね。ちょうどゲームアーツが台頭してきたのもSRに合わせてでしたし。「テグザー」と「シルフィード」はインパクトありましたよね。88のSTGの頂点でしょう。

:曲も良かったですね。

古:「イース」を作るときにかなり触発されました。「テグザー」よりもいい音出してやろうと思って。

:FM音源とPCM音源の違いというのはどのあたりでしょうか。

古:FM音源って圧倒的にメモリが少なくて済むんですよ。その代わりにリアルではない。PCMのほうが「アクトレイザー」みたいにストリングスやブラスの音を出したりするのに向いてるんです。だけど僕、音色がかなり独特だという点でFM音源の方が好きですね。PCMの方は、あくまで生の楽器を真似するために生まれてきたものですから。もちろんFM音源も、メモリが少なかった時代になんとか真似しようとした意図があったんでしょうけれど、結果的には独自性の方が評価されたチップでしたよね。

:うまく言えませんが、88から鳴っていた音って硬いような気がするんですよね。

古:それには色々時代背景がありまして…。当時もCDはありましたけど、レコーディングの主体はアナログだったんです。本当にCDの音が良くなったのはここ2,3年なんですよ。当時はアナログの考えを持った人がエンジニアをやっていたので、どうしても音が丸くなってしまうし、ダイナミックレンジも狭い。それに比べてゲームの音は基盤から直接鳴りますから、いわば電子の生の楽器ですよね。だからどうしても冷たいし硬いんです。単純な話、FM音源の音をレコーディングしてCDにすると音が変わるんですよ。柔らかくなってしまうんです。

:あの音をずっと聴いていたいと思ったら、88を捨てるわけにいかないんですね(笑)。

古:そういうことになります(笑)。あれを一つの楽器と考えれば、一番リアルな音が出ますからね。

:「イース」などもたくさんの機種に移植されてますが、それについてはどのようにお感じになっていますか。

古:本当は、あれはアレンジする曲じゃないんですよ。ここ7、8年ずーっと言い続けてるんですけども、あれは88のために書いた曲であって、音楽的にもほかでアレンジして成立するものじゃないんです。ハード、メモリ、FM音源のスペック、全部考えて作った曲ですから、それ以外で展開させても…。本質的にかなり捻じ曲げられてるので、結局は別のものとして聴くしかないですね。もちろんアレンジという世界はあってもいいと思うのですが、忘れてほしくないのは、あの曲は88という楽器のために作った曲だということ。それ以上でも以下でもないんですよ。作者として伝えたいのはそこなんです。あのゲーム自体、88というシステムのために生まれたものですからね。フロッピーの読み込む速度まで考慮したゲームテンポになってるんです。だから曲も含めて、他に移し替えてもバラバラになるだけなんですよ。

:今はあまりそういった視点から作られたゲームはないんでしょうか?

古:キャラがいてそれを使った何か、とか、形から入りますよね。面白いかどうかは価値観の違いですけど、発想の原点は違いますよね。中にはハードのスペックを重視したような光るものもあるのに、そういう作品は埋もれてしまいがちでかわいそうです。早いところこの粗製濫造状態が整理整頓されてほしいと思います。

(1998年2月発行「季刊ユーズドゲームズVol.6」98年春号「めくるめくゲーム音楽の世界」より一部抜粋)

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