黒鴨林道完成記念碑

黒鴨林道完成記念碑

黒鴨林道完成記念

戦後疲弊困憊の中に郷土の復興を如何になすべきか、
この時に当り敢えて廣大奥地林を開発し、延いて朝日連峰観光に寄與せんとする、
まさに遠大百年の計と云うべきであった、この林道は旧鮎貝村長土屋栄吉氏の
高邁なる識見を中心とし先達諸氏の一致協力の下、永年に亘る不撓不屈努力の結晶として完成した、
即ち着工以来星霜茲に二十一ヶ年、この間幾多の変遷を経つヽ凡ゆる困難を克服し、
遂に所期路線の開通を見るに至った、今朝日嶽の英峰を目のあたりに
先輩諸氏の偉業を景仰し郷土の飛躍的振興を祈念してやまないものである
昭和四十六年十月
財団法人 鮎貝自彊会

 峠の広場でひときわ目立つのは大きな記念碑だ。これは黒鴨林道開通記念碑で、林道が造られた顛末や年表、功績のあった人々の名などが刻まれている。

 愛染峠の歴史は、朝日連峰近代登山の歴史とともにはじまる。明治時代、日本に西洋式の登山が広まると、程なく朝日連峰でも、西洋式の登山者が見られるようになった。
 その当時の登山道は現在とは大きく異なり、黒鴨を出発して頭殿山を経由するものだった。起点となる黒鴨には鉱泉が湧き、経由地となる朝日連峰東麓には朝日鉱泉がある。温泉に恵まれたこの道筋は、登山の英気を養うにうってつけだったのだろう。かくして黒鴨〜頭殿山〜朝日鉱泉ルートは、朝日連峰の主要登山道として栄えることになった。

尖山から見る頭殿山
頭殿山。かつて朝日連峰に登るには、この山を越えるのが主流だった。

 当時、朝日鉱泉で使う生活物資は、鮎貝村(現白鷹町北西部)から強力達が山を越えて運んでいた。昭和26年(1951年)には、鮎貝村の村議達が、慰安旅行としてこのルートで朝日連峰に登ったという記録も残っている。当時、黒鴨と朝日連峰のつながりは今以上に強いものだった。
 こうした事情を背景に、戦後の郷土復興策の一環として、昭和26年より黒鴨と朝日連峰を結ぶ林道の建設が始まった。その目的は朝日連峰の観光開発を主眼としたものだ。開通すれば、黒鴨から朝日鉱泉まで自動車で直通できるようになり、登山者に相当の便宜を図ることになる。その入り口となる鮎貝村は、登山基地としてますます栄える……はずだった。

 林道の工事は相当に難航したようだ。急峻な渓谷に道を穿つ苦労は並大抵のことではないし、大雨や台風等で、作った道が壊れることもあったろう。冬になれば雪の重みで土砂が崩れたことも想像に難くない。かくしてようやく開通にこぎ着けたのは昭和46年10月のことで、着工より実に20年近くを費やしたことになる。しかし完成後も毎年のように起こる土砂崩れや崩落等でたびたびの通行止めを余儀なくされ、なかなか通り抜けできない状態が続くという有様だった。
 愛染峠が損壊と復旧を繰り返すうち、周囲をとりまく状況は一変していた。その間に朝日町側からの取り付きが格段に向上し、別の道から朝日鉱泉まで直接自動車で行けるようになっていたのだ。自動車の普及にともない多くの登山客がこちらを利用するようになると、頭殿山ルートは過去のものとなってしまった。頭殿山に代わる新路線となるはずだった黒鴨林道も決して使いやすい道ではなく、今や鮎貝経由で朝日連峰に向かう登山客は少数派となっている。


山小屋と長井葉山登山口

愛染峠避難小屋 長井葉山登山道愛染峠口

 峠には長井葉山の登山口もある。ここより稜線を南にたどれば、片道3時間ほどの山歩きで長井葉山山頂にたどり着ける。広場の一角には無人小屋もあって、登山などで利用できるようになっている。このあたりの山域は山小屋が充実しているので、様々なルートでの山歩きが楽しめそうだ。黒鴨林道が頻繁に修繕されているのは、この登山口への取り付きを確保するためでもあるのだろう。


愛染堂

愛染堂 峠の愛染明王

 広場の一番奥まったところには愛染明王を祀った祠があり、峠名の由来となっている。
 この愛染明王は比叡山延暦寺より分祀されたもので、開通翌年の昭和47年(1972年)、当地に勧請された。なんでも林道開通時の菊池秀夫白鷹町長が寺院の出身だそうで、その縁でここに愛染堂をこしらえたと伝わっている。
 祠は小さいがコンクリート製で、シャッターまで備えている。頑丈そうな作りに、朝日連峰に臨む峠ならではの冬の厳しさが思い起こされた。


大規模林道跡

大規模林道分岐点ふたたび

 鞍部を廻ったところで、今度はさっきのやたら立派な追分を見てみよう。道中からも見えたこの道の正体は、未完成に終わった大規模林道の残骸である。

大規模林道真室川小国線朝日工区の跡 大規模林道行き止まり地点

 大規模林道跡は稜線の直下にある。乗用車が余裕ですれ違えるほどの幅員で舗装状態もよく、山奥には似つかわしくないほど整っているが、南に1キロ強ほど進んだところで途切れている。
 昭和の後半、山形にて大規模林道の建設計画が持ち上がったことがあった。北の真室川町から南の小国町までを結ぶ林道を建設するという計画で、急峻な山岳地帯に道を穿つという非常に壮大―言い換えれば荒唐無稽―なものだった。しかしそれは行政や建設業界の利権や思惑が強く絡んだ事業だったようで、自然保護や建設意義などの観点から、民間で猛烈な反対運動が巻き起こった。
 結局反対意見に押される形で平成のはじめ頃に計画は撤回され、大規模林道は幻に終わっている。ところがそれまで実際に一部の区間は建造され、山中にやたら立派な道が残ることになってしまった。愛染峠にあるのはその建造された一部の区間で、こんな具合にその姿を晒しているというわけだ。

大規模林道からの展望

 大規模林道からも東の展望が得られる。もしこの道が完成していたら、深山幽谷の峠は格好のドライブコースになっていたかもしれないが、こんな山奥にこんな立派な道を造ってどうすんだという気もする。


西五百川林道へ

ここから西五百川林道です

 今度は峠から西五百川林道で朝日町側へ下ってみよう。朝日町側は土砂崩れ等で通れない状態が長らく続いていたのだが、取材時(2006年9月)には修復工事が終わり、無事通り抜けできるようになっていた。道ばたには数年にわたり行く手を阻んだゲートが残っている。


朝日連峰

峠直下から見る朝日連峰

 西五百川林道を下って100メートルも行かないうちに、右手より朝日連峰の絶景が飛び込んでくる。左の山が御影森山で、右が朝日連峰の主峰大朝日岳。下の方にはこれから下っていく道が見える。


西五百川林道の様子

西五百川林道舗装区間 転落防止柵まで完備

 西五百川林道は件の大規模林道計画に組み入れられていたたため、黒鴨林道以上に整備されている。2キロほどの舗装区間があるばかりか、残る未舗装区間も非常に状態が良いため、自動車で走っても苦労はしないだろう。黒鴨林道にはなかった転落防止柵まで設けられている。

山肌を通る西五百川林道 状態の良い未舗装路

 朝日連峰を間近に見据えるところにこんな道があるということにまずは驚く。
 置賜と外界の連絡路として朝日連峰に注目するという発想は決して新しいものではなく、戦国時代には上杉藩の重臣直江兼続が、朝日連峰を縦断して置賜と庄内を結ぶ「朝日軍道」を建設している。件の大規模林道も朝日連峰の懐を主要経由地としており、この区間が完成すれば、置賜から月山付近までこんな道路で直行できるようになっていたらしい。
 余談だが、大規模林道建設中止で複雑な反応を示したのが、沿線となるはずだった西川町の大井沢地区だ。大井沢は月山と朝日連峰に挟まれた山間にあり、交通の便があまりよくないことでも知られている。そこに大規模林道ができれば米沢との距離が近くなるのではと期待されたのだが、計画撤回で白紙になったので、大井沢ではこれを惜しむ声もあったのだとか。

補強された路肩 倒れかけた雪崩止め 路肩に残る崩落跡

 立派に整備されているが、やはり朝日連峰懐の急なところを通ることに変わりはないため、こんなところもちらほらと見かけられる。

補修工事標柱 続・路肩に残る崩落跡

 標柱によれば平成16年(2004年)から翌年にかけ、大規模な修復工事が施されている。ところどころに見られる崩落跡を見る限り、それまでは随所で派手に崩れていたようだ。


あなぐら沢橋と三本杉沢橋

あなぐら沢橋 三本杉沢橋

 鞍部より5キロほど下ると、二本の橋で立て続けに沢を渡る。一本目のあなぐら沢橋は昭和43年(1968年)11月の竣工で、続く三本杉沢橋は平成13年(2001年)12月に竣工している。30年以上にわたり人の手を入れても、林道は安定して通れないという状態が続いているわけだ。

三本杉沢橋から見るヌルマタ沢片桟橋

 三本杉橋より前方を見たところ。渓谷に臨む山腹に張り出す欄干はヌルマタ沢片桟橋。


ヌルマタ沢片桟橋

ヌルマタ沢片桟橋

 先ほど見た片桟橋で険しい山腹を横切る。ここまで来れば朝日鉱泉はもうすぐ。


朝日鉱泉

朝日鉱泉ナチュラリストの家

 そして6キロほど走ったところで、いよいよ朝日町側峠口、朝日鉱泉に到着。鉱泉自体は江戸時代末期には既に見つかっていたらしく、その頃から湯治場として地元の人々に利用されていたようだ。現在は湯治場と言うよりも朝日連峰の登山基地として知られており、毎年季節になれば地元はもちろん遠方からも多くの登山客が訪れる。
 愛染峠は黒鴨とこの朝日鉱泉を結ぶ道として作られたのだが、先述のとおり、現在は大井沢や朝日町の中心部宮宿から鉱泉に至る道が整備されているため、愛染峠経由で朝日連峰に来る登山客は少数派となってしまった。

 黒鴨にある「朝日岳表登山口」の標柱は、この峠に期待されたものを表している。しかしそれとは裏腹に峠は自然開発と環境保護の間で揺れ動き、21世紀になった現在も、いまだその役割を果たしていない。
 峠の愛染明王は人里離れた祠の中で、一人何を思っているのだろう。

(2006年9月/07年5月/08年5月・6月取材・2008年6月記)


案内

場所:西置賜郡白鷹町黒鴨と西村山郡朝日町立木朝日鉱泉の間。郡界。黒鴨林道および西五百川林道。標高約1060m。

所要時間:
黒鴨林道起点から鞍部まで自動車で約45分。同じく鞍部から朝日鉱泉まで約20分。

特記事項:
 大雨や台風等による災害で通り抜けできないこともしばしば。積雪期はもちろん通行止めとなる。通れるようになるのは5月後半あたりから。峠区間は全線自動車通行可。全体的によく整備された未舗装路だが、見通しの利かない隘路が続く。鞍部付近は東西の展望が見事。秋には紅葉も楽しめる。鞍部に頭殿山や長井葉山への縦走等に便利な無人避難小屋あり。白鷹側峠口に黒鴨温泉、同朝日側に朝日鉱泉あり。峠の行き帰りにどうぞ。1/25000地形図「荒砥」「羽前葉山」。同1/50000「荒砥」「朝日岳」。

参考文献

「白鷹想い出写真館 白鷹町誕生50周年記念 写真で綴る明治・大正・昭和の歩み 」  白鷹町20世紀写真集編集委員会 2004年

「みちのく朝日連峰山だより」 西澤信雄 山と渓谷社 1983年

「続・みちのく朝日連峰山だより」 西澤信雄 山と渓谷社 1989年

謝辞

 取材にあたりお世話になった白鷹町立図書館様と白鷹町教育委員会様に感謝申し上げます。

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