旭峠は鶴岡市内、善宝寺と湯野浜の間にある峠だが、その名は国土地理院の地形図には載っていない。山形県下でもその名が広く知られているわけでなく、地元でのみその名を知られる小さな峠なのだが、だからこそ知っている歴史がある。
峠は庄内きっての名刹善宝寺と、保養地湯野浜の間にある。鶴岡市墓園の標柱がある丁字路が入り口だ。
さっきの丁字路から入っていくと、また丁字路が現れる。ここで貝喰の池(かいばみのいけ)方面を目指してまた曲がる。
石畳の敷かれた貝喰の池入り口の脇に、杉林に埋もれた未舗装路がある。この未舗装路が旭峠への道である。
峠に行く前にちょっと寄り道。峠口にある善宝寺の貝喰の池は、人面魚が棲む池として知られている。1990年、東スポや開局したばかりのテレビユー山形(地元テレビ局)が面白情報として採りあげたのをきっかけに、あっという間に全国にその名を知らしめ、ついには東スポに「重体脱す」と書かれるまでに至った。
人面魚の正体は池に棲む鯉。その頭部の模様が人の顔のように見えるので、人面魚と呼ばれるようになったわけだ。貝喰の池は、もともとは二柱の龍神が身を潜めているという伝説のある善宝寺の聖地。人面魚が話題になったことの背景には、善宝寺の龍神信仰がある。
さすがに往時の騒ぎは収まったが、今でも池には鯉が数多く生息している。人面魚も健在なので、会いたい方はぜひどうぞ。
人面魚にあいさつが済んだので、さっそく峠道を登っていく。道幅は2〜3メートルほど。未舗装だが、路面状態は非常に良好だ。かつては砂で滑って登りづらかったらしいが、現在はそういうこともない。ちょっと登ると杉林から広葉樹の明るい林に変わる。善宝寺側はカーブもなく、鞍部までただひたすらまっすぐに登っていくので、風景にあまり変化はない。道はいいのだが勾配は急なので、早足で登ると息が切れる。
さらに登っていくと、右手にゴルフ場が現れる。昭和41年に開業した湯野浜ゴルフ場だ。打球に注意しながらさらに登る。
この建物が見えてきたら、鞍部はすぐそこ。
15分ほどの登りで鞍部到着。未舗装路はここで舗装路に合流する。舗装路はゴルフ場に通じており、通行量もそれなりにあるから気をつけよう。昔はこの付近に清水があったそうだが、それらしいものは残っていなかった。
鞍部を越えると、日本海の展望が一気に飛び込んでくる。必見。峠は名前のとおり朝日の名所だったそうで、湯野浜八景の一つにも選ばれていた。
鞍部を越え、湯野浜川の谷筋を左手に見ながら少し下ると、湯野浜の温泉街が見えてくる。
湯野浜温泉は天喜年間(1053年〜1058年)の開湯以来、在郷の農家や漁師の湯治場として利用されていたが、文化年間(1804年〜1817年)にかけて源泉が整備されたのを受け、歓楽街を備えた温泉地に変貌していった。明治中期からは海水浴も盛んになり、今に至るまで夏の湯野浜の定番となっている。
峠の名は大山の若い衆が暗くなった頃この峠から湯野浜に来て、一晩遊んだ帰りに朝日を見ながらこの峠を越えたことに由来すると言われている。若い衆の他には、近隣の湯治客や温泉宿に料理用の野菜を届ける農家もこの峠を利用していた。
こんな具合に、峠はもともと地元住民が細々と利用する山道に過ぎなかったが、初代山形県令三島通庸の発案によって、明治10年(1877年)に改修されている。工事には地元住民延べ941人が参加している。完成直後の同年6月には、三島自らが湯野浜でオランダの工事技師エッセルを出迎え、当時珍しかった馬車でこの峠を越えている。その際三島がこの道路のことを自慢していたと、エッセルは回想録に記している。さっきの坂道は、三島ご自慢の道だったわけだ。
湯野浜は海と高館山に挟まれたごく狭い場所にある。当時湯野浜に行くためには、丘陵を越えるか迂回するか、磯づたいの険路を回り込むかのどれかしかなかった。
三島は湯野浜温泉の大ファンで、神経痛の湯治のため4ヶ月も長逗留していたとか、贔屓にしていた温泉宿が県庁分室のようになっていたという逸話が残っている。もともと三島は鹿児島出身だ。鹿児島も非常に温泉が多い。鳥海山を眺める海の湯、湯野浜は、どこか開聞岳のお膝元、砂蒸しで有名な指宿に似てないこともない。
三島が旭峠の改修を思い立ったのは、もしかして、もっと気軽に湯野浜温泉に行きたかったからなのかもしれない。
湯野浜側に下ると間もなく温泉旅館「満光園」が現れる。昭和45年(1970年)に開業した。湯野浜側から登っていく時は、ここを目印にするとわかりやすい。湯野浜は日本海に面しており、その眺望を売りにする旅館が多い。
満光園そばにある神社。明治13年(1880年)、お伊勢参りに行った村人が、行く先々で赤毛の狐と遭遇するという不思議な出来事に会い、油揚げを供えて供養するとともに、京都の伏見稲荷を勧請して湯野浜に祀ったというのがその由緒。立ち並ぶ真っ赤な鳥居がひときわ鮮やかで目立つ。鳥居そばには移設された追分碑がある模様。
日本海を見下ろしながら、道なりに下っていく。温泉街の雰囲気とはがらりと異なる住宅街が広がる。
下りきると、湯野浜の住宅街の真ん中に出る。温泉街はすぐそこだ。