磐司祭

磐司祭法要

 磐司祭は山寺三大祭りの一つで、毎年8月7日前後の日曜日、山寺地内で開かれている。山寺開山の功労者、磐司磐三郎に感謝を捧げるもので、近隣の保存会による獅子踊りの奉納が見どころだ。


対面岩

対面岩

 山寺を流れる立谷川にかかる山寺橋を渡ると、右岸の下流側にひときわ大きな岩を望むことができる。この岩は対面岩と呼ばれ、磐司磐三郎と慈覚大師円仁が語り合った場所とされている。

 当地にやってきた円仁は、峠一帯を縄張りにする磐司磐三郎に見咎められ、「身ぐるみ一切置いていけ!」と追い剥ぎされそうになった。しかし円仁は恐れる風もなく裸一貫になると、「お前たちは何もかも奪い盗ったと思っておるだろうが、ワシはまだまだ高価なものを持っておるぞ。」と言い放った。それが何だか判らない二人は、「教えて欲しいなら、今後、一切の悪さを止めなさい。」と言う円仁の言葉に従い、教えを請うた。
 円仁が言う「高価なもの」とは、「心」だった。円仁が「他人の心を盗るためには良い行いを積まねばならない。」と諭すと、二人は円仁の徳の高さに感銘を受け、心服してしまった。
 円仁に教化され、磐司兄弟が狩りを止めると、それまで二人に追われていた山の獣たちは喜び、これで怯えずに暮らせると円仁に礼を言った。しかし円仁は「狩りを止めたのはワシではなくて磐司兄弟だ。ワシより二人に礼を言うがよかろう。」と言うので、獣たちは磐司磐三郎に喜びの舞いを披露した。
 以来、山寺では毎年夏になると獅子踊りを奉納して磐司磐三郎の功績を讃え、感謝を捧げてきた。これが磐司祭のはじまりだと伝わっている。

対面堂

 岩の前には小さな祠があり、慈覚大師と磐司磐三郎の木像が並べて安置されている。祭りではこの像が立石寺敷地内の祭壇に遷座され、その前で獅子踊りが披露される。


獅子踊

沢渡獅子舞

高擶獅子踊 長井平山獅子踊

 磐司祭は立石寺貫主による法要に始まり、関係者各位による献香・挨拶が済むと、いよいよ獅子踊りの奉納となる。踊りを奉納するのは近隣で活動する保存会の方々で、県下よりいくつかの団体が参加している。
 獅子踊りはもともと、地元の祭礼や豊年祝いなどで奉納されるもので、東北地方では各地にこうした踊りが残っている。「獅子」とはいっても模しているのはライオンではなく、鹿や猪といった山獣である。
 地区によって子細は違うが、多くは獅子のかぶり物を被った踊り手が3人〜7人で組になり、篠笛や太鼓、手平金といった楽器によるお囃子の伴奏に合わせて踊る。踊り手にはそれぞれ雄獅子に雌獅子、子獅子といった役割があって、踊り方もそれぞれに異なる。各地区の踊りは何幕かの曲目で構成されるのだが、実際に奉納されるのはそのうちのいくつかである。ゆったりしたものから激しいものまで様々で、地区による違いも、踊りの見どころだ。


夜行念仏

夜行念仏

 祭りでは参詣者による声明も奉納される。これが磐司祭もう一つの目玉、夜行念仏だ。
 磐司祭の前日になると、浴衣に袴をつけ笠を被った参詣者が、山寺に集まる。参詣者は夕方から山寺に入り、夜通し寺社を巡って供養文を唱えつつ、立石寺の奥之院を目指す。そこで休息を取った一行は、早朝から再び寺社を巡って供養文を唱えつつ、下山するのだ。
 夜行念仏は磐司祭の前夜祭にあたる行事で、かつては多くの若者が参加していた。往時、奥之院は参詣者で横になる場所もないほど混み合い、座ったまままどろみつつ一夜を明かすこともあったという。足下を照らすため石段に灯籠が灯される様は幽玄で、それは美しいものだったそうだ。
 現在では若者が夜通し寺社を廻るということはなくなったようだが、保存会の有志がこの行事を伝えている。


磐司太鼓

磐司太鼓

 獅子踊りの合間には、和太鼓の演奏も奉納される。磐司太鼓は地元山寺の芸能保存会が昭和61年(1986年)創作したもので、演奏時間は12分ほど。曲は磐司磐三郎と慈覚大師による立石寺開山縁起に着想を得ている。演奏は祭りの他、山形市の様々な催しなどでも披露されている。


 

磐司祠

磐司祠

 最後に山寺にある磐司磐三郎ゆかりの史跡をご紹介。
 山寺の展望台五大堂のすぐ隣りの岩窟に、小さな祠が建っている。これは磐司祠と言って、磐司磐三郎を祀っている場所である。
 磐司磐三郎は当地に霊場を作るため狩りを止めた他、自分たちが縄張りとしていた山寺の地を円仁に譲っている。それゆえ立石寺では、磐司磐三郎を「地主権現」として祀り、慈覚大師と並ぶ山寺開山の功労者として、現在でもその功を讃えているわけである。
 祠は通路から見上げる位置にあるためよく見えないが、中には磐司磐三郎の位牌が安置されている。

開山権現祠

 岩窟真向かいの大きな岩には、磐司祠と向かい合うようにして小さな祠が建っている。「開山権現」の扁額があるので、磐司祠と何らかの関係があるのだろうか。
 すぐそばの五大堂が観光客で引きも切らないのに対し、あまり知られていないのか目立たないのか、磐司祠にまで足を伸ばして見物している人間はほとんどいなかった。

 その昔、磐司祭は山寺最大の祭りだった。秋保から二口峠を越え、見物に来る人々も大勢いたという。しかし現在はだいぶ忘れ去られているようで、当日朝でも近隣の駐車場には相当の余裕があった。獅子踊りに目を留める観光客こそ多かれど、祭りが目当てというふうでもない。
 「おくのほそ道」の名所、観光地として名を知られがちな山寺だが、もとは東北屈指の霊場であり、磐司祭はその色彩を色濃く伝える行事である。芭蕉は磐司祭を見ていないが、「閑さや」の句を残したのは、そんな山寺の地に感じ入るものがあったからこそではなかろうか。
 祭りは平成17年(2005年)からは「全国獅子踊フェスティバル」とも銘打ち、磐司磐三郎への感謝と共に、広く山寺の心を伝えるべく、開催を続けている。これからも永く続けていってほしいと願う。

(2007年8月取材・記)


案内

場所:
山形市山寺立石寺根本中堂前広場。年や天気によっては対面岩前や山寺公民館で開催されることもある。

期日:
毎年8月7日前後の日曜日。夜行念仏はその前日。年によって開催日が変わるので、観光協会等で確認するのが確実。

特記事項:
一般の観覧席はないので、基本的には立見となる。暑さ・日差し対策をお忘れなく。

参考文献

「芭蕉おくのほそ道」 萩原恭男校注 岩波書店 1999年

「名勝史跡山寺」 立石寺 2000年

平成19年磐司祭プログラム

秋保ビジターセンター制作の小冊子

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