十分一峠は山形の名峰、月山と葉山の間にある峠である。山奥の豪雪地帯を通る道なので、一年の半分以上は雪に閉ざされる。
十分一峠は最上郡大蔵村肘折と寒河江市幸生を結ぶ峠で、現在は国道458号線が開通している。冬になるとこの区間は通行止めになる。今回紹介するのはその国道の冬期通行止め区間である。
道は肘折温泉の手前で分岐する。右に行けば県道を経て肘折温泉へ至る。県道は平成25年(2013年)春の土砂崩れによって一時通れなくなっていたが、翌年に新橋「希望大橋」(のぞみおおはし)が完成し、現在は問題なく通れるようになっている。
国道はさっきの分岐を左に曲がる。曲がってすぐはやたら立派な道が続いているが...
しかし100メートルも進めばゲートが現れ、いきなり道が細くなる。本格的な峠道はここからだ。
冬場や通れないときは、ここで通行止めになっていることが多い。平成25年(2013年)より2年ほど、自然災害による土砂崩れのためここから通行止めという期間が続いていたが、平成27年(2015年)夏、半月ほど通行止めが解除された。今回の記事では主にそのときの状況を紹介している。
肘折側ゲートからしばらくは、断崖の中腹に沿う急峻な細道が続く。このあたりは地蔵倉と呼ばれている。地蔵倉の名は国道の上方にある地蔵堂にちなむ。肘折開湯にまつわる聖地だ。
地蔵倉は峠の入り口にあたるにもかかわらず、この峠トップクラスの難所だ。よく道が崩れるところで、至るところで谷側の路肩が補修されていたりする。
南を見れば肘折カルデラの展望が広がる。地蔵倉は肘折カルデラの北端にあたる。真ん中に見える川は銅山川。
ちなみにこれが地蔵倉の地蔵堂。国道よりだいぶ高いところにあって、入り口ゲート前から見上げると、崖の中腹に参道が拓かれているのが見える。「倉」という言葉には、崩れやすい断崖という意味がある。このあたりの地勢を見ればそれも納得だ。
平安時代、豊後国から来た片見玄翁という修験者が、地蔵尊の化身に霊験あらたかな温泉の湯守を仰せつかり当地に住み着いたというのが、肘折温泉の始まりだと伝えられている。そのお地蔵さんを祀っているのがこの地蔵堂である。玄翁は後に阿吽院(あうんいん)という寺院を開き、三山詣での肘折口別当を務めることとなった。
1キロ少々進むと断崖が終わり、谷筋にさしかかる。ここから峠道は森の中を進むようになる。
開通しているときは、たいがいここに「国道458号」の標識が建てられ、この道が国道であることを主張しているのだが、このときは一時開通だったせいか、何もなかった。
おにぎり設置地点の谷筋を過ぎると、あたりはブナ林になる。峠のブナ林はこのへんが一番きれいだろう。
谷側を見れば林の合間から岩壁が見える。谷間の川は銅山川支流の祓川。国道はおおむねこの川に沿いながら峠に至る。
ゲートから2キロ少々進んだところで、道の舗装が途切れた。
国道458号線は日本で唯一、未舗装路が残る「最後の未舗装国道」として、道路マニアに広くその名を知られている。平成27年(2015年)7月の時点で、未舗装区間は肘折側に大きく二箇所残っている。その最初の未舗装区間はここからはじまる。
シーズンともなると、全国からわざわざ走りに来る方もいたりする。その「酷道」っぷりをご覧あれ。
未舗装とはいうものの、肘折に近いこのあたりはだいぶ簡易舗装化が進んでいる。
ある路肩には舗装用と思われる砂利が山積みにされていた。もっとも、舗装化が進んでいるとはいえ、簡易舗装なので路面はところどころデコボコで、砂利なんかもよく浮いている。油断できない道であることに違いはない。
最初の未舗装区間は簡易舗装路と舗装路、未舗装路が代わる代わる現れる。「水無沢」の標柱がある沢筋のあたりはなめらかな舗装路だ。傍らには「郡界まで15Km」の標識が立ち、峠までの距離を教えてくれる。水が無いという地名と裏腹に、沢筋にはそれなりに水が流れている。
平成23年(2011年)頃、大雪の被害か震災の影響なのか、この沢が道を大きく削り取って国道を分断し、シーズンになってもしばらく通行不能となっていたことがあった。現在の道はその時補修されたもの。補修前からこのあたりはそれなりに整備された舗装区間だったのだが、あたりの自然の険しさを思い知らされる。
ついでに復旧直後(2011年)の様子。
道は簡易舗装路と未舗装路をくり返しながらさらに奥地に入っていく。よく見ると右側に道が分岐しているが、こちらは別の作業道。進むとあさっての山奥に出てしまう。遭難したくないなら道なりに進もう。よく見ると国道にはところどころ分岐地点があったりするのだが、広い方を道なりに進んでいればまず迷うことはない。
周囲にはブナ林が広がる。このへんは平成25年(2013年)以降に整備が進み、すっかり簡易舗装されてしまった。それ以前はこのあたりも未舗装路だった。
右手に機械のようなものが設置されているのが見えてきた。機械が置かれてある場所からは、砂防ダムが遠望できる。
調べてみたところ、どうやらこの機械は無線カメラ装置らしい。おそらく砂防ダムの監視用に置いてあるのだろう。
装置近辺にもブナの美林が広がる。ブナ林が楽しめるのはこのあたりまで。
あたりは次第に日当たりが良くなり、雑木林に変わった。
ブナ林を抜けしばらく進むと、コンクリート製の堤防みたいな建造物が現れた。銘板によれば昭和58年(1983)に設けられた治山ダムらしい。ここまで来ると山ひだに沿う曲がりくねった道から、比較的カーブの少ない道に変わる。
藪と化してはいるが、谷止工付近には平場が多い。話によれば昭和中頃、この付近には製材工場があり、工員の住宅などもあったのだという。そのせいか前後は舗装された区間がしばらく続く。
谷止工から800メートル程進むと、小さなコンクリート橋で渓流を渡る。この渓流が祓川。さっき遠望したのと同じ川である。
祓川は葉山を源流とする川だ。その名は山岳信仰と関係がある。
葉山は古くからの信仰の山である。かつては湯殿山の代わり、出羽三山の一座に数えられていたこともあった。対峙する月山は出羽三山の最高峰だ。峠口の肘折温泉には、これら山々に詣でる人々が、参詣前に俗世間の穢れを落とす「禊ぎの場」としての性格がある。
この祓川はそうした禊ぎの場の一つだったと考えられている。葉山や出羽三山登拝を志す行者等が水垢離で心身を清めた場所、穢れを祓った川というのが、その名の由来らしい。
ここからしばらく、道はこの祓川と併走して進む。
川を渡るとすぐ未舗装路に変わる。肘折側の未舗装区間はこのあたりが一番よく残っている。
左手に脇道を発見。こちらに入ればすぐ祓川の河原に下りられる。芋煮会なんかをするのにちょうどよさそうだ。
この区間もとかくよく崩れる。この時も補修のための土嚢が積まれている箇所や、工事中の重機など見かけた。
工事現場を過ぎたあたりで舗装路に変わった。未舗装路はここからしばらく姿を消す。簡易舗装を含めて、最初の未舗装区間はおよそ4キロ強である。
未舗装路が切れてから少し進むと広場が現れる。道は広場の脇をかすめ、再び祓川を渡る。この先は中小屋と呼ばれる場所で、道はさらに山奥へと入っていく。
祓川を渡るとすぐ、大きく路肩が直された箇所が現れた。どうやら平成25年(2013年)にひどくやられたのはここらしい。
コンクリートですっかり固められた路肩の下には、派手に流されてきた土砂や岩がゴロゴロしている。倒木もちらほらと見受けられ、よほど激しく崩れただろうことがうかがえた。これなら通行止めになるのも無理はないと納得。
同じ場所の2013年8月の様子。側溝を残して見事に道が消えてしまっているのがわかる(情報を提供してくださったD3改さん、ありがとうございます)。
崩落地点を過ぎ沢筋を離れると、途端に道が良くなる。山奥であることが信じられないくらい。