小滝峠・小滝越え

 小滝街道は、村山地方と置賜を結ぶ古い道である。それは今も同じで、国道348号線と名前を変えた今でも、道は村山と置賜を結ぶ道として活躍している。


狸森

上山市立山元中学校

 小滝峠と小滝越えは、国道348号線こと小滝街道にある峠である。国道348号線は山形駅南方の鉄砲町から発し、白鷹町を経由して長井市に至るが(厳密には長井市が始点で山形市が終点)、その途中でいくつか集落を経由している。
 山形から峠口を目指していると、上山に入って程ないところで狸森の集落にさしかかる。一見読みに困るが「むじなもり」と読む。見る限りはただの山あいの一集落だが、かつては全国的にその名を轟かせたこともあった。それが「山びこ学校」だ。

 「山びこ学校」は狸森にあった山元中学校の生徒たちによる文集である。編集にあたったのは教師として同校に奉職していた無着成恭氏だ。「全国こども電話相談室」で有名な、あの無着先生である。
 終戦直後の昭和20年代前半、新任教師として山元中学校に赴任した無着氏は、綴方(作文)を通じて生活の中の問題点を見つけ、子供達に改善方法を考えさせるという教育をした。その作文の一部が「山びこ学校」としてまとめられ、昭和26年(1951年)に出版されると、日本中から大きな反響を得た。
 「山びこ学校」はベストセラーとなり映画化され、狸森はその名を全国に知られることとなった。ところが村人にとっては村の恥部を全国に晒すものとされ、その結果、無着氏は追放同然で村を出ていくことになってしまった。

 学校は少子化や過疎化によって次第に生徒が減少し、平成になると閉校の危機にさらされた。小学校と中学校を合併したり、学区外からの児童を受け入れを始めたりと、生き残りの道が模索されたが、時代の波にはあらがえず、平成18年には小学校が閉校、残る中学校も平成20年には生徒数が3人になり、同年度いっぱいで閉校している。
 「山びこ学校」からうかがえるとおり、このあたりは山奥の方まで小さな村落が点在し、山の恵みを受けながら暮らしを営んでいた。何よりもまず小滝街道は、そうした村落をつなぐ「生活の道」だった。


峠口

小滝峠旧道入口

 現在国道348号線にはいくつかのトンネルが開通し、通年通行できるようになっているが、それと並んで旧道が残っている。今回紹介するのはその旧道区間である。狸森から国道348号線を白鷹方面に少々向かったところ、中の森橋と小白府橋の間にある分岐が、小滝峠旧道の入口である。


旧道の様子

旧道は狭隘路

 国道から折れると、いきなり曲がりくねって鄙びた道が現れる。

まっすぐな小白府橋

 旧道入口付近から国道の方を振り返ると、まっすぐに掛け渡された小白府橋が見える。線形の違いは一目瞭然だ。

九十九折り登場 完全舗装・ガードレール完備

 旧道は例によって曲がりくねった隘路だが、自動車で通っても何の問題もない程、よく整備されている。路面は完全舗装でガードレールもある。現在の国道が開通するまで国道として利用されていたのだから、納得といや納得。


境小滝トンネル口

棚林トンネル上の旧道から見る境小滝トンネル

 鄙びた隘路を進むうち、谷の合間に小滝第一トンネルこと境小滝トンネルの入口が見えてきた。現在の国道348号線はこのトンネルで山と谷を越えているが、旧道は山ひだに沿いながら峠を目指すことになる。
 それにしても旧道から現道を見下ろすのは、毎度不思議な気分。


境集落

境地区

 現在の国道を横切り進むことしばらく、境の集落が現れる。旧道が今でも通れるのは、境との連絡路でもあるからなのだろう。

杉林のヘアピンカーブ

 ダイナミックなヘアピンで杉林を巻く。

境から蔵王を望むの図

 ヘアピンを抜けたあたりでは、東に蔵王を大きく望むことができる。

峠手前の十字路

 鞍部手前には十字路がある。峠周辺には小さな集落が点在しているため、それらを結ぶ道が複雑に入り組んでいる。峠に行くなら直進しよう。
 かつてこの界隈には本道以外にも間道がいくつもあって、村人が便利に利用していたと伝わっている。役人さえも同じだったようで、峠の番をしていた役人が、本道ではなく、間違って間道を教えてしまったという笑い話が残っている。


小滝峠

小滝峠鞍部

 十字路を抜けるとすぐ鞍部が現れる。標高519m。旧道は落ち着いた趣の切り通しで峠を越えている。

鞍部の市境標識

 片隅には市境を示す看板が立っている。ここを境に道は上山市から南陽市に変わるが、それはとりもなおさず村山と置賜の境ということでもある。古くは山形藩と米沢藩の境界でもあった。さっき通った「境」とは、そういう意味なのだろう。
 街道はそういう土地柄なので、この峠をはさみ大名らが激突することもあった。戦国時代初頭には高畠の伊達稙宗の軍がこの街道より山形の最上義定を攻め、末期の長谷堂合戦では、上杉藩直江兼続軍の分隊がこの峠より長谷堂に進軍している。現在の国道を走ってもわかるが、長谷堂はちょうど小滝街道の登り口にあり、山形西の守りの要害となっていた。長谷堂が激戦地となった由縁である。

鞍部の湯殿山碑

 北側斜面を見上げると、切り通しの上に大きな石碑があるのが見える。

鞍部古道と石碑群

 というわけで石碑のそばまで行ってみた。さっきの十字路にある地蔵堂のところから、切り通しの上に出られる小径が延びているが、これが切り通しができる以前の古道であるらしい。
 切り通しの上には文政2年(1819年)建立の大神宮碑をはじめ、先ほども見た湯殿山碑などの古碑が建っている。


ヘアピンカーブ

鞍部直下のヘアピンカーブ

 鞍部を過ぎ、豪快なヘアピンカーブで峠を下る。カーブにはスキー場の看板が立っているが、現在は廃業しているようだ。

もひとつおまけにヘアピンカーブ

 もう一箇所ヘアピンに遭遇。カーブは急だが全線舗装で道幅もそれなりに広い。さすが以前の国道だけのことはある。

小滝地区遠望

 このあたりまで来ると、ふもとに小滝地区が見えてくる。


小滝へ下る

だらだら下る

 二つ目のヘアピンカーブを過ぎた後は、小滝までだらだらとした下りが続く。

ふもとに近づく

 ふもとに近づくと、ぼちぼちと人家や作業小屋が現れる。目の前には案内標識もある。現国道との合流点はもうすぐだ。


お地蔵さん

小滝のお地蔵さんと川合彌平次師碑

 現国道との合流点しばらく手前には、地蔵堂と「川合彌平次師碑」なる石碑が並んで立っている。どちらも詳細はわからないが、峠の沿線には多くの石碑が建ち、それだけ多くの人々がなじんだ道であることを示している。


国道合流地点

現国道が見えてくる

 目の前に国道が見えてきた。旧道は再び現国道に合流する。

境小滝トンネル前・小滝峠旧道出口

 かくして小滝峠を走破。旧道は境小滝トンネルのすぐ前で、現国道に合流する。旧道は入口からここまで4キロ足らず、自動車なら時間にして10分程度ですっかり通れるほどの長さで、ちょっとした気分転換にはもってこいだ。

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