叶水側に降りる

叶水側への下り口

 峠の片隅には小径への入り口がある。地形図には載っていないが、どうやら先に進めるようだ。

手入れの行き届いた小径

 小径はよく苅り払われている。車両での通行は無理だが、歩く分には全く問題がない。

看板発見

 送電線を示す看板を発見。どうやら鉄塔の管理道路として整備された道のようだ。


油断は大敵

どんどん下ります

 叶水側は手入れの行き届いた登山道といった塩梅の道が続く。状態はよいが、全体的に傾斜が急なので、やっぱり通行の際は気をつけよう。

こんなとこにも倒木が

 途中にはこんな倒木もあった。

橋の落ちた沢筋

 小さな沢筋に遭遇。橋があったようだが落ちており、渡渉を余儀なくされた。


叶水側出口

もうすぐ出口

 沢筋を横断すると県道のトンネルが見えてきた。出口はもうすぐ。

子持トンネル前出口

 そして出口に到着。目の前の道は新しい県道で、さっき見たトンネルのすぐ前に出られる。


横川ダム

横川ダム

 峠を越えた先には市野々・下叶水の集落があるはずだが、廃村となり今はもうない。そのかわりにあるのが、近年建設された横川ダムである。取材当時(2006年7月)はまだ湛水前だったため、上流側の堤体全体をはっきり見渡すことができた。
 ひっそり歴史に埋もれるはずだった子持峠だが、やがて意外な形で復活を遂げることになる。そのきっかけは、昭和42年(1967年)8月に新潟・山形南部を襲った未曾有の集中豪雨、「羽越水害」だった。
 浸水、流失、死傷者等々、羽越水害は各地に大きな爪痕を残したが、特に荒川水系に属する小国と新潟の一帯は甚大な被害を受けた。これを機に来るべき大水害に備え、荒川の支流横川に大規模なダムが作られることになったのだが、その候補地となったのが、子持峠と縁の深い市野々・下叶水だったのだ。

市野々方面を見やる

 市野々は越後街道の宿場町の一つである。越後街道はここで中津川街道と分岐し、黒沢峠と子持峠の両方に行けるようになっていた。下叶水は市野々の南にある集落で、子持峠を利用した人々の多くはここの住人だった。
 ダムができれば村は水没する。故郷を失うことには反対する声もあったようだが、調停が進んだ結果同意が成立し、1990年代なかばには市野々・下叶水全戸の移転が完了している。その後建設の進捗にともないかつての集落に至る道も封鎖され、跡地に近づくこともできなくなった。

 「叶水」の地は、水利が思うままになってほしいという村人の願いが、そのまま土地の名前になったのだという。その名と裏腹に叶水は水に恵まれず、水の確保で長年悩まされていたという。その「叶水」が水没によって廃村化するという末路に、悲しい皮肉を感じずにいられない。


子持トンネル

子持トンネル叶水側

 峠の出口のすぐそばには、先ほど見えたトンネルがある。これが子持トンネルで、平成11年(1999年)3月竣工した。全長は975m。
 市野々・下叶水の水没は、意外な復活劇をもたらした。横川ダム建設にともない両集落を通過していた県道も付け替えられることになり、新しい道が造られることになった。その路線のひとつとして、子持峠が選ばれたのだ。
 新路線はトンネルで峠を越え叶水と大滝を結ぶもので、峠越えの新しいトンネルは旧い峠の名を取って「子持トンネル」と名付けられた。付け替え区間は平成13年(2001年)11月に開通し、峠には再び人々が行き交うようになった。子持峠はここに息を吹き返したのだ。


来夢橋

来夢橋を渡る

 子持トンネルを抜け西に進めば、ゲドロク沢を渡って大滝に戻れる。そのゲドロク沢に架かっているのが、峠口でもちょっと触れた来夢橋(らいむばし)だ。
 橋は子持トンネル同様、ダム建設にともなう県道付け替えによって建設が決まったもので、平成8年(1996年)10月に竣工している。全長は141メートルで、竣工当時小国町内で最大最長を誇っていた。
 「ゲドロク沢」に「来夢橋」とは全く唐突な名前だが、それもそのはず、この名前は地元の小学生らによって命名されたものである。平成7年(1995年)、建設主体の建設省(現国土交通省)が、末永く親しまれる橋にしようと、郷土の将来を担う子供たちに橋の名前を考えてもらうことにした。命名にあたったのは地元小国小学校の当時の4年生らで、名前には「この橋のように大きな夢や未来が訪れるように。」という意味が込められている。

来夢橋欄干のレリーフ

 欄干にはレリーフがはめ込まれている。名前と同時に募集されたもので、これも小国小学校の児童らが手がけている。

来夢橋全景

 橋全体の様子。周囲に調和して映える色をということで、橋の色も地元の写真家に協力を仰いで決められている。新しい県道はそれなりに通りがあって、橋やトンネルはちょくちょく自動車が往来していた。
 ダムによってかつての集落は地図上から姿を消すことになったが、そのかわり、水没する集落となじみの深かった峠が、県道として復活することになった。沈みゆく集落は、その命を縁の深かった子持峠に託したのかもしれない。

(2006年6月/7月・2008年7月取材・2007年12月記・2008年7月追記)


案内

場所:西置賜郡小国町大滝と同叶水の間。県道8号・主要地方道川西小国線およびそれに並行する旧道。標高約410m。

所要時間:
来夢橋たもとから紅白鉄塔まで徒歩約30分。同じく紅白鉄塔から子持トンネル前まで約20分。叶水大滝間子持トンネル経由で自動車約5分。

特記事項:
大滝側来夢橋たもとから鞍部紅白鉄塔まで自動車進入可。分岐こそ多いが送電線を目印にできるので迷う心配は少ないと思う。叶水側は勾配こそ急だが歩道が整備されている。車両での乗り入れは困難だが、徒歩なら十分通行できる。国土地理院1/25000地形図「小国東部」。同1/50000地形図「手ノ子」。

参考サイト

「国土交通省北陸地方整備局 横川ダム工事事務所」
URI:http://www.hrr.mlit.go.jp/uetsu/contents/dam/yokokawa/index.html

「ふるさとへの想ひ」 市野々・下叶水歴史保存会
URI:http://www.furusatois.jp/(閉鎖)

参考文献

「小国の交通」 小国町史編集委員会 1996年

「ふるさとへの想ひ 市野々・下叶水」 市野々・下叶水歴史保存会 北陸建設弘済会 2001年

「山形県歴史の道調査報告書 越後街道」 山形県教育委員会 1981年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支局編 高陽堂書店 1978年

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