旧矢島街道峠口

旧矢島街道入り口 旧矢島街道の様子
旧矢島街道入り口と道の様子。大深沢歩道峠口の少し先に入り口がある。

 ところで、峠口で林道を直進する方を選んでも、峠に行くことはできる。大深沢歩道に入らず件の林道を少し進むと峠道への分岐点が現れる。そこから登ってくると、さきほどの名勝沼探勝道合流地点に出てこられるのだ。こちらの道は古くの矢島街道である。近世には羽州街道との連絡路として由利地方の小藩に重視され、実際、大名行列が通ったこともある。


峠に至る道

直線的な登り道

 合流してからは直線的な登りが続く。これまでのブナ林とはうってかわって、峠への道は杉林の中を通っている。さすが往年の街道だけに、このあたりの森には人の手が入っているようだ。

路傍のワイヤー

 道には頑丈そうなワイヤーが敷かれてあった。遠くない過去、この界隈では林業も営まれていたのだろう。

杉林からブナ林へ

 登っていくと、林にはブナが混じってくる。


鞍部

甑峠鞍部

 坂を登り切ると平場になる。実はここが甑峠の鞍部である。気をつけなければ見落としてしまうほど何もない。県境だが標識のたぐいもない。

ワイヤーを巻き上げていただろう車輪 倒れた標柱

 それでもあたりを見渡せば、ワイヤーを巻き上げていたとおぼしき車輪や、朽ちて倒れた標柱などあって、かろうじて鞍部であるらしいことがわかる。

甑峠から見る女甑山

 南には女甑山の尾根が伸びている。以前は峠からこの尾根を辿って女甑山に登ることもできたようだが、現在道は薮に埋もれており、追うのは難しくなっている。


真室川に下る

真室川側に下る

 鞍部から下りに転じると、見事なブナの森が現れる。山形側の峠道はほぼ全線がブナの森の中を通っており、美林散策が思う存分楽しめる。


悠森舎

ブナ林の広場へ 悠森舎

 下るうち広場に出た。広場には「悠森舎」こと、簡単な造りの山小屋が建っている。女甑山・男甑山の登山客が利用するのだろう。

傷だらけの標柱

 近くには爪でひっかいたように傷ついた標柱が。付近にはどうやら熊も出るようだ。


真室川峠口

真室川側峠口

 悠森舎からさらに少し下ると、真室川側の峠口に出る。現在真室川側は鏡沢地区より林道が通じており、ここまで車で来られるようになっている。林道の終点が、ちょうど登山口になっているわけだ。

峠口の車止め

 峠口には車止めがわり、木の柵が設けられていた。登山用にどうぞということか、柵には杖になりそうな棒きれがいくつも立てかけられてある。


修験道の史跡

宿坊跡 修法壇跡

 悠森舎や林道終点付近では、甑山修験道にまつわる史跡をあれこれ見ることができる。どれもついでに廻れる範囲にあるから、まとめて見物してしまおう。
 真室川峠口手前には宿坊があったという寺屋敷の跡が、悠森舎のそばには儀式に使われたという修法壇の跡が残っている。さすがあまりに昔のことなので、跡地に往時の建物らしいものは一つも残っていない。宿坊跡に薬師如来を祀った小さな祠があるぐらいのものである。標識がなければこれが史跡であることに、なかなか気づかないだろう。

霊水大清水

 一方で修行者が水垢離をしたという清水は現在でもこんこんと水が湧き、往時の様子を偲ばせている。修行者は宿坊に籠もった後霊泉で水垢離をし、それから修行に臨んだのだろうか。こちらは林道終点すぐのところにある。

 甑山修験道が盛んになったのは、鎌倉時代から室町時代にかけてのことだった。相当な荒行が修められたが、それだけに霊験があるとされたのか、霊場には人が集まり、山は相当に栄えた。
 しかし栄えるに伴い霊場はいつしか堕落していった。修行者を騙し金品をゆすり取る俗僧ばかりか、強盗目的で修行者を殺害する輩まで現れたのだ。それら非道はやがてお上の知るところとなり、霊場は閉山されてしまった。言い伝えでは鎌倉時代に「西明寺入道」こと執権北条時頼が当地を訪れ、山で横行する数々の悪事に憤り、閉山を言い渡したとか。

 伝説がどこまで真実を伝えているかは、やはり定かでない。しかし数々の跡が残っていることからして、ここが修行場だったことは確かなようだ。昔は修行者が集まっただろう場所に、今や登山者が集まる山小屋が建っているというのも、何かの縁だろうか。


及位駅

JR奥羽本線及位駅 及位駅構内

 修験道の痕跡は他にも残っている。
 甑山での修行とは、女甑山の赤穴に安置された秘仏を拝むというものだった。修行者は二十七日の断食の後険しい山によじ登り、鎖を伝って岩場を渡り、最後は命綱で逆さ吊りになって、断崖にある赤穴の中を覗かなければならないという、命がけの荒行だ。見事「覗きの行」を修めれば、修行者はより高い行者の「位」を得る。これにちなんで覗きの行によって「及第」した位は「及位」と書いて「のぞき」と呼ばれるようになり、やがて修行の場となった山の付近も「及位」と呼ばれるようになった。
 街道は本来、甑峠を越した後、峠下の及位で羽州街道に合流していた。峠にほど近い真室川町朴木沢にはJR奥羽本線の及位駅があって、峠との縁を感じさせる。及位駅は難読珍名駅として鉄道マニアにはその名を特に知られているが、実はこの名前こそ、修験道の痕跡なのだ。
 駅の歴史は比較的古く、明治37年(1904年)10月、奥羽本線の新庄・院内間開通にともない開業した。奥羽本線が通るのみの全くの無人駅だが、山形と秋田の県境に臨む要所にあるからか線路は複線で、跨線橋付きの立派なホームを備えている。

及位駅駅名表示板

 地名の由来としては、険阻な場所ゆえに「野阻き」と呼ばれていたのが「のぞき」になったとか、「莅(のぞむ)」の字を書き写し間違えて「及位」になったなど他にも諸説ある。思うにこれら諸説が重なりあって、世にも珍しい地名が生まれたのではないかという気がする。


朴木沢旧峠口

朴木沢旧峠口?

 国土地理院の地形図には、朴木沢から峠に通じる道が記されている。それによれば道は及位駅のさらに北、朴木沢の由助沢付近から延びているようだが、入り口らしき場所はご覧のとおり。完全に薮に埋もれどこが道なのかよくわからなくなっていた。こちらから峠にたどり着くのは、山伏修行並みに至難の業だろう。
 実は峠から朴木沢に抜ける道は比較的新しい時代のものらしく、昭和39年(1964年)改測版の地形図で初めて現れたものである。それ以前の地形図には、前森山の北東を回りこみ、鏡沢と及位に至る道しか載っていない。おそらくは前森山を経由する道こそがかつての矢島街道で、朴木沢の道は林業かなにかの必要で新しく作られ、役目を終えて衰退したものと思われる。


女甑山の大カツラと仏陀木大カツラ

女甑山の大カツラ

 最後に甑峠には欠かせない名勝をご紹介。
 悠森舎から案内標識に従い10分ほど踏み跡を追ったところに「女甑山の大カツラ」と呼ばれる巨木がある。樹高約25メートル、幹周り13.4メートルを誇る甑山界隈最大の巨木で、林野庁の「森の巨人百選」にも選ばれている。根元のうろには母子鬼権現が祀られてあり、古くは及位のマタギから神木として崇められていたそうだ。
 樹齢は定かでないが、推定で800年とも1000年を越えるとも考えられている。幼木だった頃には、修行に明け暮れる甑山の行者や、横行する数々の非道なども見ていたのかもしれない。

仏陀木カツラ

 女甑山の大カツラの手前には、もう一本カツラの巨木が立っている。こちらは仏陀木(ぶったぎ)カツラと呼ばれており、やはりマタギから神木と崇められていたようだ。大カツラの先追いをするがごとく森に立つ姿は強く印象に残る。
 幹のコブは顔のようにも見える。大きさでこそ大カツラには及ばないが、相当の樹齢を重ねたことは間違いなく、時を経て意志を持ったか霊気が宿ったかのようにさえ思われる。

 江戸時代、最上地方は巨木の産地としても知られていた。大建築を作るためには、巨大な木材が多数必要となる。そこで大伽藍などを建てる際、数々の巨木が育つ最上地方に木材を求めることがよくあった。特に丁山地周辺は巨木の一大産地で、寛政年間(18世紀末)には京都の東本願寺の堂宇再建のため、谷地の商人が真室川産の巨木を献上したという記録が残っている。
 大カツラたちに代表されるように、甑峠の界隈は豊かな自然に恵まれている。山伏らはこの森と山に人智を越えた力を見いだし、それゆえにこの地を道場としたのだろう。
 余談だが、最上地方には現在でも、全国屈指の巨木たちが多数根付いている。それを根拠に最上地方は豊かな自然を誇る巨木王国「最上エコポリス」として、その名を宣伝しつつある。

(2007年7月取材・2008年2月記)


案内

場所:秋田県由利本荘市笹子と最上郡真室川町鏡沢の間。女甑山北麓。県境。標高約730m。

所要時間:
大深沢歩道入り口から名勝沼まで遅めの徒歩で約45分。名勝沼から峠鞍部まで同じく約10分。鞍部から真室川峠口まで同じく約25分。

特記事項:
 峠周辺には地形図に出ていない道がいくつかある。案内標識はそこそこ充実しているが、探索の際は地形図の他、登山ガイドがあると無難。特に地形図では鏡沢林道と峠道が連絡していなかったり、名勝沼から峠に出る道が載っていなかったりするので注意が必要。
 逆に地形図に出ているのに通れない道もある。地形図には朴木沢に抜ける旧い道が載っているが、こちらは完全に廃道化して薮に埋もれており、跡を追うのが困難になっている。国土地理院1/25000地形図「松ノ木峠」「及位」。同1/50000「湯沢」。

参考文献:

「東北の峠歩き」 藤原優太郎 無明舎出版 2004年

「分県登山ガイド5 山形県の山」 奥田博・高橋金雄 山と渓谷社 2003年

「真室川町史」 真室川町史編纂委員会 1997年

「山形県最上の巨樹・巨木」 坂本俊亮 東北出版企画 2002年

「やまがた地名伝説 第二巻」 山形新聞社編 山形新聞社 2003年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支局編 高陽堂書店 1978年

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