鍋越(なべこし)という名前は、「鍋の蔓のように曲がりくねった峠」という意味であるらしい。峠は北村山と仙台を結ぶ道のひとつとして古くから存在していた。現在は国道347号線が開通しており、貴重な奥羽越え国道のひとつとして位置づけられている。
尾花沢市母袋(もたい)は尾花沢側峠口となる集落で、双耳峰二ツ森のふもと、市内を東西に流れる丹生川(にゅうがわ)のほとり、市の中心部から東に10キロほどの場所にある。地名の起こりは、水と日当たりに恵まれた豊かな土地を、創造を象徴する母になぞらえたものと考えられている。峠はこの母袋と宮城県加美町(旧小野田町)を結ぶので、これにちなんで国道は「母袋街道」「中羽前街道」とも呼ばれる。今回紹介するのはその国道347号線の峠越え区間だ。
峠道の整備が進んだのは明治以降のことだが、その歴史は奈良時代の大野東人の雄勝遠征にさかのぼるという。天平9年(737年)、多賀城と出羽柵との直通路を確保すべく雄勝の蝦夷平定に出発した東人は、奥羽山脈越え前の色麻柵で大軍を編成し尾花沢の大室駅に向かっている。この際軽井沢越えを通ったことは以前述べたとおりだが、一方で鍋越峠も利用されたとする説もある。
丹生川の名は文字どおり、丹(に)の原料である水銀に由来している。丹生川には水銀の鉱床があり、たびたび氾濫しては硫化水銀を含む赤い土「辰砂(しんしゃ)」を流域にばらまいていたというのでこの名がある。
古くから水銀は重要な資源と見なされている。古代にはこれを探し求める一族が存在し「丹生族(にうぞく)」の姓を名乗っていたほどである。そしてそれを必要としたのは、他でもない朝廷だった。
大化の改新以降、中央集権化を進めた朝廷は国権強化のため、急速に資源開発に積極的になっている。水銀は公文書作成には欠かせない朱肉や建築塗料の丹の製造、そして仏像の鍍金(めっき)に必要で、朝廷にとってのどから手が出るほど欲しい資源のひとつだった。「やまがたの峠」では、東人が二井宿峠や笹谷峠ではなく軽井沢越えを進軍路に選んだのは、距離の短さだけでなく、近隣に存在する鉱山資源獲得をも目論んでいたからではないかと指摘している。それが丹生川流域で産出される辰砂こと水銀だったわけである。
母袋からさらに3キロほど東に進むと通行止め用のゲートが現れる。今回紹介するのは国道347号線の峠越え区間だが、ゲートをご覧いただいてわかるように、峠区間は毎年冬になると通行止めになる。
ゲートの少し先にある駐車帯で、コンクリート製のバリケードを発見。取材時は夏場だったので隅っこに寄せられているが、冬には道をふさぐのに使われるのだろう。
ゲートから1キロほど進んだところで、左手に水場があるのを発見。「楢の木涌水」と呼ばれる湧き水で、長寿の名水という触れ込みだ。水場は地元母袋地区が管理に当たっているようで、とても整備が行き届いている。峠越え前の力添えと行こう。
楢の木涌水を出たところで、立て続けにスノーシェッドを二つ通り抜ける。山形側の国道は幅も広くよく整っているが、急な上り坂が続く。
スノーシェッドを出た付近の風景。西を見れば、山ひだの合間にこれまで登ってきた国道が見えた。鍋越峠は豪快な奥羽越えが楽しめる峠である。
道路越しに見える尖った山は、母袋で見上げた二ツ森。だいぶ高いところまで上ってきたのがわかる。
二つ目のスノーシェッドを抜けると、今度は母袋トンネルが現れる。昭和59年(1984年)竣工で長さ135m。ここを抜ければ峠は近い。
母袋トンネルを抜けると、今度は右手に鍋越沼が見えてくる。沼は丹生川支流、母袋川の水源のひとつとなっている。茂みのおかげで国道からすっきりと全容を拝むことはできないが、合間からはご覧のとおりの湖面が見られる。ところどころに立っている枯れ木は埋没林とのこと。
鍋越峠は大分水嶺である。峠に降った水の一部は鍋越沼に流れ込み、さらに母袋川、丹生川、最上川を経て日本海の水になる。
そして沼を過ぎるとすぐ、鍋越トンネルへとさしかかる。昭和62年(1987年)11月の竣工で長さ387m。現在の国道はこのトンネルで峠を越している。トンネルの上に見えるのは、これから走る旧道だ。
鍋越トンネルの上にはトンネル開通以前の旧道が残っている。現在も通行可能なので、さっそくこちらを走ってみよう。
入り口は鍋越トンネルの手前にある。しっかり案内標識が出ているので一目でそれと判る。
「またどうぞ山形へ」の看板に見送られ、旧道に足を踏み入れる。
山形側の旧道は、1.5車線ほどの曲がりくねった道である。一応市道として整備されており、ガードレールなんかも設けてある。
鍋越トンネル坑門上から山形側の国道を見たところ。旧道との違いが一目瞭然。
整備されているものの、ところどころガードレールがないところもある。転落には注意しよう。
不法投棄された粗大ゴミを発見。脇に不法投棄禁止ののぼりがあるにもかかわらず! 後年行ったときにはきれいに片付けられていたが、不法投棄は絶対やらないように!
曲がりくねった隘路を行くことしばらく、旧道のてっぺんに到着。ここが鍋越峠である。鞍部は丁字路になっていて、宮城側に降りる道の他、大分水嶺に沿って南の牧場に通じる道が延びている。
鞍部は県境で、その先は宮城県加美町になるが、標識には小野田町の表記が残っていた。加美町は平成15年(2003年)4月に中新田町・小野田町・宮崎町が合併してできた町である。
鞍部の丁字路を進んだ先には宝栄牧場がある。大分水嶺の直下に高原が広がっており、そこが牧場となっている。牧場は明治時代の創設で、現在は尾花沢牛の放牧でその名を知られている。牧場は夏のみ開いており、冬は積雪のために閉鎖となる。ご覧のとおりの大展望が楽しめるので、峠に来た際はついでにこのあたりまで足を伸ばすのがおすすめだ。
牧場に至る大分水嶺上の道には、いみじくも「国見の峠」の標柱と四阿がある。