旧道を下る

旧道宮城側の様子

 鞍部に戻って宮城側の旧道を下る。山形側より幅は広いが、路肩からは草がせり出し、山形側より手は入っていないように見受けられる。

第3スノーシェッド 第2スノーシェッド

 スノーシェッドを二つほどくぐる。通りが少ないのとあまり手が入っていないおかげか、現役の道路でもあるにもかかわらず、廃道のような雰囲気が漂う。もっとも、旧道は宝栄牧場への出入り口として必要なので、常に通れるようにしておく必要はあるのだろう。


旧道出口

旧道出口 鍋越トンネル宮城側坑門前に出てくるの図

 旧道を下るうち、現在の国道347号線が見えてきた。旧道は鍋越トンネルのすぐ目の前で再び国道に合流する。

鍋越トンネル前の様子

 合流したところで現在の国道で宮城側へと下っていく。トンネル付近はよく整備こそされているが、急カーブや覆道が待ち受けている。

その他注意の警戒標識

 傍らには「!」の警戒標識が。現国道も気の抜けない道であることは間違いない。


快適な下り道

快適な下り道

 トンネルからしばらくは幅員の広い二車線道路が続き、快適に下っていける。

オニグルミ遺伝資源保存林標柱 商人沼ブナ施業指標林標柱

 道ばたで「オニグルミ遺伝資源保存林」「商人沼ブナ施業指標林」の標柱を発見。一度鍋越峠を走ってみれば、立派な国道が開通しているにもかかわらず、この道が意外と森に恵まれていることに気づくだろう。

小滝橋 中峰一号橋と二号橋

 鍋越トンネルから4キロほど下っていったあたりで、国道は併走する筒砂子川(つつさごがわ)と、いくつかの橋で続けざまに交差する。
 大分水嶺を境に宮城側は鳴瀬川の流域となる。筒砂子川は鳴瀬川の支流で、ゆくゆくは石巻湾に注ぎ込み、太平洋の水となる。

中峰橋あたりから見る旧道の図

 このあたりで左岸の斜面に目をやれば、薮に埋もれたガードレールが見える。橋ができる以前の旧道のようだが、すっかり廃道化している。トンネルや橋の銘板を見ると、このあたりの区間は昭和末期から平成初頭にかけて大改修を受けているようだ。


魚取沼入り口

魚取沼入り口

 内川橋のたもとから、北に向かって林道が延びている。この林道の先には、天然記念物テツギョが生息していることで知られる魚取沼(ゆとりぬま)がある。森の他にも鍋越沼や商人沼、魚取沼などなど、峠の界隈は沼沢にも恵まれている。この峠、けっこう自然が深い。


狭隘区間

ここから狭隘区間です

 トンネルから5キロほど下っていくと、これまでの快適な二車線道路は姿を消し、国道は1.5車線の狭隘区間へと変わる。

ブナが迫る国道 ブナのトンネルを往く

 狭隘区間にさしかかると、道ばたからブナの森が迫ってくる。このあたりは特に見通しが利かないので要注意。

筒砂子川の峡谷と崖っぷちの国道

 崖っぷちの道の下では、筒砂子川が険しい峡谷となって流れている。狭隘区間は筒砂子川が峡谷になる区間と重なっているのだが、この険しさを見れば道の険しさにも納得してしまう。


ただいま改修工事中

ただいま改修工事中 新弁沢橋建設中

 とはいえ取材当時(2006年8月)、国道はいたるところで改修工事が進められていた。狭隘区間の解消に向け、国道は徐々に改修が進みつつあるようだ。

弁沢橋

 コンクリート造りの古橋で、筒砂子川支流の小さな沢を渡る。橋の脇では新しい橋の建設工事が進んでいた。

完成した新弁沢橋の図

 後年同じところを訪ねてみたら、当時建設中だった橋が完成しており、古い橋に代わり立派な二車線道路が出現していた。片桟橋状の新橋を見ると、改めて峡谷の険しさを思い知らされる。


宮城側通行止めゲート

宮城側通行止めゲート

 工事現場を出てすぐのところ、トンネルから9キロほど下ったところで、通行止めゲートが現れた。狭隘区間はこの先、宇津野地区の手前までもう少し続くのだが、ひとまず峠区間はここまで。


漆沢

漆沢の集落

 せっかくだから峠下にある集落をひとつご紹介。宇津野より国道を逸れ、漆沢ダムに向かって少し進んだところに漆沢地区がある。漆沢はかつての軽井沢越えの宮城側登り口となる集落で、鍋越峠が栄える以前には宿場町として多くの人々が行き交った。仙台からの道は漆沢の前で二つに分かれ、ひとつは鍋越峠、もうひとつは軽井沢越えにつながっていた。
 同じく大野東人由来と伝わる峠道ではあるが、永らく主要道として利用されたのは軽井沢越えの方だった。藩政期には番所の多い軽井沢越えに対し、鍋越峠はそれを避けるための抜け道として利用されていたそうだが、峠は飽くまで軽井沢越えに対する間道の座に留まっていた。
 ところが明治25年(1892年)、新しい奥羽越えの道として鍋越峠に新道が作られたことによりこの関係は逆転する。軽井沢越えは主要道の座より転落し、以後鍋越峠の整備が進められることになったのだ。鍋越峠の新道は、明治初頭に仙台山形間連絡路のひとつとして企画されたものだったが、先に関山峠が開通したので、鍋越峠がそれに続くことになった。現在の鍋越峠はこの時の道が基本となっている。
 峠は徐々に整備が進められ、やがて馬車が通れるようになった。陸羽東線開通によって衰退したこともあったが、大正9年(1920年)には県道中新田尾花沢線に指定され、昭和49年(1974年)、ついに国道昇格を果たした。
 ご覧いただいたとおり、現在も峠の整備は進められつつある。ゆくゆくは狭隘区間も解消され、近い将来「鍋の蔓のような道」は、姿を消してしまうのかもしれない。

(2006年8月/08年7月・8月取材・08年8月記)


案内

場所:尾花沢市母袋と宮城県加美郡加美町宇津野の間。国道347号線およびその旧道。県境。大分水嶺。標高514m。

所要時間:
 母袋より鍋越トンネルまで自動車で約10分。鞍部旧道区間同約5分。鍋越トンネルから宇津野まで同約20分。

特記事項:
 国道347号線峠区間冬期通行止めと通行制限あり。冬期通行止めは毎年11月下旬から翌年4月下旬頃まで。冬期通行止め解除後も、旧道は残雪のおかげでしばらく通れないことが多い。県境から宇津野まで車長8m・重量14tを超える車は通行禁止。全線車道として整備されており通行は比較的容易だが、宮城側に一部狭隘区間が残っているので要注意。国道なので早めに復旧するが、ときどき自然災害や事故等で通行止めになることがある。鞍部より宝栄牧場に至る道は夜間閉鎖される。国土地理院1/25000地形図「魚取沼」「西上野目」。同1/50000「薬莱山」。

参考文献

「東北の街道 道の文化史いまむかし」 渡辺信夫監修 無明舎出版 1998年

「みやぎの峠」 小野寺寅雄 河北新報社 1999年

「山形県交通史」 長井政太郎 不二出版 1976年

「やまがた地名伝説 第三巻」 山形新聞社編 山形新聞社 2006年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支局編 高陽堂書店 1978年

参考サイト

「尾花沢市」
URI:http://www.city.obanazawa.yamagata.jp/

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