古道の様子

古道入り口

 峠には旧道の他にも古道があり、歩いて鞍部に行けるようになっている。こちらの様子も少しご紹介。
 古道入り口も山刀伐トンネル脇の広場にある。こちらは「二十七曲」と称される曲がりくねった歩道で急坂を登り、旧道を串刺しにしながら鞍部へと続いている。
 古道は旧道以前の古い道筋だが、それが今でもこうして歩けるようになっているのは、ひとえに峠を通った二人目の有名人、松尾芭蕉のおかげだろう。

二十七曲がりの古道

 松尾芭蕉一行が「おくのほそ道」で山刀伐峠を通ったことは広く知られているが、それは様々な偶然が重なってのことだった。
 そもそも芭蕉は、尾花沢の友人鈴木清風を訪ねることこそ決めていたようだが、この界隈に来ても、どこを通るかはあまり考えていなかったらしい。随行者河合曽良の「曽良日記」によれば、元禄2年旧暦5月14日(1689年陽暦6月30日)、平泉を発ち岩出山にやってきた一行は、尾花沢への通り道として軽井沢越えに注目している。ところが結局そこは通らず、翌15日、中山越えで出羽国入りし、堺田の封人の家に投宿した。軽井沢越えを通らなかった理由は「遠くて険しいから」と同日記には記されているが、判官贔屓の芭蕉のことだから、もう少し義経逃避行の道を辿ってみたくなったのかもしれない。
 さておき、堺田にやってきた一行は、主要道背坂峠で尾花沢に行くつもりだったようだが、大雨で予定外の足踏みを強いられる。そこで急遽通ることにしたのが、山刀伐峠だった。堺田から尾花沢を目指す場合、満沢経由で背坂峠を越すよりも、赤倉から山刀伐峠を通った方が近い。おそらくは「この雨じゃ遅れますねぇ。」「だったら山刀伐峠はどうですか。道が悪いから案内もつけてさしあげましょう。」といったやりとりが、雨の日の封人の家であったのだろう。こうして大雨が止んだ17日、芭蕉一行は屈強な若者の先導により、山刀伐越えで尾花沢に出発した。
 当時の山刀伐峠は飽くまで脇道だった。案内付きとはいえ、旅の空の下、見ず知らずの土地でうら寂しい山道を歩くのには、何かと不安が伴ったことだろう。おっかなびっくり越えた山刀伐峠は強く芭蕉の印象に残ったようで、多少の誇張はあるにせよ、その様子を克明に「おくのほそ道」に記している。

「けふこそ必ずあやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云ふにたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。」

 かくして山刀伐峠を越えた一行は無事尾花沢に到着、清風の歓迎を受ける。そして数日の静養後旅を再開するのだが、この峠越えを境にそれまでの緊張感は和らぎ、「おくのほそ道」の文章にはどこか余裕が漂ってくる。
 奥羽越え・出羽国入りの下りは「おくのほそ道」の重大な転換点である。芭蕉は旅が新たな局面に入ったことを峠越えに託して描いたわけだが、山刀伐峠はその舞台として、ひときわ印象的に描きだされることになった。
 ここにひなびた脇道だった山刀伐峠は、「おくのほそ道」を前半と後半に分ける峠、作品の大きな山場として、その名を一躍世間に知らしめることになるのだ。

芭蕉腰掛の石

 古道の途中には「芭蕉腰掛石」も。本当に座ったかはわからないが、座れば芭蕉気分が味わえるかもしれない。


子持杉

古道頂上入り口 頂上に至る古道

 古道をたどれば駐車場の上にある頂上こと、古い鞍部に行ける。こちらには地蔵堂と並んで「子持杉」と呼ばれる杉の古木が立っている。

子持杉と地蔵堂

 子持杉は高さ18メートル、幹周り3.1メートルの大木だ。樹齢200年以上、幹はうろになっているにもかかわらず、四方八方から伸びる枝は天を突き、ある種異様な迫力がある。その昔、子宝に恵まれない村人がこの峠に登り、この杉とお地蔵さんに願をかけたのでこの名があると伝わる。背坂峠にあるのは「馬頭観音」だったから、やはり山刀伐峠はもっぱら村人が通る道だったのだろう。

奥の細道山刀伐峠文学碑 頂上の四阿

 子持杉の周辺は園地として整備されている。杉の目の前に四阿があるほか、裏手には加藤楸邨の揮毫になる「おくのほそ道」山刀伐越えの下りを記した文学碑が建っている。文学碑があるあたりからは赤倉方面の展望が開ける。
 峠がこのように整備されるようになったのは、近代以降のことである。まずは大正時代初期、赤倉温泉振興を期して峠に車道が造られた。今回紹介している旧道はこのときに作られたもののようだ。
 折しも峠下の万騎ノ原では開墾事業が進んでいた。程なく峠は赤倉温泉や開拓地への連絡道路として重視されるようになり、大正12年(1923年)に県道昇格、昭和7年(1932年)には自動車が通れるように改修されている。そして背坂峠が廃れた後も山刀伐峠は生き残り、昭和51年のトンネル完成によって自動車による通年通行が可能となり、峠は名実ともに地方の主要道として利用されている。
 芭蕉一行が通った古道もその歴史的・文化的価値の高さゆえ、国と県の補助のもと、昭和50年代後半に遊歩道として整備された。そしてこの整備事業をふまえ、平成8年(1996年)には文化庁の「歴史の道百選」に選定されている。


尾花沢側に下る

尾花沢に下ります

 このまま古道をたどれば尾花沢側の峠口まで行けるのだが、今回は旧道で下ることにする。尾花沢側旧道も車道として整備されているので、もちろん自動車通行可能である。

尾花沢側旧道の様子

 幅員は最上町側と大きく変わらないが、概して最上町側よりカーブが少なく勾配もゆるやかなので、車で通る分にはこちらの方が楽である。

見通しの利かないカーブ

 とはいえ見通しがあんまり良くないところもあれば、交通量も最上町側より多いので、やっぱり通行には十分気をつけよう。こんな道でも昔は最上町までバスが走っていたというのだから恐ろしい。


大平集落跡

大平跡の田んぼ 大平跡標柱

 しばらく下っていくと、左手に田んぼが見えてくる。ここはかつて大平という集落があった場所である。古くは峠の茶屋などあって、交通集落としての役目を果たしていたと伝わるが、交通の変化か、近代になるとその役目を終え廃村になった。それでも田畑が残っているということは、先祖代々の土地を守るためなのか、今でも人の手が入っているということでもあるのだろう。


最上の庄へ

明るい下り道 畑と花

 大平のあたりまで来れば、道は明るさを増してくる。傍らの畑やその脇に咲く花にも、人里に近づいたとほっとするものを感じる。風景は300年前とはすっかり変わっているだろうが、峠を下りるにつれ、おそらくは芭蕉も同じことを感じたのだろう。

木漏れ日を往く 杉林のそばを通る

 尾花沢側は南に面している。林には光が差し込んでいた。林の脇を行く道も、天井が開けているせいか暗さはない。

尾花沢側峠口に至る橋

 この橋を渡れば、出口はもう目の前。


尾花沢側峠口

尾花沢側峠口

 かくして尾花沢側峠口に到着。こちらの峠口も駐車場付きの広場になっており、自動車での見物が便利なように整備されている。トンネル脇からすぐ旧道に行けた最上町側と違い、トンネルからは相当に離れた場所にある。だからその分尾花沢側は道がゆるやかになっていたわけだ。
 山刀伐峠の名が民具「なたぎり」にちなんでいることはよく知られている。なたぎりとは野良仕事用の藁製作業帽だ。一方が急で一方がなだらかなその地形を、人々は身近ななたぎりの形にたとえたわけである。

なたぎりの図
これがなたぎり。画像は寒河江郷土館収蔵のもの。

 他にも、刀を持った追い剥ぎがこの辺に出没したから「山刀伐峠」と呼ばれるようになったという説もある。「山刀伐峠」はもちろん、周辺に「万騎ノ原」だの「一刎」といった、やけに物騒な地名が並んでいるのは、このあたりが難所だったことの証なのだろう。芭蕉もびびるわけである。

 峠は主要道ではなかったが、そのかわり脇道ならではの魅力的な逸話に恵まれた。それゆえに山刀伐峠は健在で、今なお多くの人々を惹きつけて止まない。

(2006年5月/8月取材・2008年1月記)


案内

場所:最上郡最上町一刎と尾花沢市市野々の間。郡界。県道28号・主要地方道尾花沢最上線およびその旧道。古道頂上標高約520m。

所要時間:
最上町側峠口から鞍部駐車場まで自動車で約5分。同じく鞍部駐車場から尾花沢側峠口まで約15分。

特記事項:
 旧道冬期通行止めあり。だいたい雪が降る頃通行止めになり、翌年5月上旬頃には通れるようになる。旧道・古道は雪がない時期を狙うと行きやすい。旧道は全線車道として整備されているが、最上町側は大型車の乗り入れが禁止されている。車での見学が便利なように整備されているので、自動車があると廻りやすい。歩いて登るのなら古道がおすすめ。山刀伐トンネルは通年通行可。最上町側峠下に赤倉温泉。日帰り入浴もできるので峠の行き帰りにどうぞ。国土地理院1/25000地形図「羽前赤倉」。同1/50000地形図「鳴子」。

参考文献

「新装版 日本百名峠」 井出孫六編 マリンアド 1999年

「新訂おくのほそ道」 潁原退蔵・尾形仂訳注 角川書店 1999年

「芭蕉おくのほそ道」 萩原恭男校注 岩波書店 1999年

「最上町史 上」 最上町 1984年

「最上町史 下」 最上町 1985年

「やまがた地名伝説 第一巻」 山形新聞社編 山形新聞社 2003年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支社 高陽堂書店 1978年

「山形県最上の巨樹・巨木」 坂本俊亮 東北出版企画 2002年

「俳聖の足跡 おくの細道 堺田〜山刀伐峠」 最上町教育委員会作成の小冊子

「俳聖の足跡(おくの細道) 山刀伐峠越」 おくのほそ道山刀伐峠保全整備協議会作成の小冊子

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