温海側に下る

あいかわらずの杉林

 鞍部の先にも杉林が広がり、古道はその中をだらだらと下る。厚く積もった杉の枯葉もあいかわらずだ。

わかりやすい道跡

 道跡はとてもよく残っている。全線を通じて判りやすい。


謎の切り通し

謎の切り通し

 しばらく下っていったところで切り通しを発見。切り通しの先には何となく道が続いていて、分岐のようになっている。ここは切り通しに入らず道なり(上画像では右の方)に進もう。切り通しの先に何があるのか非常に気になったが、遭難したくなかったので確かめてない(おい)。


倒木地帯

倒木地帯その1 倒木地帯その2

 菅野代に向かってひたすら下る。峠の出口近くになると、杉の倒木がいくつも行く手に立ちはだかった。くぐったりまたいだりして先を目指す。

ふもとに畑が見えてくる

 林越しに畑が見えてきた。出口はもうすぐ。


温海側峠口

温海側峠出口

 道なりに進むうち、目の前に民家が見えてきた。道跡はいつしか沢に吸い込まれ、道なのか沢なのか判らないというありさまだった。
 古道はこの民家の先で国道345号線旧道に合流する。


旧道の様子

国道345号線旧道・バイパスの橋の下付近

 ひととおり古道を歩いたところで、今度は国道345号線旧道を追ってみよう。さっきも見たバイパスの橋の下をくぐって、旧道の峠を目指す。

旧道の旧カーブ

 人気のない旧道。現在のバイパスが開通する以前は、こちらが国道として使われていた。大正時代、鬼坂峠は大改修を受けている。地元田川村(旧鶴岡市南部)・福栄村(旧温海町東部)が中心となって進めたもので、大正7年(1918年)から4年を費やす事業だった。改修したというよりは、むしろ古道の西に全く別の道を建設したと言うべきで、旧道はこの時の道が基本になっている。しかしその「新道」も今は昔。バイパス開通によって旧道となり、今では通る人もまばらである。

バイパスと並行する旧道の図

 旧道の下にバイパスがちらちらと見える。いつもながら、新道との違いを感じさせる光景。

この先トンネル通行止め 開きっぱなしのゲート

 引き返せと言わんばかりの「旧トンネル通行止」の大きな看板とゲート。しかしゲートは開きっぱなしだ。


鬼坂隧道

鬼坂隧道鶴岡側坑門

 旧道の果ては不自然に塗り込められたコンクリートの壁で断ち切られ、そこから先へは進めなくなっている。これが件の旧トンネル、鬼坂隧道の跡である。上を見れば、ちゃんと銘板がはめ込まれていたりする。
 ご覧のとおり大正時代の大改修は、トンネルの新設を含むものだった。隧道自体は大正7年(1918年)に着工し、同9年(1920年)に完成している。全長は287mとけっこう長いが、幅員2.7m、高さはわずか2.1mと、中は相当に狭かった。しかも地盤がもろくて天井がすぐに崩れてきて、使用に耐えるようなものではなかったという。
 その後旧道は大正12年(1923年)に県道に昇格している。それを受ける形で昭和6年(1931年)には隧道も改修されている。この改修によって隧道は幅4.24m、高さ3.9mに拡幅されたが、それでも自動車の対面通行はできないとう有様で、以降抜本的な改修もされず、現在のバイパスが開通するまで、交通の難所となっていたと伝わる。
 それでも国道昇格当時には、ここにドライブインなど建っていたこともあるらしい。今やその跡は微塵もなく、あたりは草や杉が繁り放題茂広がり、忘れ去られたかのように静まりかえっていた。隧道はバイパス開通にともない入口を塞がれ現在に至るが、傍らに立つ行き止まりになった電柱が、往時の国道だったことを偲ばせる。

国道345号線鶴岡側トンネル前旧道入口

 今回は坂野下集落からそのまま旧道を追ったが、トンネル手前から伸びる取り付け道路からでも旧道に合流できる。手っ取り早く隧道を見たい方はこれを利用しよう。


反対側の様子

国道345号線温海側トンネル前旧道入口

 今度は旧道を温海側から追ってみる。旧道へは現鬼坂トンネル出口のすぐ脇から入っていける。

蔦がからまる旧道

 温海側は道路の真ん中まで蔦が伸びていた。近代以降の廃道ならではの衰微感がそこかしこに漂う。

鬼坂隧道温海側坑門

 こちらが鬼坂隧道温海側の様子。やっぱり見事に塞がれて通行できなくなっている。それにしても異様な光景。


気比神社

菅野代気比神社

 ついでに南側の峠口、菅野代にある神社をご紹介。旧道を温海側に下っていった先、旧菅野代小中学校のとなりには小さな気比神社がある。庄内の気比神社では、笠取峠のふもと三瀬の気比神社が有名だが、鬼坂峠のふもとにも、気比神社があるわけだ。
 気比神社はもちろん越前国一の宮、敦賀の氣比神宮に由来している。それがここにもあるということは、この道小国街道が、古くから庄内と北陸を結ぶ道だったことの証でもある。神社の創建は奈良時代の養老年間(717年〜724年)。越前国より当地に移住してきた人々が、故郷の神社を勧請したのがはじまりだと伝わっている。


鬼坂トンネル

鬼坂トンネル鶴岡側坑門

 最後に紹介するのは現在のバイパス、鬼坂トンネルだ。旧道は昭和50年(1975年)、県道より国道に昇格を果たしたが、線形はあいかわらずで、改修を求める声が上がっていた。
 小国街道は旧温海地区の山間の集落を結んでおり、集落間の連絡道、鶴岡への通路という性格も備えていた。特に冬場は降雪で往来が途絶することもあったそうで、それゆえ堅固な連絡道路の開通は、沿線の念願でもあった。
 昇格を機に国道は改修が進められ、昭和60年(1985年)には一つ北にある大日坂に、トンネルを含む新道が開通、そしていよいよ鬼坂峠にもバイパスが造られることになった。これが今の国道である。
 新道の建設は昭和63年(1988年)に始まり、トンネルは平成3年(1991年)9月に竣工、同年12月に開通を見ている。新しいトンネルは旧隧道の下35m地点に掘られており、全長717m、幅6m、高さ4.5m、大型車の対面通行ももちろん可能である。黒鳥兵衛は峠の岩に清水の穴を穿ったが、現代人は峠の岩にトンネルを穿ったわけだ。

旧道鬼坂トンネル温海側坑門上から国道346号線バイパスを見るの図

 この開通により隧道は前後の旧道とともに廃され、永年にわたる役目を終えた。やがてコンクリートで坑門を塞がれ封鎖されたことは、これまでご覧のとおりである。
 もし現代、兵衛が再び地蔵さまと相撲を取って敗れたら、清水のかわり、峠に新しいトンネルを掘り抜いたりするのかもしれない。

(2006年6月/08年4月・5月/10年5月取材・2011年1月記)


案内

場所:
 鶴岡市宮野下。坂野下地区と菅野代地区の間。国道345号線およびその旧道。旧鶴岡市・温海町境。古道鞍部標高317m

地理:

鬼坂峠概略図
1・龍泉寺・鬼坂地蔵尊堂 2・古道・R345旧道分岐地点 3・坂道途中の分岐地点
4・古道入口 5・杉植栽地 6・鬼坂地蔵堂跡地 7・安産池・鬼清水
8・旧道取り付け道路 9・鬼坂隧道 10・鬼坂トンネル

所要時間:
 古道鶴岡側入口から鞍部まで徒歩約15分。鞍部から温海側峠口まで同じく約20分。旧道八房梅橋から鬼坂隧道まで自動車で約10分。同じく旧道温海側鬼坂トンネル前から鬼坂隧道まで自動車で約3分。国道345号線鬼坂バイパス八房梅橋から菅野代まで自動車約5分。

特記事項:
 国道345号線鬼坂バイパスは通年通行可。古道と旧隧道前後の旧道は冬期通行不可。古道の保存状態は良好だが、草が茂ると歩きづらくなる。特に安産池や鬼清水を見学するならば、薮のない時期を狙う必要がある。峠北には湯田川温泉がある。湯田川孟宗が出回りはじめる頃が、古道散策にはベストだろう。旧道は全線舗装で自動車でも走れる程度の状態だが、チェーン等で封鎖されているところもある。旧隧道前後は基本的に人を拒んでいる場所なので、見学の際は迷惑にならないようご注意を。国土地理院1/25000地形図「山五十川」。同1/50000「温海」。

参考文献

「温海町史 上巻」 温海町史編纂委員会 1978年

「温海町史 下巻」 温海町史編纂委員会 1993年

「田川の歴史」 田川村史をつくる会 1996年

「山形県歴史の道調査報告書 小国街道」 山形県教育委員会 1981年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支局編 高陽堂書店 1978年

参考サイト

「念ずれば花開く」 大谷一男様 URI:http://www.n-seiryo.ac.jp/other/otani/index.html

「郁丸滄海拾珠」 高橋郁丸様 URI:http://www.geocities.jp/fumimalu/

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