笹谷峠

 山形に住んでいると、ラジオの交通情報などで、毎日のように「笹谷」の名を耳にする。それほど山形県民になじみの深い笹谷峠は、山形でもっとも旧い峠の一つに数えられている。


峠口

山形自動車道関沢I.C.分岐点

 笹谷峠は奥羽山脈越えの峠で、宮城県川崎町を経由して山形市と仙台市を結んでいる。今回紹介するのは国道286号線の峠越え区間だ。道は山形自動車道の関沢インターチェンジ前で分岐する。標識に従って直進しよう。

国道286号線峠区間入口ゲート

 直進すると間もなくゲートが現れる。ここから先は重量5トン、全長6メートル以上の車両は通れない。冬になるとここから宮城側の峠口まで通行止めになる。


笹谷トンネル

山形自動車道笹谷トンネル

 峠口の脇からは、山形自動車道笹谷トンネルの入口が見える。
 山形自動車道は二本の長大なトンネルで峠の地下を通過している。上り車線が3385メートル(現在は改修されたため3411メートル)で、下り車線が3286メートル。上りトンネルの距離が「ささやゴー」の語呂合わせだったのは偶然らしい。


桂沢橋

桂沢橋

 ゲートをくぐると道は細くなり、急なカーブが現れる。小さな橋を渡れば、いよいよ本格的な峠道の始まりだ。

桂沢橋脇の古道入口

 橋のすぐそばには登山道の入口もある。これは国道以前の古道で、車道を串刺しにするように延びており、今でもしっかり歩いて峠を越せるようになっている(!)。


杉林

杉木立の峠道

 昼なお暗い杉のトンネルを進む。峠道では、標高の低いところには杉林があることが多いのだが、それは笹谷峠も例外ではない。


九十九折り第一弾

180度のヘアピンカーブ

 山形側の笹谷峠は、大きく三群の九十九折りからなる。最初の九十九折りは180度のカーブを細かく繰り返し、一気に中腹まで登っていく。車で登る場合、慣れていないとカーブでエンストしやすいので要注意!

九十九折りを下から見るの図

 九十九折りを下から見る。比較に荒井の単車を置いてみた。

同じ所を上から見るの図

 同じ場所を上から見るとこうなる。見事に道が折りたたまれている。

九十九折り第一群出口付近

 第一群の九十九折りを上っていくと、杉に代わって広葉樹が目立ってくる。


九十九折り第二弾

中腹の九十九折りより前方の九十九折りを見上げる

 第二群の九十九折りにさしかかった。このあたりがちょうど中腹で、行く手に第三群の九十九折りを見ながら上っていく。


水場

山形側の水場

 第二群の九十九折りを抜けるあたり、道の隅っこには小さな水場がある。笹谷峠は大分水嶺の峠で、こんな具合に水にも恵まれている。冷たい水で一息入れよう。


九十九折り第三弾

鞍部に向かう九十九折り

 第三群の九十九折りは、長大なカーブでゆるやかに鞍部まで登っていく。

警笛鳴らせの標識

 警笛使用の標識が立っている。見通しが利かないカーブが続くので、対向車に注意しながら進もう。

笹谷峠のおにぎり

 傍らには国道286号線のおにぎりが。こんな道でもれっきとした国道なのだ。


鞍部手前

鞍部駐車場

 九十九折りを登りきり、稜線上に出てきた。左手は自動車が20台ほど停められる広い駐車場になっていて、登山客の車が多く停まっている。峠の北には山形神室岳や二口峠、南には雁戸山や蔵王への登山道があるため、登山口としてよく利用されている。

斎藤茂吉歌碑

ふた國の 生きのたづきの あひかよふ この峠路を 愛しむわれは

 駐車場への分岐には、山形が輩出した歌人、斎藤茂吉の歌碑が建っている。昭和17年(1942年)、茂吉が還暦を迎えた記念に笹谷峠を徒歩で旅した時に詠んだもので、歌碑は昭和62年(1987年)、地元有志によって建てられた。

ハマグリ山登山道から山形市を眺める
ハマグリ山登山道から西の方を見たところ。この画像は2005年5月の様子。

 駐車場一帯は山形市を見下ろせる格好の展望台になっている。笹谷峠は西に向かってひらけた谷の奥に位置するため、山形市や村山盆地はもちろん、天気がよければ月山も十分に望める。


八丁平

ハマグリ山登山道から見る八丁平

 鞍部周辺は見所が多い。峠の北にあるハマグリ山登山道を少し上り、鞍部を見下ろしてみた。鞍部の南には、八丁平と呼ばれるなだらかな登り傾斜が続き、その奥に雁戸山が控えている。笹谷峠の鞍部は山形神室岳に連なるハマグリ山と、南の八丁平にはさまれており、ちょうどここのところだけ、奥羽山脈の稜線が切れ欠けたようになっている。
 付近は標高1000メートルにも満たないのに森林限界を越え、背の低い木や笹が目立つ。これは峠が風の通り道になっているからで、奥羽山脈に阻まれた風が鞍部になだれ込むおかげで、背の高い木が生えなくなってしまったのだ。夜に峠に行くと、立っているのも大変なほどの烈風が吹き付け、笹薮が波のようにうねっている様が見られる。
 そうした理由で、峠の名前は鞍部に笹が茂っていることに由来するのだが、その他にも阿古耶姫の悲恋にまつわるものが知られている。


山形側の九十九折り

ハマグリ山登山道から山形側を見たところ

 山形側を見下ろせば、さっき登ってきた三群の九十九折りが一望できる。ご覧のとおりぐねぐね。一番右に見えるのは峠口にある山形自動車道関沢インター。


有耶無耶の関跡

有耶無耶の関跡

 今度は南、八丁平の方を少し歩いてみよう。国道を横切り、笹薮を割る小径を20分ほど進むと、有耶無耶の関跡に着く。約10メートル四方の広場で、傍らには標柱と川崎町が立てた案内板がある。関とはいうものの、役人がいて往来を取り締まったとかいうものではなく、どういう場所であったかは文字通りうやむやで実在を疑う向きさえある。

 もともと峠は、古くから先人らが山脈の稜線が切れ落ちたところを、山越えの通路として利用していたものと思われるが、歴史に登場するのは平安時代のことである。
 大化の改新以降、朝廷は中央集権体制を強め、地方を中央の支配体制に組み込んでいった。そして10世紀に作られた「延喜式」では、地方と中央を連絡する駅伝制度について、細かく取り決められることになった。
 延喜式では、陸奥国の篤借(あつかし)・柴田・小野の宿駅に各十頭の駅馬(官吏の往来に利用する馬)を置き、同じく出羽国の最上駅に十五頭を置くことが定められている。小野は現在の宮城県川崎町小野(みちのく杜の湖畔公園があるあたり)で、最上は山形県村山地方を指す。笹谷峠はちょうどこれを結ぶ線上にあり、その頃にはすでに整備されていたと考えられている。これが笹谷峠が山形で最も旧い峠とされる理由である。
 当時、陸奥国には朝廷の出先機関である多賀城が、同じく出羽国には出羽柵があった。峠は陸奥国と出羽国、ひいては太平洋側と日本海側の連絡道として、古くから重視されていたのだ。

 三崎峠同様、笹谷峠の有耶無耶の関にも、旅人を襲う鬼と旅人を救う鳥の伝説が残っている。みちのく笹谷峠の難所ぶりを象徴する有耶無耶の名は、都人の想像を掻き立てるものがあったのか、鎌倉時代には歌枕の地として知られるようになった。


六地蔵・尼寺跡

鶏亀地蔵
六地蔵の一人、鶏亀地蔵(けいきじぞう)。六地蔵はいずれも等身大で作られている。

 有耶無耶の関に向かう遊歩道はかつての古道で、その途中には、石地蔵が全部で六体立っている。一見のどかなお地蔵さんではあるが、これらは悲しい理由で建立されたものである。
 主要道とはいえ笹谷峠は難所だった。特に冬場はまるきり雪に埋もれるばかりか、峠に吹き込む風が猛吹雪を起こすため、往来は困難を極めた。
 ある冬、六人の人夫が荷物を担いで峠を越えようとした。ところが八丁平にさしかかると吹雪で道を見失い、六人とも凍死してしまった。これを悼んだ人々は、峠に六体の石地蔵を建立して人夫を供養するとともに、道しるべとした。人夫の遺体は三人は吹雪に背を向けるような姿で、残る三人は道を見失うまいとしたのか正面を見据えた姿で発見されたそうで、石地蔵も彼らと同じ方向を向けて据え付けられたと伝わっている。
 時の流れに忘れ去られたのか、六体のうち四体は長らく土の下に埋もれていたが、昭和58年(1983年)、地元の篤志家によって残る四体が発掘され、現在はもとどおり、六体揃って峠に立っている。

仙人大権現碑
石碑の一つ、仙人大権現碑。仙住寺が建てたものと伝わっている。

 他にも遊歩道には、大人の背丈ほどもある石碑が三つある。特大の石碑が建てられたのも、雪の中でも道を見失わないようにするためだったらしい。

尼寺跡

 峠には寺院も建っており、峠で立ち往生した人々の救い小屋(避難小屋)の役目も担っていた。これが尼寺と仙住寺である。尼寺は山形側にあり、仙住寺は宮城側にある。仙住寺には鐘が据え付けられ、遭難者があったときにはこれを撞き鳴らし、危急の事態をふもとに知らせた。画像は尼寺跡で、広さは四方15メートルほど。建物は既になく、石積の遺構が残っている程度である。近くには山形工業高校が管理する無人小屋があって、現在はこれが尼寺の代わりとなっている。

笹谷十一面観音堂と梵鐘
川崎町笹谷地区に建つ十一面観音堂。明治末に老朽化していた仙住寺から、本尊をふもとに移したもの。

 宮城側峠下の笹谷地区には、仙住寺のご本尊だった十一面観音像を移設したお堂があって、その傍らには鐘が据え付けてある。鐘は後世に作られたものだが、峠にあったのもこのような鐘だったのだろう。

故岡崎武七碑

 しかしそれでも遭難者は後を絶たなかった。駐車場入口付近に立つ「故岡崎武七」の碑は、大正3年(1914年)に当地で遭難した商人を弔うものである。また、戦後の笹谷峠改修の立役者、山形県議高橋常治は、かつて親類を冬の峠で失ったことをきっかけに峠の改修を決意している。国道286号線の九十九折りは、現在でも冬になると、降雪のため通行止めになる。

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