「新庄」の名を冠するこの峠は、今となってはその名も忘れ去られた古道だが、名前のとおり、新庄の出入り口となった道である。
新庄峠は新庄市と小国郷こと最上町に至る道である。近代以前には多く利用されていたが現在顧みられることはなく、大部分が廃道化している。まずは新庄側の様子を見てみよう。
新庄側は休場(やすんば)地区が峠口となっていた。しかし平成18年(2006年)に開通した最上東部広域農道によって峠口付近の地形が大きく変わり、取り付きがわかりづらくなっていた。
こちらがかつての峠口。休場のはずれ、新田川を渡ってすぐのところから道は延びていたのだが、現在は農道によって分断され、ここから登ることはできなくなっている。
地形図を頼りに入口を探ったところ、農道のカーブから薮っぽい道が延びているのを発見。どうやらこれがかつての道らしい。
とりあえず少し歩いて様子を見る。この時(2011年秋)は時期と天気が悪かったのか、路面はひどくぬかり、さらに草藪が生い茂っていたのであえなく退散。時期を選ばないと踏査は難しそうだ。
そういうわけで翌年(2012年)5月、薮が繁りだす前に新庄側の区間を行けるところまで行ってみた。ぬかるんでいるのはあいかわらずだが、薮が退けている分歩きやすさは段違い。
入口付近はぬかる道が続く。入口から300メートルも進めば左右から小枝が張り出し、すっかり廃道といった趣だ。ぬかるのは入口から数百メートル程度の区間で、ここを乗り切るとよく締まった路面になる。ただし灌木や小枝はますますひどくなった。
灌木こそ繁っているがこのあたりはまだ道跡がはっきりしている。地形図があればこのへんで迷う心配は少ないだろう。
道跡を追いながら奥に入っていくとやがて切り通しが現れた。地形図によればここが新庄市と舟形町の境のようだ。
切り通しのあたりには杉林が広がる。新しく伐採された切り株もいくつかある。山仕事なのか、人の出入りがあるものらしい。
切り通しの先で分岐を発見。左側は新しく作られた作業路のようだ。古道は右側。
道跡に従って進んでいくと突如足元の道が消えた。向こう側を見ると道跡らしいものがある。ここだけ道がなくなっているようだ。
向こう側に取り付くべく迂回中。再び道跡を追って先へ進む。
背の低い笹に覆われた道跡。この程度の笹藪ならまだ楽勝。
道跡を追ううち谷が近づいてきた。地形図では新庄と舟形の境界のすぐ南、三つの谷が合わさる地点にあたる。左手に登る道が見えるがこちらは峠に至る道ではない。峠に向かうには右に進んで谷を降り、この谷筋を横断することになる。
小さな沢をひとつ渡ると、また小さな沢が現れる。道はこの沢を横断し先に続いている。このあたりの道跡は特に不明瞭なので、地形図を見ながら慎重に進む。
出会いの先には道跡らしい平場が認められた。ところが枝が張り出し歩きづらい区間が続く。ところどころ道が崩れ、本当にここでいいのか不安になってくる。
山仕事の人が貼ったらしき札を発見。どうやらここで間違いないようだ。
進むうち道跡が明瞭になってきた。傍らには先達が残したらしいリボンもある。ここまで来れば一安心。道は中腹へとさしかかる。