主と寝たかよ 主と寝たかよ 主寝坂峠 笹になにかの 笹になにかの あとがある
主寝坂(しゅねざか)という変わった名を抱くこの峠には、その縁起として、主従の悲恋の物語が伝えられている。
江戸時代の初め頃、戦敗れて城を失い、羽後の矢島から落ちのびてきた姫君がいた。お伴は家来の若武者一人きり。二人がこの峠にさしかかると突然の雷雨に見舞われ、やむなく洞穴で一晩を過ごすことになった。そして雷の怖さに寄り添いあうまま、二人は主従の一線を越えてしまう。
夢のような一夜が明け、我に返った若武者は、身分を越えた己の行いに青ざめ自害して果てた。姫君はこれを嘆き悲しむあまり、剃髪して出家してしまった。それから誰言うともなく、この峠を「主寝坂」と呼ぶようになったという。
主寝坂峠は、山形県の北方、秋田県との県境に近い金山町と真室川町を結ぶ峠で、現在は国道13号線が通過している。
今回紹介するのは、現在の国道が開通する前に利用されていた旧道である。国道の主寝坂隧道から真室川町及位(のぞき)に向かって1キロほど行った場所、隧道を出て最初の右カーブにある谷筋が入口となる。入口とはいうものの、一見してそれらしいものは何もない。
ちなみに夏場の様子。もう藪が繁りすぎて何がなんだか。
気を取り直して歩きだす。よく見ると谷筋の斜面にかろうじて道跡が刻まれてあるので、それを頼りに進んでいく。
道跡があるのもつかの間、道はすぐに薮に突っ込み途絶えてしまう。地形図を見ながらそれらしい道を探りつつ、だましだまし前進。
立ちふさがる灌木。こんなところ、いったいどうやって突破しろと。
なんとか薮をくぐり抜けると、今度は目の前に杉林が現れた。杉林は急斜面に生えている。あいかわらず道らしいものはない。
道跡を探して先ほどの斜面を登ると、待望の道跡が現れた。目の前にはさっきの薮が嘘のような道が続いている。残雪や倒木こそあるものの、薮に比べれば格段に歩きやすい。
道跡がどこから伸びているか確かめるため引き返してみると、すぐにまたもや笹薮で途切れてしまった。薮周辺の地面には、落石防止工を施した跡がある。どうやら現在の国道工事の際、落石防止処理や防護柵設置のため、周辺の旧道を一部崩したらしく、そのおかげで道が分断されてしまったらしい。
道跡に沿って進むと、地中に埋められた排水用の土管があった。この道がかつての旧道だったことを再確認。
途中、碍子(がいし・絶縁用の陶器)とおぼしき陶器が落ちていた。表面にある「1953」の数字はおそらく、製造年を指しているのだろう。どういう経緯でここにあるのかは判らないが、昭和28年(1953年)当時には、この道がまだ現役だったのだろうなと想像してみる。
さらに進むと、目の前に落石防止柵が現れる。道跡はこの真裏を通ってさらに続いている。この防止柵そのものは近年設けられたもののようだ。
柵のあたりからは、ふもとの旧及位集落が見渡せる。険路続きの道中で、ほっとする光景だ。
しかし柵は崖っぷちにあるため、一歩踏み出せばこんな光景が待っている。遙か下に見えるのは現国道。足下にはくれぐれもご注意を。
柵から少し進むと、道が二手に分かれている。ここでは右を選ぶのが正解だ。かつての国道とはいえ、山中の廃道では不用意に道を選ぶと遭難する恐れがある。
廃道名物、落石箇所に遭遇。廃道化して長いにもかかわらず、落石は意外にも少なく、大きな崩落はここぐらいだった。
続けざまに二つの沢筋を横断する。この沢筋の下流には現国道の主寝坂橋が架かっている。主寝坂隧道付近まで、旧道は基本的に現国道に併走する形で道が続いている。
二つめの沢筋から振り返るとこんな具合。
沢筋を横断すると、しばらくはこんな道が続く。さっきの薮はなんだったのかと、このまま峠まで行けそうな気さえしてくるのだが...
ところがさらに進み、主寝坂隧道が見えてくるあたり、少し広い場所にさしかかると、突然下りに転じ、峠への登り道が姿を消す。
この小さな切り通しが下り坂への入口。主寝坂隧道前に通じている模様。「歴史の道調査報告書」によれば、旧道開通以前の古い道はこの付近から隧道の前に出て、国道を横断する形で旧及位に通じていたようだが、この道がそうかは判らない。
地形図によれば、このあたりから九十九折りの道になる。さんざんあたりの様子と地図を見比べた末、上に行けば道があると判断し、さっきの広場の左手斜面を登ると、案の定、登り道が現れた。ここでも道がどこから伸びているか確かめてみたが、件の下り坂にともなってできた沢によって分断されていた。
峠への登り道は九十九折りになっている。以降は道が途切れている部分もなく、ひたすら曲がりつつ、登るばかりとなる。
峠にだいぶ近づいた頃、杉林を割って電線が張られている場所にさしかかった。主寝坂峠にある人工物は後年新しく作られたものが多く、これもその一つである。どういうわけか、現役時代のものはあまり見かけなかった。
鞍部直前で発見。崩れかけた垣根があるばかりで、肝心の中身が見当たらない。「金山町史」には、昭和14年(1939年)、当地に明治天皇ご巡幸を記念する欅製の標柱が立てられたという記述があるので、おそらくはその跡かと思われる。
垣根を過ぎ、切り通しを越えると砂利道が現れる。ここが真室川町と金山町の境界で、主寝坂峠の鞍部である。標高約415m。左の道は東北電力とKDDIの無線基地局につながっている。金山への下りは右側だ。