塩根橋と落合滝

塩根橋

 ここで峠から離れて、峠の歴史を紹介しよう。
 主寝坂峠は「塩根峠」と呼ばれることもある。真室川の峠口、新及位には塩根川という川が流れており、国道にかかる橋にもその名が与えられている。
 橋の上流、塩根川と朴木沢川との合流点には落合滝という小さな滝がある。「金山町史」では、「塩根」の語源が「滝のある沢」を表すアイヌ語「ソナイ」にあるという説を紹介している。
 主従の悲恋物語も捨てがたいが、実際のところ峠の名は、「塩根」が転訛したものなのだろう。一方で伝説も全てが作りものというわけではなくて、江戸時代初期には秋田と最上を結ぶ道として、主寝坂峠がすでに利用されていたことを示しているのではないだろうか。
 その後江戸幕府のもと天下が落ち着いてくると、この峠は参勤交代の道となった。17世紀初め、秋田に入部した大名の佐竹氏が雄勝峠を開削したことにより、主寝坂峠は羽州街道に組み入れられ、江戸と秋田を結ぶ道として重視されることになった。以降、一里塚や松並木、宿場などが設けられ、周辺は次第に街道として整えられていった。これが峠のその後を決定づけることになる。

落合滝

 滝とはいうものの落差が小さいため、いわゆる瀑布というよりは、早瀬のように見える。


明治天皇御小憩碑と万代橋

明治天皇御小憩碑と万代橋親柱

 塩根橋のやや上流、落合滝に臨む場所には万代橋という橋があり、そのたもとに明治天皇ご巡幸を記念する石碑が建っている。もともと国道はこちらを通って、雄勝峠に通じていた。
 江戸時代に羽州街道として活躍した峠は、明治に入って一大転機を迎える。かの初代山形県令三島通庸が、秋田との連絡路として、雄勝峠とともに主寝坂峠の改修を決めたのだ。工事はカーブを多用して勾配を緩くし、馬車や人力車の通行ができるようにするというもので、明治11年(1878年)に着工し、同13年(1880年)に完成した。今回紹介している旧道は、この道が基本となっている。このとき交通の便宜を図るため、及位から新道沿線への移住が奨励された。こうして生まれた新しい集落は、それまでの「旧」及位に対して「新及位」と呼ばれるようになった。
 翌明治14年(1881年)には万代橋も竣工、そしてその直後、明治天皇が北海道・東北ご巡幸でこの道を通ることになった。雄勝峠より山形入りした明治天皇は当地で休憩し、落合滝をご覧になった後、万代橋を渡って主寝坂越えにかかり、その頂上で周囲の展望を楽しまれた。記念碑はご巡幸50年を記念して、昭和5年(1930年)に建てられたものである。

万代橋

 現在の万代橋は二代目である。初代は石造りの眼鏡橋で、加茂隧道の虎の像を作った石工、吉田善之助が手がけていた。近代的な眼鏡橋は新及位の自慢で、「眼鏡橋」の愛称で永らく親しまれてきたが、昭和51年(1976年)頃水害によって損壊、取り壊されて現在の橋に掛け替えられた。眼鏡橋の親柱は記念碑のわきに並べられ、往時の形見となっている。
 明治天皇のご巡幸には、戊辰戦争で官軍と対立することになった東北地方の人心を掴むためという、新政府の政治的意図もあった。大名行列にかわって峠を行く巡幸の行列は、当地の人々に新時代の到来を強く印象づけるものだったに違いない。そして峠は4年後の明治18年(1885年)、国道に昇格している。


金山側入り口

主寝坂峠金山側登り口

 今度は金山側から登ってみる。金山側の峠口は、主寝坂隧道金山側のすぐ目の前から伸びている。登り口が消えている及位側に比べたらはるかにわかりやすい。


金山側の様子

金山側旧道の様子

 金山側は未舗装林道で、オフ車や四駆車ならば十分通行可能である。及位側とは大違い。しかし山奥であることに変わりはなく、路上にカモシカが現れることもある。


主寝坂隧道上からの光景

主寝坂隧道上から見る国道13号線

 入って間もなく、峠道は主寝坂隧道の坑口のすぐ上で国道を横切る。


沢筋

沢筋を横断する

 いかな車で通れるとはいえ、途中にはガレ場や倒木もある。特に沢筋は上から押し流されてきた倒木が道をふさいでいることもあるので、要注意だ。


金山側の九十九折り

金山側の九十九折り

 金山側の峠道も九十九折りである。手入れされているとはいえ、急カーブが続くので、通行には注意しよう。


鞍部金山側

金山側から鞍部を見る

 鞍部からさっきの古道を見るとこんな具合。古道は5月末にもなれば、草に埋もれてしまう。


無線基地局

東北電力無線中継局

 先述したとおり、鞍部のさらに上には、東北電力とKDDIの無線基地局が設置されている。金山側が林道として今なお整備されているのは、ここに来るための道として必要だからだろう。
 鞍部からここに至るまでの道は、全線コンクリートで舗装されてこそいるが、勾配が半端でなく急なので、自動車で行こうという方は気をつけよう。


主寝坂隧道

主寝坂隧道及位側

 標高312.7m。全長808m。現在の国道はこの隧道で峠を越している。
 新時代とともに整備された主寝坂峠も、明治38年(1905年)、鉄道奥羽本線の全線開通によって寂れることになった。昭和になると自動車輸送が始まりやや盛り返したが、それでも九十九折りの坂道は「魔の峠」と恐れられ、通行は年を追うごとに減っていき、ついには廃道同然のところまで追い込まれた。国では奥羽本線沿いの道(現在の主要地方道真室川鮭川線)を国道として昇格させ、従来の国道を降格させるという計画さえ進められていた。
 もちろん地元金山町は、この惨状に黙ってはいなかった。奥羽本線が通過しない金山町にとって国道は町の大動脈であり、それがなくなることは致命的な痛手となる。それゆえ昭和11年(1936年)より、県や国に国道の整備改修を重ね重ね陳情してきたが、時代は戦争に向かいつつあり、問題は先送りにされ、事態は一向に進展を見なかった。戦時中は整備もままならず、腐った木橋はそのまま放置され、側溝は土や枯れ葉で埋もれ、道はわずかに藪の中の歩道としてその面影をとどめる程度だったという。
 戦後になり、事態は再び大きく動き出す。昭和27年(1952年)、件の代替道国道昇格計画が金山町の知るところとなり、これに危機感を強めた町が関係各位への陳情攻勢を強めた結果、ついに国道の改修が始まり、その一環で主寝坂峠に新しく隧道が作られることになったのだ。
 工事は昭和31年(1956年)に着工し、昭和34年(1959年)3月に竣工した。標高が三島道路より100メートル近く低くなったほか、勾配もカーブも格段に緩やかになり、自動車の通行にも耐えうる道として生まれ変わった。一時期廃道同然まで追い込まれた主寝坂峠は隧道によって息を吹き返し、三度山形と秋田を結ぶ路線として活躍することになった。
 こんな話も伝わっている。「主寝坂」という名が珍しいせいか、町が陳情に行くと担当官との間でひとしきりその名が話題になり、よく覚えてもらうことができたという。もし「塩根坂」だったら、この隧道はどうなっていただろう。
 その隧道も、現在は新主寝坂トンネルができたおかげで、ひっそりとしている。

主寝坂隧道慰霊碑

 及位側入り口の傍らには小さな慰霊碑がある。隧道工事の犠牲者を悼んだものらしい。


新主寝坂トンネル

新主寝坂トンネル金山側

 平成17年(2005年)11月に開通した新しいトンネル。全長2940m。ゆくゆくは東北中央自動車道に組み込まれる予定なので、高規格道路として建造されている。
 昭和30年代、金山町の尽力によって国道は改修が進み、降格の危機は去った。交通の主役は自動車に移り、国道には車が絶えず往来するようになった。
 それから50年。時代はさらに変わり、ますます車が通るようになると、新しい問題が浮かんできた。隧道は狭くて大型車どうしがすれ違えないほか、前後の道路も現在の基準からすれば急勾配と急カーブが続く上、荒天時には通行止めになってしまう。古い隧道だけでは、あまりに増大した交通を支えきれなくなっていたのだ。
 こうした状況を受け、主寝坂峠に新しい道とトンネルが造られることになった。工事は平成12年(2000年)より始まり、平成17年(2005年)11月にトンネルを含む一部区間が開通した。現在は無料道路として開放されているので、自動車はもっぱらこちらを通るようになった。
 関係各位の努力の結果、主寝坂峠は現代の羽州街道として、今でも多くの人々が行き交っている。悲劇の姫君と若武者が今のトンネルを見たら、どんなことを思うのだろうか。

(2006年4月/5月取材・同5月記)


案内

場所:最上郡金山町中田と同真室川町及位の間。町境。国道13号線およびその旧道。

所要時間:
及位側峠口から鞍部まで徒歩で約1時間半。金山側峠口から鞍部まで自動車で約15分。

特記事項:
主寝坂隧道前後の国道に通行規制箇所あり。連続雨量150mmを越えると通行止めになる。金山側旧道は未舗装林道。自動車が通れる程度には整備されているが、冬場は積雪のため通れない。及位側は全くの廃道で、薮漕ぎが必要な場所もある。道が消失している場所もあるため、踏破を試みるならば、相応の読図術と急斜面を上り下りできる程度の技術が必須。夏は草に埋もれて通行困難になる。戻れなくなる恐れが非常に高いため乗物、特に単車や自動車での突入は無謀と考えた方がよい。経験の浅い方は及位側には立ち入らない方が無難。国土地理院1/25000地形図「及位」。同1/50000地形図「羽前金山」。

参考文献:

「金山町史」 金山町 1988年

「山形県歴史の道調査報告書 羽州街道」 山形県教育委員会 1979年

「やまがたの峠」 読売新聞山形支局 高陽堂書店 1978年

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