与蔵峠

 「与蔵」とは人の名前のようだが、そのとおり、峠の森の「守り神」の名前である。いつとも知れぬ昔から、峠は最上地方と庄内地方を結ぶ道として利用されてきたが、それと同じくらい古くから、人々はこの峠の豊かな森に、人ならざるものの力を感じてきたのだ。


真木地区

真木地区の鮭川

 与蔵峠は鮭川村の羽根沢と旧平田町(現酒田市)の坂本を結ぶ旧い峠である。村の中心部日下(にっけ)より、県道315号線で羽根沢を目指すと、程なく村を縦断して流れる鮭川を渡る。真木はちょうどその県道と鮭川が交差するところにある地区で、その場所ゆえに峠とは深い縁がある。

 今となっては知る人ぞ知る道となっているが、かつての与蔵峠は盛んに人が行き交う道だった。特に平安時代には、陸奥国府多賀城と当時の出羽国府城輪柵を結ぶ幹線国道のような存在でさえあったことが、「延喜式」よりうかがえる。
 「延喜式」には多賀城を出て笹谷峠で出羽に至る道が現れるが、それと並んで奥羽山脈西麓を北上し、避翼・佐芸(さき)・飽海の各駅を経て、城輪柵に至る道も記されている。この佐芸駅より飽海駅に抜ける道が与蔵峠である。
 もともと出羽国府は秋田の出羽柵に置かれていた。天平9年(737年)に大野東人が有屋峠を越えようとしたのは、多賀城と出羽柵の直通路を確保するためである。その計画は20年以上の歳月を経てようやく横手付近まで進んだものの、程なく蝦夷と朝廷の対立激化に伴い後退を余儀なくされ、宝亀6年(775年)頃、出羽国府は酒田の城輪柵に移転している。そこで新たに多賀城と城輪柵との連絡路が必要となり、周辺の道が整備されることになった。佐芸駅はこれによって新設された駅で、真木はその比定地の一つである。

 当時の最上川ではすでに船が用いられ、最上庄内間交通の主役となっていたようだ。「延喜式」によれば佐芸駅は水駅で、駅馬の他にも六隻の船を備えていた。最上川の支流にあたる鮭川に水駅があったのは、ここが与蔵峠への分岐であり、船が使えないときにはここで船を下り、陸路で庄内に向かう際にも便利が良かったからと考えられている。ちなみに「佐芸」の名は「鮭川(さけがわ)」に通じている。


羽根沢温泉

羽根沢温泉 羽根沢温泉共同浴場

 峠前最後の集落となる羽根沢は真木からさらに西に進んだ県道315号線の突きあたり、羽根沢川のほとりにある。温泉地として知られており、いくつかの温泉宿や共同浴場などが建っている。
 羽根沢温泉の開湯は大正8年(1919年)のことで、当地で石油を試掘していたら、油の代わりに湯が湧いたという変わった開湯縁起がある。そのせいか湯はかすかにアブラ臭を帯びており、その筋の愛好家にはたまらないものがあるようだ。その他にも天然ガスが噴出しており、宿の自家用燃料として使われていた。
 当地には先祖が庄内出身という方が多いという。羽根沢は与蔵峠東の出入り口にあたる。かつては庄内からの湯治客が多数峠を越え、羽根沢にやってくることもあったそうだ。羽根沢の村人も新庄に行くより峠を越えてでも庄内に出る方が近かったので、自動車が普及する以前には買い出し等で与蔵峠を通ることが多かったと伝わる。近代までは峠は生活路として、盛んに利用されていたようだ。


羽根沢林道入り口

羽根沢林道入り口

 与蔵峠には従来の古道の他、近年全線開通した林道がある。今回はその両方を、鮭川側と平田側からそれぞれ紹介しよう。
 古道登山口までは羽根沢林道と湯の里林道を辿っていくことになる。温泉街の片隅からさらに西に向かって伸びる未舗装路が、その羽根沢林道だ。入り口付近には与蔵峠入り口を示す看板や標柱もあるので、迷うことはないだろう。


羽根沢林道

砂防ダム

 林道はまず羽根沢川に沿い、山の方へと入っていく。沿線には砂防ダムや堰堤といった構造物がいくつかあるので、これらを点検整備するために人の出入りがあるものと思われる。

鉄塔遠望

 画像ではわかりづらいが、前方に鉄塔と送電線が横切っているのが見える。この送電線こそ、与蔵峠最大の構造物だったりする。

カーブミラー 修復された法面

 それなりに往来があるからか、林道は未舗装とはいえ車が十分通れる程度に整備されている。路面もよく締まっており、林道としてはかなり走りやすい方だ。カーブにはミラーも設置されており、過去に派手に崩れたとおぼしき路肩はコンクリートで補修してある。

羽根沢川横断 谷止工

 小さな橋で羽根沢川を渡り、谷止工を眺めつつ斜面を登っていく。ここを境に林道は羽根沢川を離れ、峠に向かって高度を上げていく。

路肩崩落箇所 ぬかる路面

 谷止工を過ぎると、道は細かな九十九折りを描く。このあたりは道が悪く、路肩や法面が崩れているところやぬかるみなどもあった。狭くて見通しも利かないので、気をつけながら登っていこう。

九十九折りの鉄塔

 あるヘアピンカーブにさしかかると、目の前に鉄塔が現れた。  先ほども触れたとおり、峠には送電線が通っており、鉄塔が何本も建っている。何度も目にすることになる送電線や鉄塔は、峠行の「先達」として、道中幾度となくお世話になるだろう。

九十九折りを抜ける

 九十九折り区間を抜ければ、再び通りやすい砂利道になる。


羽根沢林道終点

羽根沢林道終点

 羽根沢温泉から4.5キロほど林道を追っていくと、鉄塔のふもとにある広場にたどり着く。ここが羽根沢林道の終点だ。終点だがここから羽州湯の里林道が延びているので、車でもさらに先へと進めるようになっている。この広場から古道に取り付くこともできるようだが、今回は別のところから登るので、とりあえず湯の里林道を追うとしよう。


湯の里林道鮭川側

締まったダートの湯の里林道

 湯の里林道は峠区間では最後に整備されたところなので、非常に状態がよい。単車や自転車はもちろん、自動車でも通る分には全く困らない。

道ばたから羽根沢を望む

 途中にある駐車帯からは、羽根沢の集落や鮭川村の盆地がよく見える。湯の里林道は全体を通じて展望が得られる。林道ツーリング好きなら強力におすすめだ!

中沢の望橋

 立派な橋に遭遇。こんな山奥にこんな立派な橋を造って大丈夫なのかと思いつつ渡る。ここを渡れば古道入り口はもうすぐ。

古道入り口

 道の脇から登山道が延びている。ここが古道の入り口だが、こちらはひとまずおいといて、まずは車道の峠を先に見てこよう。


新与蔵峠

湯の里林道の峠

 古道登山口から600メートルほど湯の里林道を進むと、鮭川村と酒田市の郡界に出る。周辺はブナが茂る鞍部となっており、傍らには湯の里林道の案内看板や、郡界を示す標柱などが立っている。この峠は湯の里林道建設によってできたもので従来の与蔵峠とも違うのだが、車道の峠という意味でここを新与蔵峠と呼んでもいいだろう。

峠の郡界標柱

 峠区間の車道は三つの林道からなっている。一つは羽根沢側の羽根沢林道、もう一つは平田側の山元林道、そしてその二つを結ぶ羽州湯の里林道だ。湯の里林道は三つの中では最も新しい区間で、21世紀になった平成15年(2003年)に開通している。それまで羽根沢林道と山元林道の間には古道しかなかったのだが、これをもって与蔵峠は車でも往来できるようになったというわけだ。

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