「赤湯温泉観光案内」

赤湯温泉観光案内所

 南陽市のはずれで発見。砂利道の脇にふいと現れるあばら家。中はゴミでいっぱい。この近くにはくぐり滝という名所があって、そこに向かう観光客をあてこんだのだろうが、あてがはずれたのかと思われる。そりゃ、こんな山奥じゃねぇ。

こんなところにある

こんな山奥


「練習生募集」

角海老ボクシングジム看板 角海老ボクシングジムフォーカード

 新庄市内で発見した角海老ボクシングジムの看板。なぜ4枚も並べて貼ってるのか? それ以前に、東京のボクシングジムがこんな辺鄙な田舎にまでやってきて看板を張ること自体に意味があるのか?
 その後知ったことでは、新庄は昔からボクシングが盛んだったらしい。平成4年のべにばな国体ではボクシング会場となっている。


「もとなりくん」

雪とスイカと花笠と 35万年は嘘だった

 尾花沢市で発見。同市のある看板屋が、地元名産スイカをモチーフに生み出した尾花沢のマスコットキャラクターで、その後出現した市のマスコットキャラクター「雪ごろう」と張り合っている。「もとなり」とは蔓の根本の方になるスイカのことで、収穫前に間引きされてしまう。
 「35万年前の石器」とあるのは、市内柚原地区から旧石器時代の石器が見つかったという話を受けてのもの。発掘地点は遺跡の指定を受けていたが、その後アマチュア考古学者の捏造事件が発覚し、再調査の結果「捏造」と判定され、遺跡の指定を取り消されている。
 ついでに、35万年前には、徳良湖はまだできてないぞ?


「問題集自動販売機」

学科問題集自販機 自販機正面

 天童市高擶で発見。売っているのは運転免許証の学科試験問題集。この辺は県免許センターを中心に、数件の自動車教習所と宿泊施設が軒を連ねる、山形の自動車免許産業の中心地。そういうわけでこんな物まであるらしい。


「いいで牛」

いいで牛

 飯豊町の道の駅「めざみの里」で発見。どこから見ても紛う方なきいいで牛。体の脇にしっかり「いいで牛」と書いてあるから間違えようがない。


「林道が泣いている」

峠愛好家も泣いた封鎖ゲート

なぜ通さぬ せっかくの林道が泣いている!

 奥山寺の二口峠前、通行禁止ゲートで発見した落書き。二口峠も通行止めになってから久しい。ゲートに門前払いを食らった峠愛好家が腹いせに書き残していった物と思われる。その後2004年にこのゲートは撤去され、基本的に県境まで通行できるようになった。


「おしんの実家」

おしんの実家

 山辺町の奥で撮影。1980年代の大人気テレビドラマ「おしん」の撮影に使われた古い民家、番組終了後は放置され、荒れるに任せていたのだが、20年近く経ってその様を忍びなく思った地元有志がテレビのクイズ番組に出場し、見事修復の資金を勝ち取ったという面白い逸話がある。
 ちょうど修復直前の写真で、かやぶき屋根は工事用のブルーシートですっぽり覆われていた。


「農業滅亡まであとわずか」

農業滅亡まであとわずか イスカンダルへは行かない

 余目町の国道沿いにあった看板。地元農協青年部の方々が作ったもので、農業の危機を訴える。元ネタはもちろん松本零士氏の「宇宙戦艦ヤマト」。青年とはいえ作った方々の年齢層がよくわかる。「小泉惑星・マキコ星」という文句も時代を感じさせる。
 農協ではこうした看板の全国コンクールまで開かれているのだそうで、農業地帯ではよく見かけるもの。ところで、「近日公開!」って、何を公開するつもりなのやら。


「感冒ユイツ」

感冒ユイツの琺瑯看板

 新庄市内で発見した琺瑯引きの看板。ムヒ本舗の名が見えるのでちょっと調べてみたが、作ったのは富山の池田義恵商店というところのようで、かゆみ止め「ムヒ」で有名な池田模範堂とも違うらしい。池田模範堂は富山の配置薬会社として出発し、置き薬販売のついでに琺瑯看板を張っていた。おそらく池田義恵商店も同じように看板を張っていたのだろう。琺瑯看板も今や消えつつあるのが残念である。

(2003年2月記・2006年1月追記)

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