いかリリア長介!! だめだこりゃ!
アドル ポンポコリン(90/11・90/12・魔法使い!すがの)
投稿者「魔法使い!すがの」氏は、初代「闘技場」時代からの投稿者で、すっとぼけた絵を添えた駄洒落ネタを得意としました。初代・新「闘技場」ともに、毎月何枚ものハガキが掲載されるほどの活躍を見せ、優勝を争う常連投稿者の一人でありました。そんなすがの氏のイースネタです。片やミスリリア、片やさくらももこの「ちびまる子ちゃん」アニメ版が元ネタです。BBクィーンズが歌うエンディング曲「おどるポンポコリン」は、当時大ヒットしました。
そういや「ちびまる子ちゃん」のまる子役、TARAKO女史は日本ファルコムのラジオ番組のパーソナリティもつとめてましたっけ。
鉄腕アドル 代理のフィーナ(91/1・ASUKA)赤烏:基本的に極端な「マンガネタ」はボツなのだが”世界の手塚”なら、いっか。しかし「代理のフィーナ」じゃ、ただの企画倒れではないか、との声もある
イースの波平(91/5・魔法使い!すがの)赤烏:またすがの。すがののおかげでしばらくぶりにエナジー・ドレインのシステムがまともに働くことになった。さすがだよな、すがの。
元ネタは説明するまでもありません。手塚キャラのコスプレをする代理のフィーナといい、目つきの怪しいコスプレ父さんといい...
そういや、父さんも双子でしたな。
’91年度からヤクルトスワローズは、日本ファルコムに身売りするとゆーウワサは本当なんだろうか?(だれかそんなウワサ流した?)
ファンが増えそうですね。(91/1・98太郎)
残念ながら先述の通り、翌年ヤクルトスワローズは野村克也監督の下、リーグ優勝を果たします。ヤクルトをバカにすんな! 強いんだぞ!!
ついでに調べてみたところ、ヤクルトはかつて、鉄腕アトムをイメージキャラクターにしてた時代がありまして、「アトムズ」を名乗っていたこともあったとか。「鉄腕アドル」。当たらずとも遠からじ。
BEMPAペンタン イースIIウォシュレット(イースの便器)
用を足す時には絶対あった方がいい。シブさがうれしいイースの便器です。キミの友達がイースファンなら、さっそくこれで、コミュニケーション!!(イースに出てくる宝物のように大切にしてくださいね。)(91/3・山口茂雄)
元ネタ・電波製イースグッズ・イース「ウォレット」
電波新聞社で「イース」グッズを作っていたことは以前述べましたが、それのパロディです。電波製イースグッズには札入れこと「ウォレット」もありまして、それとTOTOの水洗便器「ウォシュレット」をかけています。
クレリリアソード
「あ、あっちがいいな なんかあの敵強そう…」
「あのねェ…」
…欲しいな(笑)(91/3・98太郎)
リリアが柄に付いている「クレリアソード」だから「クレリリアソード」。
SFC版「イースIV」では、リリアの亡骸を抱えて移動するという場面がありますが、リリアを抱えているにもかかわらず、敵を攻撃することが可能です。「クレリリアソード」ならぬ、「リリア本人」で殴りかかっていたのかと。
エイリリアンシンドローム(91/3・さくまのハミング)
元ネタ・セガの「エイリアンシンドローム」。グラフィックはこんなかんじ。
「エイリアンシンドローム」とは、セガが87年に出したアーケードゲームで、エイリアンに侵食された宇宙船内を戦い抜くというアクションゲームです。そのおどろおどろしい、生体的なグラフィックが評判になりました。それと「リリア」の名前をかけたネタですが、ファンが見たら激怒しそうです。
杉本リリアへ
私のようにならないようにがんばってね。
あなたの先輩 麻生優子(91/6・YUJING)赤烏:これで二度目の登場のYUJING。本名がモロバレのペンネームがイカすよな。とある雑誌のアイドル写真のコーナーで2位を獲得していた杉本理恵だが。
今風に言えば「ミスリリアコンテスト」のイタさを風刺するネタです。ミスリリアコンテストとは、1990年3月に開催された、「イースII」のリリアさんのイメージガールを選ぼうという企画です。グランプリに選ばれたのは大阪府出身の杉本理恵女史で、その後アイドルデビューして、ファルコムレーベルから何枚かのアルバムを発表しました。
実はこうした企画はミスリリアコンテストが最初ではありません。これ以前にも、日本テレネットが自社作品「夢幻戦士ヴァリス」の主人公にちなんで「ミス麻生優子」なる企画をぶち挙げていたのです。
企画は89年夏の「夢幻戦士ヴァリスII」発売に合わせたもので、ゲームのイメージガールを選ぼうというものでした。そこで選ばれた麻生優子さんは女子高生ではなく、当時20歳の大学生、宮本裕子女史です。キャンペーンガールとしてゲームの宣伝をしたり、X68k版「夢幻戦士ヴァリスII」では主人公優子のキャラボイスを当てたりといった活動をしていました。
「ミスリリア」杉本理恵(左)・「麻生優子」宮本裕子(右)両女史。宮本女史は実力派舞台女優として活躍中とか。
とはいうものの、ゲームファンの反応はいまいちでした。ミス優子さんがパソコンショップで「ヴァリスII」の宣伝をした時、ゲーム画面の前には二次元の優子さん見たさに人だかりができたものの、リアル優子さんの周りは閑古鳥が鳴いていたという噂も伝わっています。そんなですから話題になるわけもなく、あっという間にゲーマーの記憶から忘れ去られたのでありました。話ではその後地道に実力を上げ、現在は中堅どころの舞台俳優として活躍していらっしゃるそうです。
ミスリリアは、アイドルとしてはミス優子よりも長命でしたが、その結果は似たようなものです。ファンになるゲームファンもいましたが、「そこまでするかよ」「だめだこりゃ!」と、その企画に退いてしまうゲームファンも多かったのです。二次元好きが三次元好きであるとは限りません。ミスリリアコンテストは「キャラ萌えは二次元キャラそのものこそが対象であって、その名を冠する実在の女の子がいたところで、ゲームキャラ同様の萌えキャラにはなり得ない」ということを身をもってゲーム史に記した企画、日本ファルコムの「黒歴史」としてゲーマーの記憶にとどめおかれています。
その後、「ストリートファイターII」発売にともない、「ストII」ネタが氾濫したこともあり、イースネタは姿を消します。
「読者の闘技場」は、ベーマガ誌上に連載されていた、読者による投稿ネタ合戦企画です。
80年代中盤のベーマガには、同誌で活躍していたライター山下章氏の趣味で、お遊び色の強いゲーム関連記事が掲載されていました。たとえばゲーム紹介記事で「記事の文章中にアイドルの名前を仕込んでいます。全部で何人いるか当ててみよう!」といったクイズをやってみたり、Q&Aコーナーでは、当時山下氏が傾倒していたアイドルグループ「おニャン子クラブ」メンバーの名前や、「週刊少年ジャンプ」誌の漫画ネタが飛び交うといった具合です。現在で例えるなら、最新作の紹介記事で、関係もなくモー娘。メンバーの名前を連呼するようなものでしょうか(もっとも、それでもゲーム紹介記事として読み応えのある記事にしてしまうところが、山下氏の凄さでもあった)。
元々当時のベーマガ自体が読者の投稿で成り立っている雑誌で、読者の投稿イラストなど多く載せていたのですが、とりわけQ&Aコーナーや裏技紹介コーナー「読者の広場」には、そうした山下氏好みのネタを盛り込んだ投稿が寄せられるようになっていました。
一方、自らミーハーを標榜する山下氏に対し、「おニャン子ネタはもうたくさん。」「いい加減ミーハー路線に走るのはよせ。」といった意見が出てきました。山下氏としては、無味乾燥な記事は書きたくないというつもりでやっていたようですが、その意見を受け、硬派な批評記事を始めるなど担当コーナーの整理が図られました。
その一環で86年12月号から、「読者の広場」が、読者どうしと山下氏の交流企画として、投稿ハガキ紹介記事に切り替わりました。ミーハー記事はこちらで吸収しようという意図もあったようです。新生「読者の広場」には先に述べたようなハガキが寄せられ、掲載されることが増えてきました。やがてネタハガキはウケを狙うものが多くなり、ついには「読者の広場」を占領するに至ります。
かくて増えたネタハガキの勢いに対応し、それならば、と読者投稿によるネタ合戦企画が誕生することになりました。それが今回紹介した「読者の闘技場」です。
おまえは今まで解いたAVGの数をおぼえているのか?(87/8・川島章弘)
「ジョジョ」の名言「今まで食べたパンの枚数を…」にちなむネタ。数々のゲームを解いた山下氏への洒落。
「読者の広場」から初代「読者の闘技場」に移行するにあたって、企画を盛り上げるべく、様々な規約が盛り込まれました。それが「職業」「経験値」と「大ボケ」です。
投稿者は「ドラクエIII」よろしく、まず自分の職業を決めます。投稿が採用されると、ネタの出来に応じて1〜5ポイントの「経験値」がもらえまして、貯まった経験値に応じて「レベルアップ」します。一定のレベルになると、「職業」ごとに異なった景品がもらえるという仕組みです。職業は「戦士」「僧侶」「魔法使い」「忍者」「遊び人」の五種類で、景品にはベーマガ執筆陣のサイン色紙やゲームソフトといったものから、「電波新聞1部」「『ラーメンハウス遊遊』の割り箸」といった、分かる人にしか分からないグッズまでそろっていました。会期は一年。投稿者はその期間内で投稿を繰り返し、レベルを稼いでいきます。
最高レベル20に達した投稿者にはスペシャルプレゼント(ビデオゲーム筐体+基盤・PCエンジン・山下章使い古しのアンプ・TOMMY使い古しのPC−6001・セガマスターシステムのどれか)が贈られるというふれこみでした。ところが全体的に経験値は低迷気味で、企画の後半では獲得経験値が二倍になる「倍付け」があたりまえになりました。会期終盤になると、それでもレベル20達成は無理という状況に陥り、各職業の最高レベル獲得者にプレゼントを進呈すると規約が改定されました。
倍付けと優勝者という要素は、基本的には苦し紛れの対策ですが、投稿者同士の競争を盛り上げるものとして、後の闘技場にも影響を与えることとなりました。
「大ボケ」は、その月の投稿でもっともくだらないネタに与えられる称号です。「経験値」は得られませんが、ある意味もっとも「おいしい」称号でしたので、やがて大ボケ狙いのネタも多く寄せられるようになりました。
「闘技場」の選者は山下氏とベーマガライターの一人、TOMMY氏です。山下氏には「レフェリー」、TOMMY氏は「師範代」の肩書きが付いていますが、TOMMY氏の肩書きは「TOMMY:たやすこ」「くろきひ:TOMMY」などと毎回駄洒落にされていました。しかも連載第一回目から「師範代:TOMY」と誤植されたのを受け、翌月には「先月分を補った」というふれこみで、名前を「おもちゃの:TOMMMY」にしたりと、悪ノリし放題でした。
TOMMYちゃんをいじめないで(88/8・菅野義裕)
TOMMY誤植事件をふまえたネタ。ベーマガライターズは人気のネタだった。
「読者の広場」と初代「闘技場」はネタの傾向が同じで、とにかく「少年ジャンプ」ネタとベーマガ執筆陣ネタが目立ちます。漫画の名場面をパロって当時のゲーム業界を風刺したり、ベーマガ執筆陣の内輪ネタを盛り込んでウケを狙うという投稿が、最初の主流となりました。ゲームの登場人物を使ったネタもありましたがこの時代はまだ少数派で、それは「イース」も例外ではありません。そのせいか、一見ではいわゆるゲーパロには見えません。むしろゲームネタを取り込んだコミパロと言った方が的確です。
特に人気の高かった漫画、中でも荒木飛呂彦先生の「ジョジョの奇妙な冒険」はよくネタにされました。「ドッギャァーン」はさすがに衝撃が強かったのでしょうか。山下氏をはじめとするベーマガライターズもはまり狂っていた模様です。
執筆陣ネタが多いのは、もとが交流コーナーだというばかりでなく、ベーマガという雑誌自体、影さん・編さん・つぐ美さんといった名物編集者を「登場人物」として売りにした部分がありまして、その流れでゲーム記事担当ライターも、雑誌に所属する「登場人物」として扱われたのでないかと思われます。
そのほかでは、ベタな駄洒落ネタがよく投稿され、こちらは闘技場終了まで続く定番ネタとなりました。
左からDr.D、影さん、編さん、つぐ美さん。こんな具合に編集者がキャラクター化されていたのがベーマガの特徴。
当時、ゲームの登場人物はようやく記号の域を出始めた頃でした。特にパソコンゲームの場合、登場人物を描く上で欠かせない「雛形」、例えばアドルが赤毛の剣士だとか、フィーナが青い長髪の持ち主で、金のペンダントに白いワンピースといういでたちをしているといった、傍目にそれと分かる登場人物ごとの特徴が示されることはまだ稀で、ひいきの人物がいても絵に描きづらいという状況がありました。まず「顔」が見えないことには、登場人物が描けなかったのです。
そこでゲームや雑誌の登場人物を描く代わりに、当時誰でも知っていた漫画の登場人物に、その姿が託されたのだと思われます。比較的登場人物が際だった「イース」でさえ、そのネタの核心部分は、「ジョジョ」やライターネタといった、他の作品の個性に頼って成立していたという次第で、逆に言えば既存の漫画でしかパロディが作れない、という状態にありました。
初代「読者の闘技場」は大好評のうちに終了し、終了後もその復活を望む声が多かったようです。それに答えて、企画は新しい担当者、赤烏龍吉氏を迎えて復活することとなりました。それが第二期「新・読者の闘技場」です。
前回の反省をふまえ、第二期では漫画ネタやライターネタは禁止になり、基本的にゲームネタでの勝負となりました。さらに「エナジードレイン」制度が設けられます。「大ボケ」に選ばれた投稿者は、あらかじめ指定した投稿者の経験値を下げられるというものです。常連投稿者と新規投稿者の差を縮め、経験値獲得競争をさらに熱くしようという意図で設けられたものですが、大ボケ狙い投稿者は「エナジードレイン」の対象さえネタにしてしまうことが多かったため、意図通りに機能したのは全12回中6回ほどでした。優勝賞品はスーパーファミコンとソフト一本(それも「ボンバザル」だの「SDガンダム」だの本気かネタか分からない選択)です。
初代同様、1年期間限定の企画でしたが、時期がカプコンの「ストリートファイターII」の発表と重なったため、後半はもはやストIIネタ一色になった感があります。また、赤烏氏独特の挑発的なコメントのおかげか、後に「読者と戦っていたと言うより赤烏龍吉一人と戦っていた」とさえ言われました。本名吉野氏の「オールアバウトベーマガ」サイト内「ベーマガ総合辞典」では、「それ以外のネタと言えば、担当者と投稿者の貶し合いや誤字指摘ばかりと、散々な内容。」とまで評されています。
ある月のエナジードレイン。もはや投稿者でないし。
「新・読者の闘技場」では、以前に比べてゲームキャラを扱ったネタが増えています。「漫画・ライターネタ禁止」という方針が打ち出されたせいもありますが、この頃になると、「ストII」に見られるように、ゲームでもヴィジュアルを始め性格・戦う理由といった登場人物の細かい設定が作られるようになり、他の漫画の力を借りずとも、パロディができるようになっていたことが大きいと思われます。コミパロやアニパロではない、「ゲーパロ」ができるようになったというわけですが、「イース」の場合ですと、それがちょうど「イースI」と「イースII」以降の差に当てはまります。