「イースI」と「イースII」の差〜ゲーム性と物語手法

 「イースI」と「イースII」。外見こそ大きく変わっていませんが、ゲームシステムに目を向ければ様々な違いがありました。その差違は両作の性格にも及んでいます。


「読み解くこと」〜「イースI」の物語手法

 ボス戦に目が向きがちですが、「イースI」をゲームとして見た場合、最も優れているのはその謎解きです。
 「イースI」の謎解きは、特定のアイテムを特定の場所で使ったり、アイテムを持って特定の人物に会うというものが大半です。そうした謎解きは多くのCRPGでも見られるのですが、「イースI」が他と違うのは、手がかりの与え方の巧妙さにあります。

 「ドラゴンクエスト」の「虹のしずく」を例にとりましょう。作中ではまず、竜王の島に渡るためには三つの宝物が必要だという情報が与えられるのですが、その三つの宝物のありかや入手方法については「ラダトームの城にある」「銀の竪琴を持ってこい」「北に70西に40」といった具合に、具体的な場所や入手方法が示されます。
 もうひとつ、謎解きARPGの代名詞「ゼルダの伝説」(1986/2・任天堂)の謎解きは、以前のCRPGに近いものです。「東の半島には秘密がある」とか「ドドンゴは煙を嫌う」といった具合に、与えられる手がかり自体は非常に直截的なのですが、それに対して何をすべきかは試行錯誤しながら自分で考えなければなりません。ただしその謎解きのほとんどはアイテムの使い方を考えるものでして、手がかりを鍵にアイテムを応用すれば解けるようになっています。

両目の仮面の使い方を指南するゴーバンのお頭
マスクオブアイズを携えてお頭の元へ。具体的な答えは教えてくれないが、何をすべきかは示唆してくれる。

 ところが「イースI」の場合、「ドラゴンクエスト」のような具体的な手がかりは一切与えられませんし、「ゼルダ」ほど直截的でもありません。例えばダームの塔最上階への行き方。最上階への扉を開けるためには「ブルーアミュレット」が必要なのですが、作中に「ブルーアミュレットが必要だ。」というテキストは一切ありません。そのかわり「強い力で封じられた扉」「呪いを打ち破るジェンマのメダル」「ジェンマ姓の人間」といった具合に、抽象的な手がかりがいくつか提示されます。プレイヤーはこれら情報を自分でつなぎ合わせ、「強い力とは呪いのことで、もしやジェンマのメダルが必要なのでは。あのジェンマさんが何か知っているかも?」と推理することで、ようやく正解にたどり着けるという寸法です。
 これこそが「イースI」の謎解きの特徴です。本作では、作中の謎について解法が示されることはありません。そのかわり、全ての謎について十分な手がかりが用意されてあり、理に適った推理と少しの試行錯誤をすれば、どれもが必ず解けるようになっています。プレイヤーは、断片的な情報と状況を整理し読み解くことで、取るべき行動を推理しなければなりません。
 これはCRPGよりはむしろAVGの方法論による謎解きで、CRPGではそれまで全く類がないものでした(そして今なお無双である!)。「イースI」はAVG「太陽の神殿」の末裔です。ARPGにAVGの方法論を持ち込めたのはそれゆえかもしれません。

 さきほどは家庭用ゲーム機の例を述べましたが、当時のパソコンRPGの謎解きは素朴かつ陰険と言ってもいいものでした。「ハイドライド」や「ロマンシア」は言うまでもなく、「ブラオニ」の「イロイッカイズツ」も、解法そのものを述べてはいるのですが、それ以上の手がかりは全くありません。その一方で「エビルクリスタルを倒すにはミスティックドラッグが必要だ。」「先に進むためには魔獣を倒せ。」といった具合にそのものずばりの答えが示されることもあって、凝った謎解きを盛り込んだCRPGはあまり見られませんでした。そして何より、手順を間違えれば即クリア不能、最初からやり直しというのもあたりまえのことでした。そうした中にあって理不尽さを廃し、かつ良質な謎解きを盛り込んだ「イースI」にはひときわ輝くものがあったのです。

 さらに「イースI」が優れていたのは、ゲームの謎解きによって物語の謎を解き明かしていくという、その物語手法でした。謎の多くは物語の背景となっている古代イース王国の歴史と結びつけられています。ゲームの謎を解くことはそのまま物語の謎を解くことであり、「謎を読み解く」という形で、プレイヤーは古代イース王国滅亡の謎に迫っていきます。一つの謎を解けば次なる目的や謎が示唆され、謎解きを繰り返すことで真相と最終的な目的が見えてきます。この「テキストを自分でつなぎ合わせて読み解くこと」こそが「イースI」の真骨頂で、謎解きによって物語や背景世界を伝えるという手法は、いまだに類のないものとなっています。


「優しさから感動へ」〜「イースII」の物語手法

微笑みリリアさん 鐘撞堂の夕陽
リリアの微笑みと鐘撞堂。「イースII」の演出を象徴する場面。

 「イースI」は謎解きを楽しむ作品でしたが、「イースII」は提示される物語を追って楽しむ作品へと方向が変わっており、ゲームの作りもそれに合わせたものになっています。
 「イースII」は前作に比べ、演出が強化されています。前作でも、壁の浮き彫りに触れるとボスが現れるとか、ドギやトゥワースの壁破りといった演出はありましたが、「イースII」ではさらに強化されています。同じ壁が崩れる演出でもドット絵でアニメーションしますし、鐘撞堂の二重スクロール技術、ダーム戦の燃えさかる炎などなど、より視覚に訴える演出が増えています。その一番の好例がオープニングデモでしょう。
 要所要所で一枚絵やアニメーションを挟みながら物語を盛り上げるという手法自体は「イースII」以前からあるもので、日本テレネット(注7)やスクウェアなど、これを得意とするソフトハウスもすでに存在し、決して斬新なものではありませんでした。ところが音楽とともに滑らかに動く映像をテンポ良く次々に畳みかける、PVのような「イースII」のデモはそれまでになかったもので、大いに注目を集めることとなります。実際、オープニングデモはプロモーション映像としてパソコンショップの店頭などで実演されたのですが、当時のプレイヤーはその映像と音楽に衝撃を受け、「イースII」の凄さを思い知ったのです。導入部としては必要十分以上の出来で、「イースII」サウンドトラックのライナーノーツで石川三恵子女史が述べているように、「もう、我慢できない。エンディングまで一気にいくぜ!」という気にさせたのです。
 ステージ配置にも視覚的な工夫が見られます。プレイヤーの行く先には廃墟、地下洞窟、氷壁、溶岩地帯、地下水路といった具合に、がらりと異なる舞台が待ち受けています。暗い地下を抜けた先に一転して白い雪原が広がり、さらに真っ赤な灼熱の世界がといった具合に、全く違う性格の舞台を隣り合わせにすることで、展開をより劇的に見せています。

 新しい展開をテンポ良く提示するという手法は「イースII」の得意とするところで、物語にも同じことが言えます。「イースI」では、「神殿にイースの本を探しに行け」「廃坑へ」「残りの本はダームの塔にある」といった具合に、とるべき行動の指針こそ示されるものの、「ダルク=ファクトの野望を阻止する」という最終目的は謎解きを重ねた末にようやく見えてくるものであり、序盤から明かされることはありません。一方「イースII」では、序盤から「魔の元凶を倒す」という明確な最終目的が提示され、何をなすべきかがこまめに示されます。前作のような謎解き要素は薄くなっていますが、そのかわり迷うことなくゲームを進められます。その過程で古代イース王国滅亡の真相が少しずつ明らかにされるのですが、ゲームシステムの改良点も相まって、テンポ良く物語を追っていけるようになっています。

 強化された演出、前作以上に爽快なゲームシステム、物語構成。「イースII」は謎解きよりはむしろ、息もつかせぬ展開で物語を楽しむことが主軸に据えられています。「イースII」の宣伝文句「優しさから感動へ」とはこうしたゲームの性格の変化を指していると思われます。


魔法による物語手法

身を案ずる魔物
「最近、仲間がよく殺されるんだ。」 当事者だけに悲哀が胸に突き刺さる。

 演出と構成によって物語を「魅せる」ことが、「イースII」の骨子であることを述べましたが、それだけでは単に面白いだけの作品で終わっていたでしょう。「イースII」に深みを与えたのは、なんといってもテレパシーの魔法です。

 魔法を導入したおかげで、「イースII」が遊びやすくなったことは先述のとおりです。そもそも「イースII」は、あまり魔法に頼らずに解こうとすれば難易度が一気に跳ね上がってしまうほど、魔法を使うことを大前提としたゲーム設計がされています。プレイヤーはまず、ゲームシステムで魔法の便利さに触れるわけです。その一方で、物語ではたびたび魔法の暗黒面が示されます。そこでとりわけ重要な役割を果たすのが、テレパシーに与えられた「敵と話せる」機能です。
 魔物に変身している間は魔物に攻撃されないというアイディアは、同社の「ロマンシア」や「ドラゴンスレイヤーIV」で既出のもので、「イースII」のテレパシーは、その延長線上に作られたものです。ところがその変身魔法に新しく「敵と話せる」機能を与えたことが、本作最大の発明だと言っても過言ではありません。
 テレパシーを使って魔物に変身している間、プレイヤーは敵の魔物と話ができます。その内容は魔軍の動向や秘密といった重要なものから、魔物の個人的な愚痴までと様々ですが、どれも魔物を知る手がかりとなるものです。また、変身して人間に話しかければ、魔物がいかに恐れられ、忌み嫌われているかを、身をもって味わうことになります。プレイヤーは魔物の立場に立つことで、魔物が悲しき存在であることをうかがい知り(注8)、魔法が幸福ばかりをもたらさなかったこと―つまり魔法の「両面性」―を知るのです。
 これまで何度も述べたとおり、「両面性の理解」は、シナリオ担当の宮崎氏が特に好んだモチーフでした。「イース」では、魔法を巡る女神と「魔」の対立が描かれますが、両者は表裏一体の関係にあります。本作では魔物にも台詞を与え、実際に話せるようにすることでその関係を強調し、災厄の原因がどちらにもあるということをプレイヤーに訴えました。テレパシーは「両面性」を体現する魔法であり、物語を印象深いものにしてます。

 「イース」に現れる魔法とは古代文明の遺産そのもので、本作のすべての災厄の原因です。魔法はただの不思議で便利な力ではなく、繁栄とともに滅亡をももたらしうる「諸刃の剣」、両面性を備えたもの―まさに「魔」の力―として描かれます。それが物語はもちろん、ゲームシステムにまで反映されているところが「イースII」の大きな特徴であり、同時に効果的な物語手法となっています。プレイヤーは魔法の便利さを享受する一方、それが魔を生み出したことを何度となく突きつけられます。そして最後に魔の元凶ダームを倒し、アドルが魔力を失うに至って、魔法の何たるかを知るのです。

 テーマを色濃く反映したゲームシステムによって物語を印象づけるという手法は、橋本・宮崎コンビの得意とするところで、彼らが日本ファルコムを離れた後は、クインテットの作品群に受け継がれることになりました。


脚注

注7・「スターオーシャン」「ヴァルキリープロファイル」などで知られるトライエースは、元をたどれば日本テレネットから派生した会社だったりする。そう考えるとトライエースの技術力の高さにも納得がいく。

注8・「魔」が魔法金属クレリア生成の副産物として生まれたということは、とりもなおさず、繁栄のためにクレリアを生み出した人間や女神の「欲望」に由来するということでもある。ある意味魔物は人間によって生み出され、人間の都合によって滅ぼされるわけである。

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