議論の場に現れて、その場をかき乱して面白がる質の悪い投稿者を「荒らし」と呼びます。本人にその自覚があったかどうかはわかりませんが、次の投稿で論争は荒れに荒れることとなります。
ふふふふふ。とうとう私の出番だ。本当は例の『イースIII』について書いていたのだが、内容を読み返してみて、「うわー、これではファルコムファンに殺されちまうぞー。やーばーいーぞー」というわけなのでやめたのだ。
今回はRPGについて書くぞ。RPG(Role Playing Game)は、その名のとおり「役割を演じる遊技」なのだな、これが。しかし、これはコンピュータ以外で作られたゲーム(ボードゲームとかのこと)につけられたものであると思う。なぜか? それはだな。コンピュータゲームというものは、自分が役割を演じなければ始まらないのである。RPGはもちろん、AVG(Adventure Game)もACT(ActionGame)もそうだし、SLG(SimulationGame)だって、自分が指揮官を演じるわけだし、パズルだって、マウスカーソルだのブロックだのを演じるわけだよ。
何がいいたいかというと、私のRPGの定義とは「敵を倒して得られる経験値によって各パラメーターが上昇するゲーム」ということになる。つーまーりーだ、『ルーンワース』のようなアイテムによる成長も、『アークス』のような経験値なしも、RPGとはいえないのである。
アイテムによる成長なんてものは古くからあるものであって、決して斬新なシステムではない。これをRPGと呼ぶのはちょっと無理があるぞ。そんなこといったら、『グラディウス』だろうが『R-TYPE』だろうが、みーんなRPGになるぞ。AVGだって、「手がかりの品(アイテム)によって、知識が増える(成長)」なわけだから、RPGになってしまう。
経験値がないというのはもう、ぜーったいにRPGではないぞ。よく経験値を否定する人は、「体力などが何十倍になるのは非現実的」ということをいう。考えてもみろ。非現実的! なんということだ! はっきりいおう。そーいうことをいうヤツには、ゲームをする資格はない。そもそもゲームというものは、自分がふつうにはできないことを体験できるからおもしろいのだ。つまり、体力などが何十倍にもなるのは、けっして現実を無視した非人道的(なんて表現だ)ではなく、よりゲームを楽しむためのひとつの方法なのだよ。ああいやだ。きっとそーいう「現実と空想の区別がつかない人」が戦争を引き起こすんだろうな。恐ろしいことだ。
ちょっと話がはずれてしまったが、結論(のようなもの)をいう。『ルーンワース』はアクションアドベンチャーゲームである。『アークス』は、ただのアドベンチャーゲームである。戦闘なんてものは、RPGの要素ではないのだよ。
ついでだから、最後にひと言。『イースIII』は『イース』のネームバリューを利用しただけのカスソフトである。
私はだれの挑戦でも受ける!(90/6・謎のゲームデザイナーCNT)
注:「ルーンワース」(T&Eソフト)も「アークス」(ウルフチーム)も当時のCRPG。どちらもいわゆる「経験値」を廃し、独自の成長方式を採用していた。「ルーンワース」は成長アイテムによって体力が上がったりする。「アークス」は怪物ごとに熟練度が設定され、同じ怪物と戦うほどその怪物に対して強くなる。
現在なら「『出番だ。』まで読んだ。」「脳内ゲームデザイナー乙」「クマー!」とか斬られて即刻おしまいですが、この投稿に煽られて、一気に反論が増えました。『イースIII』を問答無用で「カス」と言ったのも反感を招いたようです。編集部としてはコーナーを盛り上げるため、あえてこの扇情的な投稿を掲載したのでしょう。
RPG論争はかねてから物議の種となっていた「イースIII」批判と融合しつつ、燃えに燃え上がることとなります。今風に言うのならば「大漁」というやつです。
6月号の「謎のゲームデザイナーCNT」さんに言うんじゃけど、だれが経験値をなくしたと思とん? それはRPGが好きなユーザーじゃろ? そのとき『ドラクエ』をみんなは買よおったけど、私は「レベルアップはたいぎー」(面倒だ)と思よった。そういう人の要望に答えて、ウルフチームさんとか、T&Eソフトさんとかは、経験値なしのゲームを作ってくれたんじゃんか! それを、自分だけの考えでRPGじゃないとか、このゲームはアクションだの、アドベンチャーだの言うのは失礼にあたる。私はそう思う!
もひとつ、言うんじゃけど、アイテム取ってレベルアップしたり、イベントとかを楽しんだりするシステムがいやじゃ! ゆーんなら、それはそれでええ。勝手にゆっとれ! けどよ、ちゃんと「ARPG」とか「RPG」とかいう名前を持って、店に並んで売られとるんじゃけえ、ちゃんと「ARPG」なら「ARPG」の、「RPG」なら「RPG」の要素を持っとるはずじゃろ? それが見ぬけんあんたこそゲームする資格はない!(90/8・宇都宮羅菜)
あなたは「コンピューターゲームは役割を演じないと始まらない」ので、「役割演技」(role playing)はコンピュータRPGの要素に当てはまらない、とおっしゃりたいように思います。ですが、本当にコンピュータゲームは「役割を演じないと始まらない」のでしょうか? 私はそうは考えません。
あなたは、テーブルトークRPG(あなたが言うところのボードゲーム)をやったことがありますか? テーブルトークでは人と人のコミュニケーションによってゲームが進行していきます。よって「役割演技」が気分をもり立てるために不可欠なのです。ところがコンピュータゲームの場合、「演技」を見てくれる人はいないのです。最近はストーリー性の高いゲームが増えてきて、キャラクターに感情移入してしまうことがあります。けれども、もしコンピュータの前で「演技」しながらゲームをする人がいるならば、それこそあなたの言う「現実と空想の区別が付かない人」なのではありませんか。あなたは「役割演技」と「感情移入」の意味を取り違えている(あるいはすり替えている)のです。
あなたは文中で「現実と空想の区別」「ふつうには体験できないことを体験できる」「体力が何十倍にもなるのは現実を無視したものではなく、ゲームを楽しむためのひとつの方法」というような言葉を使って、「ゲームはゲーム、現実は現実、混同するな」と暗に言っているように見えます。コンピュータRPGの定義について、「敵を倒して得られる経験値」にこだわるあなたの「ふつうにはできない体験」とはモンスターの大量殺りくのことなのでしょうか? 私にとってあなたの意見は「現実でやってはいけないことをゲームのなかでやっていることに対する言いわけ」としか感じられないのです。
現に、「戦闘なんてものはRPGの要素ではない」と書きながら、「敵を倒して得られる経験値」にこだわっているではありませんか。あなたも、あなたが批判したゲームと同じ穴におさまっているのです。
コンピュータRPGはやっかいなものです。たしかにゲームではありますが、それは一つの小さな世界でもあるのです。どうか、現実のうっぷん晴らしの場所にせず、異世界での冒険を楽しみましょうよ。……それは私たちの心の中へ広がっていくはずですから。(90/8・上江州彰久)
あなたのRPGについての定義はたしかに正しいけれど、だからといって『ルーンワース』や『アークス』がRPGではないというのはおかしい。なぜなら、2つとも基本的なゲームのシステムは、今あるほかのRPGとほとんど変わらないからです。詳しい説明は省きますが、「RPGの異端児」とはいえても、「RPGじゃない」とはいえません。
そして、「体力などが何十倍になるのは非現実的」ということ、これはだれでも思うあたりまえのことです。こんな意見の人の大半は、べつに批判し、けなそうとかいうわけではなく、ひとつのゲーム批評のつもりでしょうし、それはそれで楽しんでやっているでしょう。それに、「現実と理想の区別がつかない」のでなくて、キャラクターを自己同一化し、分身と思っているから、そんなことを気にするのではないでしょうか。つまり、本当の意味のRPGをしている、ともとれると思います。それを文中であそこまでけなしたあなたのほうこそ、ゲームをする資格などありません。(90/9・中村大介)
『イースIII』や『エメドラ』をカスソフトだといい切れる人たちのことを考えると悲しくなる。
だいたい、あなたがたは、ソフトの悪いところしか目に入らないのですか? もしそうだとしたら、かわいそうな人たちですね。親の顔が見たいものです。第一、あなたがたがおっしゃるとおりカスソフトだったら、それをプレイする人など、いるわけがないでしょう。
また「カスソフトだ」といい切らないでください。あなた方は、偉いんですか? 自分ひとりの判断で、ものごとを決めつけないでください。困ります。(90/9・西牙八)
前作のタイトルを冠したゲーム、あるいは設定、見た目などが似たゲームは、それを相当意識して、どれだけそれを超えられるかというハンデがあることを忘れてはならない。そしてゲームには雰囲気というかにじみというか、言葉にしがたい「要素」があり当然「II」とか「III」とか同系のゲームはその「要素」にそぐわなかったため、起きている問題だと思います。
この場合、本当はないはずのハンデをしょい込み 「要素」を持っていたので、「なんだこりゃ?」みたいな誤解を生んでいるのでしょう。
これは、はっきりいってソフトハウスのミスです。CNTさんが悪いわけではありません。まして「満足しているやつはバカ」などということは、けっしてありません。なんてったってソフトハウスのミスなんですから。ユーザーは受け身なのが現状。議論の余地なんてないんですよ。ぐだぐだいっても始まらないって、みんな気がついているはずなのにね。本当に泥をかぶるべきはソフトハウス! 本当はそれを覚悟でやっているんだろうから。(90/10・MINCK)
反論の多くは論破することに終始し、また論点も錯綜してきて、実のある論争にはなりませんでした。論争が不毛なものになるに従って、再び論争そのものへの疑問の声が上がってきました。
ちなみにコーナーの担当者は「人それぞれと言うくらいなら論争などしない方がまし。読者のコーナーなので、いいたいことがあるならなんでもいいから受け付ける。」ということを基本方針としていました。
イイものはイイ。
(90/8・ミーちゃん)
”好き””キライ”は個人の自由だと思ってるんですが
私は大好きなので文句を聞くとカナシイ 「カス」はひどいですーあのまま討論つづけても、好きな人は好き、キライな人はキライで、絶対結論でないと思ったんです。
(90/9,90/11・やぐるま・しん)
イースIIIの討論会 退屈だぞ! 堂堂巡りだ!
イースIIIをやって、それが面白かったか否かは個人の感覚しだいなのですから、その人がやってみて面白いと思えばそれはその人にとっては面白いゲームだし、カスだと思えばカスなのです。大げさにいうと自分が思ったこと、それが真実なのです。だから人がどう思おうとそれはそれでいいのではないでしょうか。(91/1・July)
みなさんが、イースについてあれこれ言ってますが、るしはやぐるま・しん様同様に、結論はでないと思う。
それにね、あまりゲームを比べて、悪いトコ探したりするのってわるい気するし、ゲームなんて、それこそ「楽しんだ方の勝ち」でしょ?(91/2・露命るし)
このコーナー、毎月読んでいますが、今議論されているのは何についてなのでしょうか?
「RPGの定義」が主であったり、「『イースIII』はクソゲーかそうでないか」とか、いろいろありますが、CNT(あえて呼び捨て)の登場によって、無意味なものとなってきているのではないでしょうか? CNTのいっていることがすべて悪いとは思いません。しかし、あの初めから人をバカにしたような、自分だけが正しいというような態度には、許しがたいものがあります。皆さんが怒るのも無理ありません。
でも、それでCNTに反論しては、それこそ彼の思うつぼではないでしょうか? 今ごろは「あいつらまたバカなことを……」と笑っているのかもしれません。みなさんが『イースIII』や『エメドラ』がよい悪いといったところで、人にはそれぞれの好み、感性というものがあります。自分の気持ちには、なかなか伝わるものではありません。ゲームというのは、結局は自分ひとりが楽しめればいいのです。
「この楽しみをほかの人にも味わってもらいたい」と考えて、そのゲームを紹介するのは、大いに歓迎しますが、それにいちいち反論するのは、無意味になっています。
自分がつまらないと思っても、すぐ「クソゲー」というのではなく、自分とは感性が違っておもしろいと思う人もいるんだな、と考えなければならないでしょうか。現実のうっぷん晴らしでも、将来戦争を始めるような人でも、みなそれぞれにゲームを楽しんでいるのです。みんなで楽しむのはよいですけど、お互いにけなし合い、相手の好きなゲームを非難する。そんなこと、やめにはしませんか?(90/9・浮貝泰介)
私は、互いに中傷し合ったり、相手を論破したりすることからは、けっして結論は生まれないと思います。「結論など出るわけがない。書きたいことを書いて何が悪い」と思う方もいらっしゃるでしょう。そんな方々にあえていわせていただきますが、それではこのコーナーはなんのために利用するのですか。自分の不満を発散させるための自慰行為や、わざと激しい意見を書いて他人を扇動しようとする愉快犯的行為に利用するならば、ぜひともやめていただきたいと思います。もし本当に不満に思うことがあれば、、具体的かつ理知的にそれを書けばよいではありませんか。本音を述べるために、わざわざ卑俗な言葉を使う必要はないはずです。
かくいう私も、万人が納得する結論を得られるとは思っていません。それはもちろん、個々の人々が多種多様な感受性と意見を持っているからです。ただ私は、多くの人々が互いの意見を交換し合うことにより、それぞれのゲームへの感受性や意見を高めることになればそれでよいと思うのです。現在、パソコンゲームは、いまだ黎明期にあると思います。パソコンゲームが多くの人々が認めるひとつの文化となるには、まだ長い期間が必要でしょう。パソコンゲームの水準を高めるためにも、程度の低いののしり合いに終始せずに、もっと有意義で高い次元の議論をしようではありませんか。(90/11・小林真楠)
注・この投書は別コーナー「オピニオンプラザ」に掲載されたもの。
「RPGじゃない」、「いやRPGだ」という論争について、みなさんがずいぶん引きずられているようなので、ひと言。
経験値、戦闘、云々という以前に作り手側がRPGという名札をつけた以上それはRPGです。ジャンル分けなんてものはあやふやですから、人によってずいぶん変わってくるでしょう。でも、通称として用いられるのは、作った人の感覚によって分類されるのです。
私が思うに、「RPGじゃない」といって作品を批判したつもりになっている人々は、RPGに対してひとつの固定観念を持っているのではないでしょうか。しかしながら、本当の、というか本来のRPGの源を探るならば、最初にRPGと呼ばれた『D&D』にさかのぼらなければなりません。それをせずに、真のRPGを自分の気に入ったゲームに定義し、批判を繰り広げるのは無意味です。そして、たとえ『D&D』までさかのぼったとしても、今のパソコンRPGと呼ばれる作品を、RPGとそうでないものに分けるのは不可能です。テーブルトークRPGとパソコンRPGは大きく異なるものですから。つまり、RPGの条件を設けて、このゲームはRPG、このゲームはRPGじゃない、というのはたんなるひとりよがりにすぎないのです。
そして、経験値を排除したゲームなどを、「RPGじゃない」といって批判しているつもりの人、さらに批判されたつもりの人へ。べつにRPGじゃなくてもいいじゃないですか。おもしろければ。ユーザーに「こいつはRPGだ」って認められることになんの価値があるというのです。
システムや内容に不満があるならそれはけっこう。しかしそれ以前のジャンルなどというくだらない(あえていい切る)問題で、多くの人が一生懸命作ったソフトをけなすような馬鹿なまねはやめてもらいたい。(90/12・杉平蒼平)
「好みは人それぞれだからとやかく言われる筋合いはない」「今やジャンル分け自体が無意味」という意見がぽつぽつと現れ、こうして尻すぼみになる形でRPGの定義を巡る論争は収束したのでした。
CRPGに限らず当時日本のパソコンゲーム界は、和製「御三家」ハードの衰退やPCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンといった高性能ゲーム機の躍進、海外製PCゲームの台頭、ソフトウェアのコピー問題などを目前に、先細りが予感されていました。その危機感はCRPG(より厳密にはパソコン用RPG)についても同じだったようで、89年頃のパソコンゲーム雑誌には、その未来を案ずる記事が目立ちます。CRPGとは何か。その将来はどうあるべきか。ユーザーも制作者もそれを様々に模索し、方々で議論を繰り返していました。しかし一方「イース」の影響か、当時市場はストーリー・世界観重視の作品であふれており、これを憂慮する声も上がっていたのです。
RPG論争とは、この状況を打破するようなCRPGを待ち望むCRPGファンの声の現れだったのかもしれません。
RPG論争と平行して「イースIII」の批評も掲載されましたが、内容は「イースIII」の問題点を指摘するものよりも、なぜ酷評されるかを探るものが目立ってきました。
『イースIII』をメチャクチャにいってる人がけっこーいますね。そこで私、思ったんですけど、もしイースIIIが『イースIII』という題名でなく、(『ワンダラーズ・フロム・イース』でもなく)ただの『イース』とはつながりのないアクションゲームだとしたら? また、もしファルコムさんが出したゲームでなく、他社が出してたゲームだとしたら? どーでしょうか。みなさん絶賛して、『II』も出してほしいとかいわれるゲームになるような気もします。……これに反論があるとしたら、「ファルコムはもっといいソフトが作れるはず。『イースIII』は期待はずれだった」……ってとこでしょうか。
(90/11・文里)
僕も『イースIII』のことは悪くいったりもしますが、できはけっして悪くないと思う。ストーリーの見せ方は『イース』『イースII』にはないほど、よかったんじゃないかな。だけど『イースIII』はキャラクターの面で全2作に劣っていたような気がする。RPGにおいてはシナリオとキャラがほとんどすべてなので、キャラが劣ると、ゲームでも大きく劣っているように見られやすい。『イース』シリーズの場合、『I』『II』のキャラがよすぎたせいもあるだろう。要するに、僕は『イースIII』がカスだとかいわれるのは、女性キャラ(ヒロイン)の差、だと思うワケ。
それに加えて情報が発表されてから半年以上も間をおいて発売されたから、ファンの期待がかなり大きくなっていた、ということもある。このように「間が悪い」というのが、最大の理由じゃないのかな。(90/12・淡自飲料韓玄)
『イースIII』を評価するうえでいちばんの難点は『イースI・II』の続編(正確には違いますが)であるということだと思います。そのために辛口の評価が多いわけですが、『イース』という物語にあっているかどうかはともかく やはり前作を引きずらずに評価するべきだと思います。『III』は『I・II』のPart2ではないのですから……。
また『イース』に関連してですが、『III』を非難している人たち。その人たちこそ『III』に期待をかけていたのではないでしょうか。『イース』が好きだからこそ『III』はつまらない」と批判したのではないでしょうか。つまり「『イース』のおもしろさはこんなものではない。もっとおもしろくなるはずだ」と思ったからこそ、あえて「カスソフトだ」などといったのだと思います。私はこれをたんなる非難の言葉と受け取りたくはありません。次にゲームへの「期待」の言葉だと私は信じています。(91/1・広前明俊)
この『イースIII』を作ったファルコムはどう考えているのでしょうか。『イース』の一字もストーリーに出ない、『イースIII』。ファルコムが「本当におもしろいゲームだ」と考えるなら、『イース』のマニュアルにあるように、「アドルの冒険」でもよかったハズです。それをあえて『イースIII』として、ユーザーの期待をあおったファルコムが悪いのです。つまり『イースIII』はファルコムの宣伝の失敗で、正当な評価を受けることのできない悲運のゲームなのです。
(91/3・グラヴィティ)
このゲームが『イースIII』という通称で呼ばれてしまう原因は、このゲームの正式名称『ワンダラーズ・フロム・イース』が長すぎるからではないでしょうか? しかもその長いタイトルのなかに、『イース』という名前が入っているという事実こそが、万人にこのゲームを『イースIII』と呼ばせているのだと思います。
それと、『イース』というストーリーが一度完結した以上、このゲームを『イース』シリーズのひとつとするのは変だと思います。日本ファルコムも、ストーリーの差別化を図るためにも次回作からはこのシリーズを『イース』シリーズとするのはやめた方がいいと思います。
結局このゲームはタイトルで失敗したのを手始めとして、あらゆる面で『イース』という作品の多くを引きずってしまったため、失敗したのではないでしょうか。多くの人たちはこのゲームの続編を望んでいるようですが、自分はそのゲームが『イースIV』と呼ばれるようにならないことを祈りたいと思います。(91/10・ギルガメス)
発売から2年が経つと、「イースIII」への反響も少なくなってきます。この頃には「イースIII」は「イース」の続編だったがゆえに酷評されたのだ、という意見に落ち着いていました。「イース」の名前ゆえに別のゲームとして割り切ることができなかったのではないか、と。
当時を知る制作者らの証言によれば、「失われし古代王国」とも異なるゲームとして企画されたが「イース」シリーズの三作目となってしまったのが「イースIII」という作品のようです。その途中には開発中断の危機などあったわけですが、当時のファンの多くはそんなことを知る由もありませんでした。絶頂期のはずの日本ファルコムから送り出された期待の新作「イースIII」の変貌ぶりに大いに戸惑ったイースファンは、その理由をめいめいに探り、理解しようとしていたのかもしれません。
ところで電波新聞社の「マイコンBASICマガジン」でも、同じ頃に読者によるゲーム批評コーナーが始まっています。こちらの方は主宰山下章さんを中心に、建設的な意見のやりとりが見られます。まだパソコン通信が一般的でなかった頃、読者投稿コーナーは貴重な意見交換とファン同士の交流の場所でした。現在その役目はインターネットが担っているのですが、それと同じようなことが「ああ…すばらしきパソコンゲーム!!」では繰り広げられていました。思えばゲーム評論というものが盛んになってきたのは、この頃からだったような気がします。