フィールドマップ ゼピック村
PCE版はオリジナルの「イースII」というよりはむしろPCE版「イースI・II」を改良したゲームシステムです。
キャラクターをバストアップで表示するようになったのはPCE版「イースI・II」が最初で、大好評を博しました。もちろんPCE版「イースIV」にも継承されています。これは後にサターン版「イース」シリーズや「イースエターナル」シリーズにも引き継がれています。
PCE版の魔法はIIの改良型となっています。II同様、魔法の杖を装備すれば発動できます。イースの魔法とセルセタの魔法は太陽の仮面が源にあるため、種類も似たものになっています(攻撃魔法、探索魔法、移動魔法、変身魔法、停止魔法、防御魔法)。
IIで使い勝手の悪かった停止魔法は敵を足止めできる攻撃兼用の魔法に変えられています。変身魔法には水面を移動できる機能が追加されています。また、攻撃魔法は溜め撃ちが可能となりました。使用制限なしのマジックポイント回復アイテムが早々に手に入ることもあり、単純に使い勝手だけを見ればIIよりも良くなっていますし、上手に使えば格段に戦闘が楽になります。
溜めファイヤー発動中
ところで「イースII」において、魔法には魔を倒すためにあえて魔の力「魔法」を利用するという重いジレンマがありました。それが物語のテーマの一つでもあったのですが、「イースIV」の魔法にはセルセタとイースの近縁関係を示す証拠程度の意義しかなく「イースII」上辺の焼き直しにとどまっています。
ついでに、第7魔法「エル・ドラン」というのもありますが、これはレアがクレリアの剣にイースを結集した力を与えるようなものなので、システムに入れてません。
第7魔法エル・ドラン | パーティバトル中 |
PCE版の新要素にパーティバトルがあります。局面に応じてカーナやドギといったNPCが同行し戦ってくれます。NPCは近づく敵を自動でなぎ倒してくれる上、無敵なのでダメージを喰らいません。
一見便利そうなこのパーティバトルですが、実際のところ、NPCが敵を倒しても経験値や所持金は増えないし、任意に連れ歩くこともできないため、実用性は皆無です。戦闘を楽にするためというよりも、イベントや演出としての意味合いが強いです。
地味なところでは、PCE版「イースIV」では8方向移動が可能になりました。8方向移動・キャラクターバストアップ表示・魔法溜め撃ち・パーティバトルといった要素は「イースエターナル」シリーズにも見受けられます。「エターナル」の制作者が参考にしたかは判りませんが、その基礎が5年前にPCE版「イースIV」で出そろっていた事実は興味深く思われます。
嘆きの渓谷で待ち受けるガディス
さすがにハドソンが作っただけあって、PCE版のゲーム部分は非常にしっかりしています。操作性でストレスを感じることはありません。
ゲームバランスは非常にいいです。理不尽な謎も特にありません。ボスキャラ戦はみっちりレベルを上げれば多少楽にはなりますが、極端に簡単になるということはありません。攻略する楽しさは存分に味わえます。
残念なのは終盤まで経験値稼ぎが必要になることです。「イースII」まであったイベント達成による経験値上昇もなくなっています。特にPCE版はレベルが50まであるため経験値稼ぎが一仕事でして、果てしなくザコ敵相手に稼ぎを繰り返すこととなります。稼ぎはSFC版でも必要なのですが、PCE版より多少上がりやすくなっています。
グラフィックや演出はPCE版「イースI・II」を踏襲しているだけあってかなり力が入っています。登場人物のバストアップ表示は健在ですし、イベントではCD-ROMの大容量を生かしてキャラクターがしゃべります。マップのグラフィックも「エターナル」ほどではありませんが、「イースII」より細かく描き込まれています。このあたりはさすが一流ソフトハウスの仕事です。
ゲーム中の楽曲は内蔵音源とCD-DAの両方を使っていますが、どちらも力が入っています。特にCD-DAはアレンジがPCE版「イースI・II」で好評だった米光亮さんで、ミュージシャンも数原晋氏やジェイク=H=コンセプション氏といった、知る人ぞ知る大物が参加しています。
参加ミュージシャン
PCE版は大きく三部に分けられます。五忠臣の試練が中心の序盤、古代史の解明が進む中盤、太陽の仮面復活が軸になった終盤。クリアタイムはゆっくりあそんで20時間程度です。
ゲーム自体は試練やティム救出に代表されるような、小さな探索イベントの連続でできています。こうした作りである上、オートデモもこまめに入るので、ボリュームの割に中だるみを感じません。
PCE版のゲーム自体は手堅く作られており、出来のいい部類に入れて良いでしょう。単なる娯楽作品としてみれば、最高と言うほどでもありませんが、決して悪くはない作品です。時間を掛けて作られていることがわかります。しかし盛りだくさんにしたおかげで、キャラクターやストーリーの掘り下げが甘くなった感は否めません。
当時のPCエンジンでは、「天外魔境」シリーズや「コズミックファンタジー」シリーズに代表される、ヴィジュアルやCD-DAををふんだんに利用した、盛りだくさんで娯楽性の強いゲームがもてはやされていました。本作もその一つということになるようです。
ところで、「イースIV」はアドルの冒険日誌「セルセタの樹海」ということになっています。しかし両機種とも、ゲーム中樹海が現れるのは少しだけで、樹海の冒険という印象がありません。いっそSFC版のサブタイトル通り「太陽の仮面」という冒険日誌の話にでもしたほうがよかったかもしれません。
基本的に「イース」シリーズは「失われし古代王国」編で完結しています。「ワンダラーズ」以降の作品は「失われし古代王国」編の好評を受け、付け足し的に作られた性格が強いのですが、特に「IV」はその傾向が強いです。
「ワンダラーズ」が全く別の路線を目指し、ファンの賛否両論を巻き起こした結果を踏まえ、本作は「イースII」に回帰(むしろ逆行と言う方が的確)する形で作られたわけですが、その際、前作との関係を強調するために数々の後付設定が作られることとなりました。それが「有翼人文明」です。かつて世界には人間の他、翼を持った種族「有翼人」が存在し、高度な文明を築いていたというもので、イースの黒真珠やセルセタの太陽の仮面はその遺産であるというのが、設定の大筋です。
有翼人文明の設定は、本来、「IV」と「失われし古代王国」をつなぐためのものでしかなかったのですが、2003年に発売された「イースVI ナピシュテムの匣」で、世界各地の古代文明を生み出した大本として再設定されたことで、「イース」シリーズの世界観の根幹に位置づけられることになります。2005年に出た「ワンダラーズ」のリメイク作品「フェルガナの誓い」でも、最後の敵ガルバランが有翼人文明の遺産であることがほのめかされ、このように、シリーズの作品はなんらかの形で「有翼人文明」に関連づけられつつあります。
シリーズ最大の後付設定「有翼人文明」を作り出した「IV」は、ある意味、その後のシリーズの行く先を決めてしまいました。「V」以降のシリーズの歩みは、数々の問題をはらむ「IV」を、矛盾なくシリーズに取り込むための試行錯誤のようにも思われます。「IV」が発売後十年以上を経ていまなお問題視されるのは、シリーズに無視できない影響を及ぼし続けているからにほかなりません。
ちなみに「エルディーン」の名が出てくることから、現在の有翼人文明の設定は、PCエンジン版を基本にしているようです。
これまで長々と語っている割に、SFC版であれPCE版であれ、荒井は「イースIV」を評価していません。ファンの間で物議を醸したストーリーも大きな理由ではあります。しかし、最大の理由はこれに尽きます。実は「イースIV」は新しいことを何一つやっていないのです。
「失われし古代王国」は、過去の文明に引導を渡し、その呪縛から人々が歩み出そうとするさまを描いた話でした。それでは「イースIV」の場合はどうでしょうか。恐るべき力を秘めた古代の遺産。それを狙う敵と阻止すべく動き出す人々。人々を導くのはかつて遺産を封じた大いなる存在。最終的には人々が敵を打ち倒し勝利を収め、大いなる存在は過去の遺物とともに再び眠りに就く。過去の呪縛から放たれた人々は、未来に向けて自らの足で歩み出す。この構図は前作と全く一緒です。
ここに端的に示されるとおり「イースIV」は前作のマイナーチェンジにとどまっており、新しいことはほとんどやっていません。テーマ、物語、登場人物、音楽、イベントや謎解き、ゲームシステムでさえ、そのモチーフは全て「失われし古代王国」に出たものばかりです。「イースIV」はゲームとしてもイースとしても焼き直しの域を出ていないのです。
「イースIV」と同じ頃に発売された作品に「ガイア幻想紀」があります。この作品はオリジナル版「イース」を手がけたスタッフが作っておりまして、ARPG珠玉の一品としていまだ評価の高い作品であります。軽快かつ爽快なゲームシステム、素晴らしいストーリーとシナリオ、そして何より優れたゲーム性を備えたこの作品は、「イース」タイプのARPGの進化型を示すものでした。
ガイア幻想紀オープニング | 画面写真 |
対する「イースIV」は、いかに改良型とはいえ、所詮進化型ではありません。「イース」のトレードマークとも言われる見下ろし視点の体当たり戦闘は87年当時のパソコンだからこそ意味があったものです。だから出来のいいPCE版であれ出来の悪いSFC版であれ、遊んだ感じはどちらも非常に古くさいものです。当時はファミコンでさえ、もっと洗練されたゲームがあった時代です。「イース」シリーズの歩みは完全に停滞していました。それではなぜこのようになってしまったのでしょうか?
元々「イース」は革命的な作品でした。80年代中盤、「優しさ」を最大の売りにして登場した第一作「イース」は、難易度の高さがゲームの面白さと混同されていた当時の風潮に一石を投じ、ユーザーに熱狂を持って迎えられました。その評価は続編「イースII」で不動のものとなり、ゲーム業界に大きな影響を与えます。しかしシリーズは登場人物や楽曲など、ゲーム性以外の部分でも評判が高かったため、そちらの方だけでも人気がとれるようになってしまいました。シリーズのヒット以来、日本ファルコムはキャラクターグッズや音楽CDを濫発しました。従来と全く異なるゲームになった三作目「ワンダラーズ・フロム・イース」は賛否両論です。そしてファンは「イースII」への回帰を求めたのです。ここにシリーズは「ゲームとしても面白い物語重視の新機軸ARPG」から「人気キャラクターによる物語を楽しむキャラゲー」に変質し、肝心のゲーム性の進化がお座なりになっていたのです。
キャラクター路線に走りだした頃の日本ファルコム広告
こうして世に出た「イースIV」ですが、皮肉なことに「ワンダラーズ」とは別の形で評価が割れる結果となりました。いいと言う人もいましたが、名作に泥を塗ったと憤るファンも数多く現れたのです。ユーザーの要望に応じてファンサービスに走った「イースIV」は前作ほどの衝撃を与えることもなく、リリース以降シリーズの勢いは失速してしまいました。魅力のなくなったシリーズは、ネームバリューの衰退と共に斜陽を迎えます。
さて、あの時騒いでいた制作者とファンは、どんな「イース」を求めていたのでしょう? 本当に「イース」が好きだったのでしょうか? この問いをもって「イースIV」の紹介を終わることとします。