鉱山跡から鞍部までは距離こそ短いが、急勾配の急カーブが続いている。昔はその上ガレた未舗装路だったが、現在はここも簡易舗装されている。
鞍部に到着。ここが福舟峠で、尾花沢市と舟形町の境界である他、最上郡との郡界になっている。山奥だが町名を記した標識がしっかり建っている。
名前は峠が尾花沢北部にあった「福原村」と、舟形町を結ぶことに由来している。「福舟」とは景気のいい名前だが、その名とは裏腹に、鞍部は浮かれることもなく静かである。残念ながらあたりは林になっているため、展望は開けない。
福舟鉱山で採掘された銅鉱石は、この鞍部を通って舟形側の峠口、長沢まで運ばれ、そこからさらに鉄道で積み出されていった。夏場は牛車や馬車、冬は橇が使われた。
鞍部の傍らには、峠の番人のように松が一本生えている。松はどんな思いで峠の歴史を眺めているだろう?
鞍部からは急な下りが続く。
下るうち沼が現れた。静かで釣りをするにはちょうどよさそうだ。
沼の周辺は勾配のない道が続くが、離合するのも難しいほど道幅が狭い上、ガードレールもないため、十分注意が必要だ。
立派な切り通しにさしかかった。舟形町側は全体的に尾花沢側より路面状態がよく、路面も以前から舗装されていた。鉱石を運ぶ都合か、尾花沢側よりも整備は早かったようだ。この切り通しも、鉱石を運ぶために作られたものだろう。
地形図に現在の道筋が登場するのは、昭和39年(1964年)改測・同46年(1971年)資料修正の版からである。鉱山が操業していた時期と重なるので、福舟峠が鉱山への道として作られたことがここから伺える。ついでにその版によれば、当時この切り通しはトンネルだった。おそらくは後年トンネル上部を切り崩し、切り通しに仕立てたのだと思われる。
かつては「分岐その2」地点からおそみや川を渡り、そこから直線的に長沢に向かう道もあったが、時と共に廃れてしまった。
切り通しを抜けてからは、谷筋に沿って下っていく。道にはあまり手も入っていないのか、舗装を割って真ん中から草が生えていた。
だいぶ下ると別の道との合流地点に出る。尾花沢側から下ってくる場合、ここは道なりに直進するのが正解だ。合流している道は林道長沢山線。
林道の看板こそあるが、長沢側から登ってくる場合、ここでどっちに進めばいいのかが判りづらい。画像は同じ場所を長沢側から見たところ。林道は右側で、左の車が止まっている方が県道だ。
さらに下っていくと、杉の合間から集落が見えてくる。舟形町の峠口、長沢地区だ。鉱山には長沢に住んでいた人々も多く採掘に従事していたので、峠はそうした人々が往来する道にもなっていた。
道は民家の合間を縫い、県道56号主要地方道新庄舟形線に出る。
ここが舟形側の峠口。民家の合間の生活道路にしか見えない。というかそのまんま生活道路で、この道が山奥につながっていることが信じがたい。
華やかさもなく、今となっては道行く者も少ないが、山奥の峠には、かつて採鉱で栄えていた歴史が静かに埋もれていた。
(2006年5月/6月取材・6月記)
場所:尾花沢市南沢と最上郡舟形町長沢の間。郡界。県道318号新庄長沢尾花沢線。標高約290m。
所要時間:
南沢から長沢まで自動車で約30分。距離にして7.3km。
特記事項:
重量制限あり。総重量4tを越える車は通行不可。冬季通行止めあり。毎年12月上旬から4月下旬頃まで。全体的に幅員が狭く、路肩にガードレールがない箇所が多い。民家もないまるきりの林道なので、無謀な走行はさけること。だいぶ奥まで田んぼや畑があるため、季節には地元の農家の方が多く通行する。鉱山跡には鉱毒処理の作業員が詰めていることもあるので、通行の際は邪魔にならないよう気を付けること。
「福原むかしの話」 福原ふるさと歴史保存会 2004年
「無言の野の語部たち 山形の石碑石仏」 安孫子好重 日本文化社 1992年
「目で見る新庄・最上・尾花沢の100年」 大友義助監修 郷土出版社 1995年
「山形県鉱山誌」 山形県商工労働部商工課 1977年