鞍部クレー射撃場

山形県猟友会射撃センター

 新庄側の道はほぼ廃道化しているようだが、一方で舟形側の古道は、亀割山登山道長尾コースの一部として、今でもそれなりに通れるようになっている。今度はこちらを紹介しよう。なお、舟形側は2008年春先の状況だ。
 通れるのは鞍部付近から舟形町東長沢に至る区間である。鞍部までは国道47号線から水上林道が通じているので、これを利用する。鞍部付近には地元猟友会のクレー射撃場があるので、これを目印にしよう。

水上林道入口

 こちらが水上林道の入口(左側)。長尾トンネルの西側手前あたりにある。


鞍部付近の廃道の様子

射撃センター付近の廃道 灌木だらけの廃道から射撃場方面を見るの図

 クレー射撃場付近にも、新庄側の古道が少し残っている。ついでにこちらの様子もご紹介。道の形こそ残っているが灌木が激しく生い茂り、通るのは難しい。しかも射撃場から飛んできたらしいクレーのかけらがあちこちに散乱し、不用意に通るのは危ないという状態だった。行けるところまで行ってみたが、少し進んだところで道は薮の中に消えてしまっていた。


ここから下ります

ここから下ります

 廃道の様子を見たところで、いよいよ舟形側の古道を歩くことにしよう。クレー射撃場そばの林道から、いかにも入口といった雰囲気の道が南に向かって分岐している。ここが舟形側への入口となる。
 昭和10年代まではこのあたりに茶屋が2軒あったと伝わるが、現在それらしいものは残っていない。

 小国郷と新庄を結ぶ陸路は、大きく二つあった。ひとつは亀割峠。もうひとつは北羽前街道こと「舟形廻り」。亀割峠は休場を発し亀割山を越え、新庄小国間を最短距離で結ぶが、その分急峻で通りづらい。舟形廻りは旧国道47号線、現在の主要地方道新庄舟形線(県道56号線)で、舟形町から小国川に沿って最上町瀬見に至る。亀割峠よりも通りやすいが、舟形を経由する分遠回りとなる。
 江戸時代が始まって小国郷が新庄戸沢藩の支配下に入ると、俄然新庄との関係が強まることになった。それに従って新庄との往来が増えたのだが、小国郷と新庄の間には、交通の便の悪い道しかなかった。 そこで盛んに利用されるようになったのが、この新庄峠だと考えられている。


前半の様子

まずは明るい道が現れます 広葉樹の林を行く

 峠口からしばらくは、広葉樹の林の中を進む。雪解け直後の時期で木がまだ葉を落としていたからか、峠道はさんさんと降り注ぐ日で明るかった。幅もそれなりに広く、路面も良好、勾配も緩やかで非常に歩きやすい。

残雪出現

 春先に行ってきたので、まだ雪が残っているところもあった。とはいえ道筋は判りやすく、このあたりで迷う心配は少ない。

路面に残る轍

 地面に残る轍の跡。このあたりまで車で出入りした人がいるらしい。
 最上町の入口にある瀬見温泉は戸沢藩の「御成湯」、つまり藩主の湯治場となっていたが、正徳4年(1714年)、二代目戸沢藩主正誠公がこの道を通って温泉に通っていたというので、その頃にはすでにそれなりに整備されていたようだ。新庄峠は歴代の藩主が瀬見に通う道だったので、「瀬見街道」「御成道」とも呼ばれていた。
 新庄から仙台に至る道でもあったため、戸沢藩士が用向きのため、この道を利用することも多かったという。他にも小国郷に最上川舟運の物資をもたらす道でもあり、小国郷の年貢米を新庄に運ぶ道でもあった。


偽分岐

偽分岐その1

 道なりに進んでいると、やがて丁字路っぽい分岐点が現れる。ここは地形図上では長尾トンネル北、368m・355mピークの間の鞍部にあたる。西の方にも何となく道跡らしいものが伸びているが、そちらに進むとあさっての方に行ってしまう。ここでは東の方(画像では左)に進もう。

峠道から長沢を見る

 木々が葉を落とした時期だと、ここを過ぎたあたりで、梢の合間からふもとの長沢を遠望できる。

杉林

杉林が見えてくる

 前方に杉林が見えてきた。後半は薄暗い杉林の合間を下っていく。


ここも分岐だ

偽分岐第2弾

 杉林の中をずんずん進んでいくと、こんな場所が現れる。一見それと分かりづらいが、実はここも分岐だったりする。地形図では278mピークの西方にあたるが、ここも地形図には載っていないので要注意。ここでは南の方(画像でいうと右)に進もう。

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