ひたすら下る

杉林の間を進む 後半はうってかわって暗い道

 二つ目の分岐を過ぎてしまえば、後は道なりに杉林をだらだら下っていくだけである。前半に明るい道が続いたせいか、後半はやたら鬱々とした暗さが印象に残る。


竹林

あんまり手入れされてない竹林

 黙々と杉林を下った先で小さな竹林と遭遇。ここまで来れば出口はもうすぐ。


国道に近づく

峠道脇の土手から見るバイパスと東長沢

 竹林のあたりで、南側の土手に登ってみた。土手の上からは眼下すぐに国道47号線の亀割バイパスが、前方には東長沢の田園地帯が見えた。このへんまで来ると、国道を通る車の音も間近に聞こえる。

フキノトウ咲き乱れる

 このへんの峠道はこんな感じ。咲き乱れるフキノトウが春の訪れを感じさせた。


ここが出口です

ここが出口・亀割バイパス合流点 反対側から見た出口

 道の果ては亀割バイパスにつながっている。長尾トンネルより南東に約570mあたりに出る。登山道はここまでだが、新庄峠の道はさらにここから小国川の右岸伝いに、瀬見の亀割子安観音堂付近まで続いていたという。

JR陸羽東線東長沢駅に停車するキハ112

 新庄峠も、近代になってから衰退した道である。その理由はおなじみ三島通庸による新道建設だ。ここ小国郷でも明治10年(1877年)、舟形廻りが「最上小国新道」として改修され、以後はもっぱらこちらが利用されるようになった。さらに大正6年(1917年)には小国川の峡谷に陸羽東線が開通し、衰退に拍車をかけた。
 新庄峠も一応人力車が往来し、昭和10年頃までは茶屋などもあったそうだから、それなりに利用はされていたようだが、時代の趨勢には勝てなかったようだ。輸送の主役が人力・牛馬から列車・自動車に変わるにつれ、主要道も最上小国新道や陸羽東線へと取って代わられ、やがて新庄峠は薮に埋もれることになってしまったわけである。


長尾トンネル

長尾トンネル

 亀割バイパスは長尾トンネルで峠を越している。長さ1013mで、昭和62年(1987年)に完成している。

 近代になると、舟形廻りが新庄と最上を結ぶ主要道となった。昭和37年(1957年)、舟形廻りは国道47号線の指定を受けているのだが、自動車交通の増大につれ、幅員の狭さ、カーブ、混雑等々、様々な問題点が現れてきた。
 国道47号線は宮城県仙台市を起点に、県境を越え新庄を経由して酒田に至る奥羽横断国道である。舟形廻りを通る都合上、従来の道には新庄舟形間に国道13号線との重複区間があり、新庄最上間を往来する場合、どうしても舟形で国道13号線に乗り換える必要があった。その分遠回りになるのはもちろん、重複区間が混雑した。いわば国道47号線は舟形廻りの弱点も受け継いでいた。
 そこで新道として亀割バイパスが建設されることになり、その路線として白羽の矢が立てられたのが、かつての新庄峠だったのである。

東部広域農道陸橋から見る亀割バイパス

 この界隈に新庄と最上町を直結する新道を建設するという発想自体は、それなりに昔からあったが、昭和49年(1974年)にバイパスが事業化、同52年(1977年)より建設が始まっている。地質の悪さ等で工事は難航したが、昭和62年(1987年)にはバイパスの要となる長尾トンネルが完成し、事業開始から実に18年が経った平成4年(1992年)、ついに全線開通を見た。これにより新庄市から直接的に最上町に乗り入れることが可能となり、往来の所要時間は、舟形廻りを利用した場合の21分から11分へと、大幅に短縮されることになった。
 亀割バイパスは新庄市鳥越より発し、長尾を経由して、舟形町松原で国道47号線に合流している。このルートはかつての新庄峠の新道とも言えるもので、その期待された役割や性格は、まさに新庄峠と同じものだ。名前こそ「亀割」を名乗っているが、亀割バイパスこそ、現代の新庄峠なのである。


念仏の松

念仏の松

 亀割バイパス合流地点から800メートルほど下ったところに念仏の松がある。松は樹齢500年で、そばからは眼下に東長沢の田園地帯が一望できる。松の名は三山詣での行者がここまで来た際、新庄峠の登りを前に、出羽三山方面に向かって念仏を唱えたことに由来している。ここから見えるのは葉山であって、厳密には月山ではないのだが、行者らはこれからの往く方に思いを馳せ、ここで手を合わせたのだろう。峠を越えた行者らは、本合海から舟で最上川を下り、古口から角川を経て出羽三山に向かったのだという。
 幕末の嘉永3年(1850年)には瀬見の佐藤重大夫が、この道の大改修にあたっている。新庄峠は参勤交代路となることはなかったが、出羽と陸奥の連絡路として、重要な位置にあったのだ。
 念仏の松は古くは瀬見街道のそばにあり、道行く人々を見守っていた。それが幕末の改修で道筋が変わって以来、久しく街道から離れることとなった。そして時が経ち、奇しくも街道はバイパスとして再び、この松のそばに戻ってきたわけである。

 古い道は廃れて久しいが、その役目を受け継いだ道はかつての道と同じく、新庄最上間、ひいては日本海と太平洋を結ぶ主要道として、毎日のように多くの自動車が行き交っている。

(2008年4月/11年10月/12年5月取材・2011年10月記/12年6月改訂)


案内

場所:
 新庄市鳥越と最上郡舟形町長沢の間。亀割山南西。標高約315m。

地理:

新庄峠概略図 1・旧・峠口,
2・現在の新庄側峠口,
3・町境切り通し,
4・沢出会い,
5・整地区間,
6・コゴミ谷,
7・大崩落地点,
8・三角点標柱,
9・崩落地点,
10・クレー射撃場および鞍部峠口,
11・広葉樹林地帯,
12・丁字路,
13・長沢展望地,
14・偽分岐,
15・杉林地帯,
16・長沢側峠口,
17・念仏の松

所要時間:
 山形県猟友会射撃センターより長沢側峠口まで徒歩約45分。

特記事項:
 休場から鞍部までの区間は廃道と化している。特にクレー射撃場近辺は廃道化が著しい。後半部分に当たる亀割山登山道長尾コース区間は比較的踏破しやすい。ただし長尾コースはマイナーな道であるため、整備はあまりされていない。標識等もないので、偽分岐には十分気をつけること。冬場は当然雪に埋もれている。1/25000地形図「舟形」「月楯」。同1/50000「新庄」。

参考文献:

「最上地域史 第27号」 最上地域史研究会 2005年

「山形県歴史の道調査報告書 最上小国街道」 山形県教育委員会 1982年

「山形の国道をゆく みちづくりと沿道の歴史をたずねて」 野村和正 東北建設協会 1989年

参考サイト:

国土交通省東北地方整備局山形河川国道事務所新庄国道維持出張所
URI:http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/syucho/shiniji/index.html

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