さくらんぼ東根駅とさくらんぼ畑の光景。果樹園の多さを思い知る。
一般国道287号線は、山形県西村山地方と西置賜地方を経由し、東根市蟹沢と米沢市を結ぶ国道である。厳密には米沢が起点で東根は終点だ。総延長は約83キロメートル、西村山と西置賜を結ぶ主要連絡路となっている。古くは米沢と西置賜を結んだ街道で、おおむね最上川に沿う。そのため沿線には最上川舟運と縁のある町が多い。
午前10時19分。国道13号線蟹沢交差点到着。くもり空。車ならさくらんぼ東根駅からここまで5分とかからないが、足だと20分かかった。いつもは車で走っているところを歩いてみようというのだから、どんな旅になるかわからない。ここから先は見慣れた道の未知なる世界が待っている。記念すべきスタート地点を写真に収める。あとは米沢まで、ひたすら歩くのみである。
今回の旅は「バックパッキング」である。ザックにテントや寝袋などを詰めこんで、野宿しながら、歩いて国道287号線全線踏破を目指すというものだ。東根がスタートで、ゴールは米沢。その間83キロ。自動車なら2時間ほどで走破できる距離だが、足なら4,5日かかるだろう。一日の移動距離は20〜30キロほど。疲れたら休む。その日どこまで歩くかは歩きながらおおざっぱに決め、どこにテントを張るかはその場で探す。日の出とともに起き、暗くなったら寝る。明るいうちが歩ける時間だ。
車なら一瞬で過ぎ去ってしまう場所でも、足では非常に時間がかかる。その分いろんなものが目に入り、気づかなかったことが見えてくる。この道をこんなにのんびりと進むのは、もちろん初めてだ。
空気は車の排気ガスで、ちょっと濁っている。このあたりの区間は、山形空港そばの工業地帯だ。河北町や寒河江との通路でもあるため、通りが多い。3桁台とはいえ、さすがは一般国道だ。
そして思った以上に、さくらんぼ畑が多かった。東根が県下屈指のさくらんぼ産地であることは、山形県民なら誰でも知っている。「さくらんぼ東根駅」の由来だ。もちろんそれは荒井も知っていて、何度も目にはしていたはずなのだが、駅の近くから、切れ間なくさくらんぼ畑が続いているのを目の当たりにすると、こんなにさくらんぼ畑があったのか、と新発見のように思い知らされる。なっている実はまだ青い。赤くなる頃には、日本のどこにいるだろう。
あるさくらんぼ畑に、かかしがわり、マネキンが立っていた。妙にリアルでブキミで目を惹かれ、カメラを取り出す。気になるものがあれば、即座に立ち止まって観察し放題。車だったらこうはいかない。
そのブキミなかかし。近づくともっとコワい。
空港裏で直角に曲がる。西に向かってひた進み、やがて谷地橋で最上川を渡る。渡った先が、河北町の中心部谷地だ。沿線にはガソリンスタンドや商店、広い駐車場付きの食堂、道の駅や大きな病院などが並び、国道でも一番賑やかな区間である。古くは最上川舟運の一大拠点で、紅花取引で大いに栄えたと聞く。
ちょうど昼時になっていた。近場のラーメン屋「ぬーぼう」で、油そばの昼食にする。油そばはこの店の看板メニューだ。2杯目を半額でおかわりできるあざとさが気に入って、勤め人だった頃から、何度か食いに来ている。席についてできあがるのを待っていると、店員のおばちゃんに、山登りですかと尋ねられた。かたわらのザックに目がとまったらしい。これから歩いて米沢まで行くんですよと答えたら、驚いた様子で励ましてくれた。「自分との戦いですね。がんばって!」
油そば2杯をそつなく平らげた後、町の真ん中にある公園で、水をもらうことにした。公園なら水飲み場ぐらいあるだろうと探してみたが、これがなかなか見つからない。休憩所の給湯室まで入って、ようやく蛇口が見つかった。
実はここに来るまでに、水を補給できないかと、小見川と道の駅に寄っていた。しかしどちらも水が飲める場所がなく、空振りに終わっていた。小見川は日本百名水にも選ばれた、清水の里であるにもかかわらず。
飲み水の補給は、わりと切実な問題となった。水は歩き旅の必需品である。にもかかわらず、一度外に出てしまえば、水が汲める場所は限られてくる。国道沿線でさえ、どこにでも蛇口があるわけではない。だいたいは公園か、公共施設の軒先にある水道から、水を拝借することになった。
名水小見川の里大富。名水で魚が養殖されているが、飲む水はなかった。
谷地のはずれ、国道347号線との交差点にさしかかると、信号待ちの車がクラクションで合図を送ってきた。どうやら荒井に用事があるらしい。車を見るとかつての取引先の社用車で、窓が開くと話しかけてきたのは、前職でお世話になった営業のYさんだった。仕入れの冷凍たこ焼きやらカキフライやら、毎日のように持ってきてくれたっけ。意外な再会に、大いに励まされる。
「久々だねぇ! ついに本格的に旅を始めたんだな。がんばって!」
二言三言あいさつを交わし、それぞれ別の方向に動きだす。かつては毎日のように会っていた面々も、もうあの職場で会うことはない。
遠のく社用車を見送り、つくづく噛みしめた。自分は本当に、旅人になってしまったんだ、と。
道はゆるやかに南西に向かい、寒河江に入る。さくらんぼ畑や大きな建物は減り、田んぼが目立ってくる。右手に横たわる丘陵は、村山盆地の果てである。
雲行きはあやしくなっていた。ぱらぱらと雨も落ちてくる。農機倉庫の軒先で雨具を取り出し、いつ本降りになってもいいよう備える。ところが着こんで立ちあがると、すぐに止んでしまった。思うようにはいかない。
ぼちぼち疲れてくる。足も痛くなってきた。何度か休憩したかったが、休むのにちょうどよさそうな、広場や軒先は見あたらなかった。民家の前では、住人の邪魔になる。路上なら車の邪魔だ。雨具はザックにしまうこともできず、着こんだまま。おかげで暑くて仕方がない。途中、コンビニでハイチュウ一個を買った以外は、休むこともままならず、ただただ、歩かざるを得なかった。
ようやくゆっくり休めたのは、寒河江川にかかる慈恩寺大橋のたもとだった。護岸のコンクリートに座り、靴を脱いでみると、足裏にマメができていた。
国道112号線を横切り、大江町に向かう。疲れは増し、足は痛む。ちょくちょく休み、黙々歩く。いつの間にやら、山形自動車道を越え、再び最上川を渡っていた。
柏稜橋たもとの日帰り温泉、テルメ柏稜で湯につかる。荒井以外はもっぱら地元の常連客らしい。脱衣所でも湯船でも、知り合いどうし話し声が絶えない。農作業を終え、一風呂浴びに来たのだろう。
柏稜橋で最上川を渡る。温泉に入ったらすぐテントを張るつもりでいたのだが。
さっぱりしてから表に出ると、あたりは薄暗くなっていた。野営地として目星を付けた、大山自然公園キャンプ場を目指す。手持ちのツーリングマップルで確認した限り、テルメ柏稜のすぐ近くなので、すぐ着くぞと安心しきっていたら、そうは卸さなかった。いざ案内標識を見れば、国道から3.5キロも離れているではないか! 白状すると、具体的な場所は調べてなかった。こういうもんだよなと観念し、重い足を引きずり、公園への道を登りだした。
登りは延々と続く。息を切らし、歩く。また汗だくになる。進めど進めど、なかなかキャンプ場は見えてこない。辺鄙な山道。本当にこの先にあるんだろうか。もしもに備え、テントが張れそうな場所に目を配る。
日はだんだんと暮れてくる。あたりは暗くなってくる。気まで滅入ってくる。それでも進まないことにはどこにも行けないし、どこにたどり着けもしないから、歩く。
かくて歩くこと1時間。なんとか大山自然公園に着いた。自販機を見つけるなり、ロング缶のオレンジジュースを買って飲み干した。
用を足そうとトイレに入った。ザックを背負ったまま入ったら、狭すぎて引っかかり、外付けしていたカメラポーチが外れ、カメラごと便器内に落っことしてしまった。あわてて拾いあげたが、めげそうな気分になった。
受付しようと管理棟に出向いてみたが、真っ暗で誰もいない。テントサイトの様子を見れば、鬱蒼と木が茂り、何やら出てきそうな気配だ。早々に退散し、誰もいないのをいいことに、さっきの自販機の脇にテントを張った。
食事をしようにも、食料はなかった。近くでパンなりカップ麺なり、仕入れるつもりだったのだが、思わしい店もなく、とうとう買いそびれてしまっていた。夕食はさっきのオレンジジュースだけ。歩く旅では、常に何か食べないと、バテて動けなくなるということは、知識として持っている。明日のことが心配だ。
時計を見れば、午後8時を回ったばかりだった。しかし、することもないから寝るしかない。痛んだ足を揉んでから、寝袋に潜りこむ。
漏れてきた自販機の明かりが、テントの中をぼんやり照らす。耳を澄ませば、遠くにカエルの鳴き声と、ときおりフクロウらしき声がした。