二日目〜試練

大山自然公園から望む山並み
大山自然公園からの光景。今日も旅が始まる。

 ここで装備の説明をしておく。荒井の旅のスタイルは、まるきりバックパッキングのそれである。テント、寝袋、エアマット、着替え、雨具、ヘッドライト、コッヘル、ガソリンストーブ、水筒、地図、筆記用具、カメラ等々。これら道具を登山用ザックに収納し、自分で担いで移動するというものだ。総重量は十数キロ。標準的なところである。
 このシステムの利点は応用範囲の広さにある。畢竟ザックさえあれば旅ができるので、移動手段を選ばない。ザックを担げば徒歩旅はもちろん、登山もできる。電車やバスを使うのも思いのままだ。バイクに乗れば、そのまま日本一周だってできてしまう。このような装備を組んだのは、旅のやり方を学ぶために読んだシェルパ斉藤さんの影響が大きい。旅道具の扱いに慣れることも、この旅の眼目の一つである。

 朝4時。明るくなるのと同時に目が覚める。疲れていたのに、昨日はなかなか寝付けなかった。ガソリンストーブで湯を沸かす。空きっ腹をごまかそうと、砂糖多めの紅茶を淹れ、昨日の残りのハイチュウを流し込む。ぽつぽつ雨が降っているが、ひどい降りにはならなそうだ。駐車場越しに、遠くの山並みが浮かんで見える。
 片付けをしながら待つうち、雨は止んだ。とっととパッキングを終わし、出発した。

犬のラブとメグ
ラブとメグ。この旅の忘れられない出会いの一つ。

和合警備所

 国道への道を引き返す途中、ふたつ変わった出会いがあった。まずは散歩中の犬2匹と飼い主さん。ずいぶん人なつこい犬で、荒井を見るなり駆け寄ってじゃれついてきた。名前はラブとメグという。飼い主さんにお願いして、写真を撮らせてもらったが、元気がよすぎて、なかなか落ち着いてくれなかった。
 次はパトカーに乗ったお巡りさん。最近事務所荒らしが多いそうで、朝からパトロールとのことだった。ひととおり住所氏名を訊かれた後、話題が旅に及ぶ。職務質問とはいうものの、平和な田舎だから、いたってのどかな世間話である。徒歩で旅をしてるんですよ言ったら、「こういう旅に興味があるんですよー。」と、笑顔で仰っていた。旅ならではの出会いに、笑みがこぼれる。

 午前7時になった頃、国道に戻った。今日はとにかく南に進むのみ。足はまだ痛い。昨日の昼から、ろくに食べていないのも気になる。朝日町に入ったところで自販機を見つけ、甘そうなジュースを選んで飲んだ。
 大江町から白鷹町の中心部荒砥までは、おおむね最上川と併走する。五百川峡谷(いもがわきょうこく)と呼ばれる区間だ。川に沿って広がる果樹林はりんご畑。りんごは朝日町の特産で、特にこのあたりで盛んに栽培されている。なんでも最上川から立ち上る朝もやが、りんごをおいしくするらしい。

 本日最初の目的地は、その名もりんご温泉である。明鏡橋を渡り和合の集落を抜ければほどなくあったような気がしたのだが、それは車で走ったときのこと。実際はずっと先で、和合を出てからもうひと歩き、必要だった。
 りんご温泉は、朝日町自慢の立ち寄り湯である。pH8.6で東北有数のアルカリ泉らしい。湯船には特産りんごの実が浮かび、施設の売りとなっている。中には食べようとする人もいるそうな。国道からすぐ行けるのが、歩き旅にはうれしい。

りんご温泉
りんご温泉。国道そばということは、足に負担をかけずに寄れるという意味でもある。

 りんご温泉を出れば、宮宿はすぐだった。宮宿は朝日町の中心部だ。商店街や役場はもちろん、コンビニもある。見慣れた原色の看板を目にしたときは、心底ほっとした。
 そろそろ昼に近い。ツナサンドにオレンジジュース、それに少々豪華にほうれん草スパゲティも付け、ブランチとしゃれこむ。待ちかねた食事らしい食事だ。思えば丸一日、食べものらしい食べものを食べていなかった。
 コンビニは非常にありがたい。いつ行っても開いているし、ひととおりのものは揃っている。トイレが借りられるのも助かる、どの町にも一軒ぐらいはあって、なにより食べ物や飲み物が買える。野宿旅では駆け込み寺のような存在だ。

上郷ダム遠望

 役場前を直角に曲がる。最上川はここから深い谷となり、断崖をなす。国道は幅を狭め、谷に沿ってうねりつつ、上り下りを繰り返す。民家は途端に数が減り、商店もほとんど姿を消す。こんな道が荒砥に至るまで、十何キロ続く。国道一の難所だ。

 難所は険しかった。慣れない歩きで、足はすっかり痛めつけられ、マメだらけ。少し歩くと悲鳴を上げる。さらに坂道が、想像以上に堪えた。わずかな上り下りにさえ、一喜一憂する。車ならちっとも気にしないのに。
 足取りは重い。頻繁に休みながら、重い足を引きずり、だましだまし歩く。見上げた標識には、上杉神社まで49キロ、とある。
 当然だが徒歩旅とは、己の足で歩く旅である。どこへ行くにも、自分の足で歩かなければいけない。歩きなら思うまま、いろんなところに寄り道できそうだと思っていたがとんでもない。国道を進むだけで精一杯、ちっとも寄り道しようという気にならなかった。足では少しの距離でも大移動だ。実は旅に出る前、いろいろ寄り道するつもりで近隣の名所のチェックリストまで作っていたのだが、結局、役には立たなかった。

白鷹町郡界
五百川峡谷の道。辛抱の時が続く。

 山。川。道。車はセンターラインをはみ出し、荒井を大きく迂回していく。名も知らぬ蔓植物。毛虫。うろつく蟻。気づけば見ているのは、自分の足下ばかりだ。
 思うように距離が稼げない。次のカーブが遠い。緩い勾配を越えるのも一仕事。果たして、歩ききれるのか。ぬーぼうのおばちゃんの言ってたことが、思いだされる。「自分との戦いですね!」 

 「なすて俺は、こんた思いばして、米沢目指してんだ?」

 考える暇はたくさんあるから、いやでも考えざるを得ない。車だったらたかだか2時間。歩きでは、2日経っても、まだ着かない。足は痛む。疲労は溜まる。徒労感に襲われる。ふと道端を見れば、バス停があった。
 ふらふらと時刻表をのぞきこんだ。もやもやしたものが頭をもたげる。すこし頼ってしまおうか。野宿の練習だけなら、バスで少々短縮しても大きな影響はない。だが。迷った。立ち止まった。悩んだ。
 それで自分は満足できるだろうか? 納得できるだろうか? いや。きついからとここで乗ってしまったら、必ず後悔するだろう。あのとき自分はやり遂げなかったと。それでもっと大きな旅に耐えられるだろうか。今、歩いているのは何のため?
 思いだした。これは試練の旅だ。己の力と覚悟を試す旅なのだ。

 歩こう。
 肚は決まった。自ら進まなければどこにも行けないし、どこにもたどり着けない。それが旅だ。

黒滝

 励みになったのは、何気ない人々との出会いだった。歩いていると、様々な人から呼び止められる。トヨタのトラックのお兄さん。新潟から月山に登りに来たというおじさんは、「天気が悪くて登れなかったよ!」と、いい笑顔で話してくれた。米沢から歩いてきたという、旅人二人連れ。軒先でひなたぼっこをしていた、手押し車のおばあちゃん。たいした話もしていないのだが、不思議なことに、誰かと話すだけで、へとへとになっていても、またしばらくは足が軽くなる。人と会って話すだけで、こんなにも元気になれるとは。出会いは力をくれる。

 かくて自らを励ましつつ、励まされつつ、無心に歩き続けた結果、どうにか佐野原を越え、黒滝を過ぎ、夕方、荒砥に着いた。最上川は野に去り、もう国道からは川面が見えない。

 五百川の渓谷は、最上川でも重要な区間なのだそうだ。川の水はこの難所を経ることで、外気に晒され、塵が沈み、また朝日連峰の水と混じり、浄化されるのだという。

 夕食に立ち寄ったそば屋は飲み屋兼業で、すでに常連のおじちゃんらが、一杯やっていた。天そばの夕食後、見当を付けていた野営地、荒砥から近い最上川河川敷に向かう。薄暗くなった中、草藪が退けた平場を探しあて、テントを張る。草地なので、エアマットなしでもふかふかだった。
 場所は県道の荒砥橋と、フラワー長井線最上川鉄橋の間だったが、夜になると川と鳥の音しかしなくなった。目をつぶったら、すぐ眠ってしまった。

前に戻る文頭に戻る目次に戻るトップページに戻る次を読む