神秘のベールに包まれた謎の古代文明”マヤ”。古代マヤ人たちは天体観測をし、複雑な暦をあやつり、また多くの神殿都市を築いたのです。
時、数、宗教、建築・・・ 彼らの文化がどのようにして生まれたのか、そしてなぜ突然滅んだのかも謎であり、今や密林に遺跡が残るだけです。
言い伝えによれば、彼らの祖先は、はるか東方からやって来て、そしてその時神々から与えられた神聖な鍵によって、神々と会うことができたといいます。
太陽の鍵と呼ばれるその鍵の謎を追って、今、ここチチェン・イツァーの遺跡にたどり着きました。今、全ての謎が明かされるのです・・・
〜MSX2版オープニングデモから
「太陽の神殿アステカII」(以下「太陽の神殿」と略)は、日本ファルコムのアドベンチャーゲームです。発売は1986年。前作「アステカ」(1985年)の第2弾という位置づけです。
「異次元からの脱出」「デーモンズリング」等、80年代中頃、日本ファルコムは怪奇的・神秘的な世界観を打ち出したAVGをいくつかリリースしていました。「アステカ」もその一角をなす作品です。中米・パレンケの町を舞台に、アステカ文明の遺跡探検に乗り出すという内容です。
「アステカ」にはシリーズ化の構想があったようで、山下章さんの「AVG&RPG」の記事にて続編が予告されています。そしてそのとおりに現れたのがこの「太陽の神殿」というわけです。
「太陽の神殿」のあらましは、かつてユカタン半島に栄えたマヤ文明の遺跡を舞台に、文明の秘宝・太陽の鍵を探し出すというものです。中米の古代文明を巡るAVGであることは前作と同じですが、その容貌は全く別物に変わっています。
前作「アステカ」は、オーソドックスなコマンド入力式グラフィックアドベンチャーゲームでした。それが「太陽の神殿」では、トップビューのフィールド移動画面とアイコン式のコマンド選択UIが採用されています。グラフィカルかつ、ある種RPGにも似たこのスタイルは、当時のAVGでは画期的なものでした。当時パソコン雑誌に掲載された広告では、ゲーム通として知られた落語家・三遊亭円丈師匠を起用し、「太陽の神殿」はこれからのAVGの姿を予感させるものである、とその斬新さを強調しています。
前作「アステカ」。オーソドックスなコマンド入力式AVG。高速な描画でも話題になった。
数々の新機軸を打ち出しつつも、やはりそこは80年代中盤のAVGです。本作を語る際、ゲームシステムとともに必ず言及されるのは、その難易度の高さです。
本作は幾重にも仕掛けられた罠を知恵を絞ってかいくぐり、最終目的に近づくタイプのゲームです。プレイはストーリーを追うというよりも、手続きのような謎解きの積み重ね。むしろ知恵の輪を外していくパズルのような印象すら受けます。
謎解き自体は極めて理路整然としています。ただし当時のゲームの常で、ヒントはほとんど提示されません。正解を見つけるには洞察力と周到さ、そして飽くなき試行錯誤が必要です。
しかし本作の難易度を飛躍的に上げているのは、ヒントの少なさよりもむしろ、「詰んだ」かどうかが解らない仕様でしょう。
「太陽の神殿」には、容易にクリア不能になる局面が多数存在します。アイテムを使うタイミングを誤るとか、罠を解除する順番を間違える等、一つのミスが命取りとなる場面がそこかしこに潜んでいます。
にもかかわらず多くの場合、そのままゲームを続行できてしまいます。つまり取り返しの付かない状態に陥っても、プレイヤーにそれを知らせることがありません。ですので正解が見えづらく、クリアをより遠いものにしていました。
もっとも、このような突き放した作りは、当時のゲームでは極めてあたりまえのものでした。この「太陽の神殿」も、それに倣っただけとも言えます。
「これからのAVGは、全部こう(アステカII風)なりますね。こうならなきゃ、おかしいですよ。」
三遊亭円丈師匠を起用した当時の日本ファルコム広告。
「太陽の神殿」のゲームシステムは当時十分斬新なものだった。
これまでにないゲームシステムでAVGの未来形を示したものの、本作以降、日本ファルコムからAVGは発売されていません。「太陽の神殿」を最後に、ファルコム製AVGの系譜は途絶えてしまったかのように見えます。
ところが、実はそうでもありません。「太陽の神殿」はその形を変えて、後に続くことになりました。本作最大の影響は、その後日本ファルコムを代表する人気シリーズとなるARPG「イース」の礎を作ったことでしょう。
「太陽の神殿」と「イース」には、数々の重要な共通点があります。トップビューのゲームであること。建物に入ると1枚絵で内部が表示されること。さらにオリジナルのプログラムはどちらも橋本昌哉さんが担当しています。
ご存じ「イースI」。シリーズの礎には「太陽の神殿」がある。
さらに決定的なのは、「太陽の神殿」を発展させる形で「イースI」の製作が始まったことでしょう。
PCエンジン版「イースI・II」のプログラマー・岩崎啓眞さんの同人誌「イース通史」シリーズには、「太陽の神殿」が「イースI」に発展したいきさつが綴られています。それによると、そもそもの始まりは、日本ファルコムのARPG「ロマンシア」に触発され、PC88上でフルカラー高速スクロールを使ったゲームを作りたいと橋本さんが思ったことでした。その企画を通すため、橋本さんが「太陽の神殿」の続編とうそぶいて作り始めたゲームが「イースI」となります。
当時の加藤正幸社長も、ある攻略本のインタビューにて、「太陽の神殿」のシステムを使ったRPGを作ろうとしたのが「イースI」であると語っています。これら証言は、「イースI」が「太陽の神殿」を下敷きにして生まれたことを示しています。
「イースI」の原点には「太陽の神殿」があります。それはゲームのスタイルのみならず、いわゆる「世界観」や謎解き重視の作りにも影響を及ぼしたようにおもわれます。
「イースI」はその神秘的な世界観で好評を博しましたが、その上流にはアステカシリーズや、さらにその先駆けとなった怪奇AVGの存在がありました。ですのでイースシリーズは、日本ファルコム製AVGの後継者であり、その橋渡し役となったのが「太陽の神殿」である、とも言えるかもしれません。