大魔法使いへの道〜「ボルフェスと5人の悪魔」 for MSX攻略情報

「ボルフェスと5人の悪魔」タイトル画面 青テレポーの島 ダンジョン降下中
ディギン対オタキュラー 北の国 「ボルフェスと5人の悪魔」ゲームオーバー

悪魔を引きつれ大・冒・険〜ストーリー

 ボルフェスは、どこにでもいる元気な子供でしたが、ある日ひとりの魔法使いに声をかけられました。「おまえには、100年にひとりという大魔法使いになれる素質があるぞ!」 そんなことばにつられて、ボルフェスは魔法使いの弟子になりました。
 しかし、毎日の仕事はまるで使用人のようで、魔法の修行なんてこれっぽっちもありませんでした。それでも3年もたつうちに、ボルフェスはやっと魔法使いの卵と言えるくらいには成長していました。
 そんなある日、師匠がボルフェスを呼んでこう言いました。「ボルフェスや、わしの代わりに北に住んでいる大魔神ナイキン・ナイキスをこらしめてきてくれんか?」 そう言いながら師匠は、魔法の杖と悪魔を呼び出す呪文をボルフェスに渡しました。
 「えーっ!ぼくが行くんですかぁ?」 いやがるボルフェスに、師匠はこう言いました。「なあに、悪魔の入ったツボをみつけて、この呪文で呼び出せば、みんなお前を助けてくれるはずじゃ。それに、ちゃんと帰って来たら、おまえに魔法使いの免許をやろうと思っとる。」
 それを聞いて、やっとボルフェスは行く気持ちになりました。助けてくれる4人の悪魔のツボを捜しながら、最強の悪魔、大魔神ナイキン・ナイキスがいる、北の国への冒険の始まりです。


「ボルフェスと5人の悪魔」とは

「ボルフェスと5人の悪魔」パッケージ

 MSXユーザーのみなさんに、うれしいお知らせ。クリスタルソフトがこれまで持っていた、RPGのノウハウを生かして、ちょっと変わったアクションゲームができました。なんと主人公は魔法使い。1メガROMの中に仕組まれた謎とストーリーを楽しんでください。もちろんRAM-8KB以上のMSXでもMSX2でも遊べます。お楽しみに!

当時の雑誌広告より

 80年代は和製CRPG華やかなりし時代でした。様々なソフトハウスが様々なCRPGを作っていましたが、「ハイドライド」のT&Eソフトや「ドラゴンスレイヤー」の日本ファルコムは言うに及ばず、それらと並んでひときわ個性的なCRPGを作ることで知られたソフトハウスがありました。大阪のクリスタルソフトです。
 クリスタルソフトは80年代に活動したソフトハウスです。和製CRPG草創期に「リザード」「夢幻の心臓」「ファンタジアン」といった作品をたてつづけに発表し、一躍その名を知らしめました。本格的でありながら独特な雰囲気を放つその作品群は当時のパソコンゲーマーに好評を博し、和製CRPGの雄として知られる存在となっていました。
 しかしそのソフトは飽くまでNECや富士通といった「御三家」ハード中心の展開だったため、MSXユーザーには今ひとつなじみがありませんでした。そのクリスタルソフトが満を持してMSX界に送り込んだ参入第一弾(注1)RPG、それが「ボルフェスと5人の悪魔」(以下「ボルフェス」と略)です。

「ボルフェスと5人の悪魔」メインスタッフ
「ボルフェス」の生みの親たち。左よりゲームデザインおよびプログラム担当富一成氏、
音楽&サウンド担当藤岡千尋氏、グラフィック担当竹元ともこ氏

 「ボルフェス」は1987年夏に発売されたMSX用ARPGです。プログラムは富一成氏。「夢幻の心臓」の作者として、「ドラスレ」の木屋善夫氏、「ハイドライド」の内藤時浩氏らと並び称されたスタープログラマーです。「夢幻の心臓」は、PC-8801の性能を活かしたグラフィックが売りでしたが、本作「ボルフェス」では、MSXの性能を活かしたゲーム内容を大きな売りとしています。
 本作ではとにかくよく動く敵味方のキャラクター、スムーズかつトリッキーな挙動で魅せるデカキャラ、簡単操作で多彩なアクションを小気味よく繰り出せる戦闘システム等々、スプライト機能を活用したゲームデザインが目を惹きます。広大なマップと豊富なキャラクターデータを詰め込んだメガロムならではのボリュームとスケール、ロードとは無縁の快適動作、スピーディな画面スクロールも、MSXならではの強みでしょう。
 以前、制作者富氏とおぼしき人物が、MSXソフトウェア検索サイト「Tagoo」にて、制作秘話を披露したことがありました。それによれば同氏がMSXに制作環境を変えた際、そのVDPやPSG等の挙動の速さに感動したそうで、キャラクターが凝った動きをするのは、何かと制約の多かった88時代への「復讐」だったのかもしれないと語っています。
 藤岡千尋氏によるPSGを使いこなしたBGMも、名曲揃いと評判が高いです。BGMには16Kバイトの容量が割かれており、演奏用に6種類のプリセット音色を備え、1/60秒単位で音程や音量を操作できる、特製のサウンドドライバーも開発されています。
 「ボルフェス」が発売された1987年は名作の当たり年でした。特に夏にかけては日本ファルコムの「イース」やコナミの「メタルギア」等の歴史的名作が発売されましたが、「ボルフェス」の完成度は、それら作品に決して引けを取りません。その隙のない作り込みは、さすがゲーム通を唸らせるクリスタルソフト。事実「ボルフェス」は、当時のパソコン雑誌やプレイヤーから、高く評価されたのでした。

「イースI」タイトル画面 「メタルギア」伝説の傭兵段ボールと邂逅するの図
同期の歴史的名作「イース」と「メタルギア」。
知名度でこそ及ばないが、「ボルフェス」の出来は両作に勝るとも劣らない。

 「ボルフェス」はクリスタルソフト渾身の一本と言える作品です。しかしその出来の良さに比してそれほど有名にはならず、大ヒットもしませんでした。当時の主だったパソコンゲーム雑誌の人気ゲームランキングを見ても、「ボルフェス」の名はありません。MSX専門誌のランキングの目立たないところに、わずかにその名が現れただけです。
 Tagooの制作秘話では、これに関する興味深い話も語られています。曰く、ROMカートリッジメディアゆえ、出荷本数を読み切れなかったのだと。
 本作は「メガロム」こと128KバイトのROMカートリッジで供給されたのですが、ディスクやテープメディアと比べ、ROMは1本当たりの単価が高く、さらに作るのに手間と時間もかかるため、制作には周到なデバグと生産計画が要求されます。しかしMSX参入第一弾だったためかクリスタルソフトにはそのあたりのノウハウがなかったようで、初期出荷本数を読み違え、追加注文に間に合わなかったのだそうです。
 これから察するに、「ボルフェス」はもともとあまり数が出回らなかったのかもしれません。クリスタルソフトという通好みのソフトハウスの作品だったことを割り引いても、近い時期に発売されたコナミのMSXオリジナル作品「グラディウス2」が相当な知名度を誇り、かつ現在でも比較的入手しやすいのとは対照的です。
 クリスタルソフトはこの失敗に懲りてしまったらしく、せっかく参入したにもかかわらず、「ボルフェス」後、MSXでの開発を一時凍結してしまいます。クリスタルソフトが二本目のMSXソフト「クリムゾンII」を発売したのは、実に「ボルフェス」の2年後、1989年のことでした(注2)。

「魔城伝説IIガリウスの迷宮」意外と弱いガリウス戦 「ドラゴンスレイヤーIV」ドラスレを目の前にする長兄ロイアス
「ガリウス」と「ドラスレIV」。どちらも「ボルフェス」と同期の高難易度ARPG。
1987年はゲームの新旧交代を感じさせる年だった。

 「ボルフェス」は「イース」や「メタルギア」と同期の作品です。「ボルフェス」が手堅く作り込まれた傑作であることは疑う要地が無いのですが、「イース」における「優しさ」や、「メタルギア」のステルスアクションのような、斬新さはありません。むしろ「ボルフェス」はスケールや難解さを売りとするそれまでのゲームの延長線上にありまして、そういう意味ではセンセーショナルさに欠けています。
 この時期の名作に「魔城伝説IIガリウスの迷宮」や「ドラゴンスレイヤーIV」があります。どちらも手がかりもほとんどないまま、広大な迷宮を手探りで探索していくというゲームですが、「ボルフェス」はむしろこれら作品に近いものがあります。こうした作品が「イース」や「メタルギア」と同期であることには、何か相関関係があるように思われます。
 87年はコンピューターゲームの主流が、解けるかどうかを競う「挑戦状」から、誰でも最後まで楽しめることを旨とする「娯楽作品」に入れ替わった、大きな転換点でもありました。そんな年に発売された「ボルフェス」は、ゲームが難しかった時代の最後を彩る作品の一つだったのかもしれません。


脚註

注1・「MSX参入第一弾」:厳密には「ボルフェス」以前にMSX版「リザード」が発売されている。ただしそちらはマイクロキャビンによる移植版。クリスタルソフトブランドで発売された作品としては「ボルフェス」が初となる。

注2・「クリムゾンII」:実はその前にも、同社の作品としては「クリムゾン」のMSX版がROMメディアとして出ている。しかしこちらはクリスタルソフト自社ブランドではなく、スキャップトラストから発売されていた。なお、再開に2年かかったのは、FDDの普及を待っていたとのこと。

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