マイナー作品でありながら、「ハパザード」においては、制作者が公の場で、作品について語ることがありました。公開直後の90年1月にはLINKSでチャット企画「はぱざーど、ヒーラの集い」が開かれ、その場で制作秘話が語られていたようです。チャットで公開するというのはいかにもパソコン通信発らしいですが、残念ながら当時のログは現在残っていないようで、どのようなことが明かされていたかは不明です。
それ以外の文字になったものとしては、LINKS会報誌「CHANNEL ZERO」に掲載されたプログラマー・ふりこ氏へのインタビューがあります。内容は制作者が創作について思うところを冗談交じりに述べたもの。制作裏話とはまた異なるものですが、「ハパザード」を生み出した思想を垣間見ることができる内容です。ここではそのふりこ氏インタビューを紹介いたします。
(以下「CHANNEL ZERO」1990年8月号より転載)
「信じるものは騙されます……」
今回は、常に重厚な瞳で未来を見つめつつ、
実は今日のことしか考えていない、
THE LINKSの怪プログラマー、
ふりこ氏による、B級ソフトのお話です。
今回はハパザードシリーズのプログラマーであり、『ハパザード3・レモン篇』のゲームデザイナーでもある、B級ソフトの権威、ふりこ氏(ID-0001602)に、B級ソフトの魅力とその展望を、あますところなく語ってもらいました。
―そもそもB級ソフトの魅力とはなんでしょう?
ふりこ ふっ、映画であれなんであれ、B級ソフトの魅力などというものは、本来追求すべきじゃないね。ただ、ここでとりあげたいパソコンのB級ソフトというのは、映画なんかでいういわゆるB級とは、ちょっと違うものなんだ。
―自分で作るソフト、ホビーとしてのゲームプログラムのことですね。
ふりこ ふっ、まさにその通り。それはたとえば、映画なんかでいうところの8ミリの自主制作などとは、だいぶ意味が異なるんだ。つまり、映画やヴィデオのユーザーであるということは、単なる受け手であればいいのだが、パソコンのユーザーというのは違う。もっとクリエイティブにならなければいけないと思うんだ。
―ファミコンに代表されるゲーム専用機が現在の家庭用コンピュータの主流ですが、それは間違いだということですか?
ふりこ ふっ、決してそんなことはない。それは、ヴィデオで映画をみるのと同じことなんだ。ユーザー自らソフトをつくることが非常に困難だからね。だが、MSXは違う。他にはないクリエイティブな環境がある。MファンやMマガなどの投稿プログラムには、大作にはない驚きや唸りがある。パソコンがあり、クリエイティブな環境があるのは、とても幸せなことなんだ。
―はあ…。
ふりこ ふっ、MSXを持っている人は、パッケージソフトばかりではなく、創作の楽しさに、ぜひとも挑戦してほしいですね。ハッハッハ。
―ところで、ディスクステーション8月号に載った『ハパザード3』について、コメントをお願いします。
ふりこ ふっ、マニアからヲタクまで、はばひろく楽しんでほしいですね。
―…はいはい。で、では最後に、THE LINKSのユーザーのみなさんになにかメッセージを。
ふりこ ふっ、ハパザード4のアイデア、リクエストなどがあれば、ぜひ僕あてに送ってきてほしいな。それから、今後はテーブルトークの手法を使ったネットワークゲームをやりたいね。
―どうもありがとうございました。
●1968年3月31日 帝都に降臨。
「家は明治時代から代々続いたゲームプログラマーの家系である」と本人は語る。(そんなわけねーだろ!)
「祖父がプログラムに使っていた」と、あくまで本人が言い張る、当時のMSX。まだキーボードがそろばんだったことがわかる、資料的価値の高い(?)貴重な一枚。
●1984年
某ファミコンソフトメーカーに就職し、セイント○矢シリーズのグラフィックなどを手掛ける。「ふふ、これは子供達に夢を与える仕事なのさ」と、調子よく4年ほど勤めていたが、友人の女の子が、彼が描いたゲーム画面を見て、「キャー、キグナスさまあ!」などと黄色い声を上げているのを知り、ショックを受けて退社。
●1989年
大いなる宇宙意識の気まぐれに導かれ、THE LINKSに入社。グラフィックデザイナーのぴの君と意気投合のすえ、ゲームソフト『ハパザード』を、企画書も提出せずに勝手に制作、現在に至る。
●1990年
敬愛するふくやまけいこ大先生の第1回映像化作品をみるためだけに、レーザーディスクを購入。
バム熱島を舞台に繰り広げられる、パロディRPGの決定版! 行方不明の父はいずこに。
地球の危機を救うため、防衛軍は最終兵器使用を決断する……。AVG形式の爆笑宇宙絵巻。
THE LINKS入会案内ソフトと銘打った学園ギャグ篇。ディスクステーション8月号に入ってます。