痛快!! 幽霊君〜「幽霊君」 for MSX2 攻略情報

「幽霊君」タイトル画面 三途の川渡河中 やられて木っ端微塵

背すじがゾクッとするほど熱くなれます。〜イントロダクション

 ある時突然「幽霊」になってしまった「幽霊君」は大あわて。以前の記憶もすっかりないからさあ大変。そこへ現れた「おちょコ玉」という「魂」が、「地獄に仲間が捕らわれているんです。助けてください。」なんて言うもんだから、話がますますややこしくなってきた。自分のことだけで手いっぱいなのに……。でもなにかありそう、閻魔大王に会えばなにかわかるかもしれない。そう思った「幽霊君」は「おちょコ玉」をお供に地獄へ……。


「幽霊君」とは

 1985年に登場したMSX2は、MSXの上位規格であり、グラフィック機能が格段に強化されていました。新たに追加されたビットマップグラフィックモードと、垂直方向ハードウェアスムーズスクロール機能はMSX2の売りとなりましたが、それは同時に大きな問題点を抱えるものでもありました。処理速度の遅さです。当時としてはリッチな映像表現ができるハードでありながら、その能力を活かすには相応のノウハウが必要だったため、プログラマー泣かせのマシンでもあったようです。

 「幽霊君」は、1989年4月、システムサコムより発売されたMSX2用アクションゲームです。媒体は2メガロム。88年当時、システムサコムでは新入社員を中心とする企画が3本同時進行しており、そのひとつとして制作されていたようです(ちなみに残る2本は「ヴァルナ」と「プロヴィデンス」)。
 主要スタッフは企画およびグラフィック&デザインの牧野紀夫さん、プログラマー酒井潔さん、音楽担当・斎藤学さんの三名。牧野さんは本作がゲームデザイナーとしての初仕事。後にはPCエンジンの「エルディス」「電脳都市OEDO808」等々、通好みの作品でその名を見かけます。酒井さんはX1用ARPG「ユーフォリー」でデビューした腕利きプログラマー。X1でマシン語モニタに16進数を直接入力してプログラミングしていたという伝説が冗談交じりに語られています。「埼玉のベートーヴェン・マサ斎藤」こと斎藤さんは若くしてシステムサコムにこの人ありと謳われた名ゲーム音楽家です。「38万キロの虚空」では、和製ゲーム史上初となるMIDI音源によるBGMを手掛けました。いずれも当時20歳前後という非常に若いながらも、才気あふれるメンバーにより、「幽霊君」は生み出されています。

「幽霊君」制作スタッフ
「幽霊君」主要制作スタッフ。斎藤学さん(左)・酒井潔さん(中央後ろ)・牧野紀夫さん(右)
この頃斎藤さんは19歳で、牧野さんは20歳。当時システムサコムには若い才能が集結していた。
いちばん前にいるのは同社の営業・田中さん。

 形式はサイドビューアクションゲームです。主人公・幽霊君をあやつり、閻魔大王に会うため、魑魅魍魎が待ち受ける地獄を旅していきます。型にはまりつつあった当時のアクションゲームへの「反感」があったと制作者が語るとおり、「バックアタック」と「おちょコ玉」ふた通りのユニークな攻撃アクションが、本作を個性的かつ独特なものにしています。
 この手のサイドビューアクションにしては珍しく、本作は横スクロールしません。各ステージは20の場面から構成され、次の場面に移るごとに画面が切り替わって表示されます。「スーパーマリオブラザーズ」や「バルーントリップ」のようなものを期待すると面食らうかもしれません。
 横スクロールはなし。ド派手なグラフィックやエフェクトの類いもなく、超巨大キャラが多数登場するでもなし。一見のインパクトに乏しく、外見が地味であることは否めません。しかしそこだけに注目して、本作が駄作であると評するのは早計です。
 よいゲームの多くがそうであるように、本作は非常に作りが良いです。コミカルなキャラクターの数々、描き込まれたグラフィック、PSGを駆使したBGMに効果音、様々な攻略が可能なレベルデザイン、ハードながら理不尽さのない難易度、良好な操作性に動作速度等々、細部に至るまで作りこみの丁寧さが際立ちます。中でも制作者も「MSX2の中でもピカイチ」と自賛するバラエティ豊かで細かなアクションのできばえは、そのことばに偽りなし。本作の品質と完成度はMSX2用ゲーム屈指のもので、プレイヤーは遊びこむほど、その出来のよさにうならされることでしょう。

 MSX2というハードは強力なグラフィック機能を備える一方、満足のいくスピードを得るには相当の工夫が必要なものでした。売りであるハードウェアスクロール機能も、横方向には使えません。グラフィック機能とスピードの両立はMSX2プログラミングの一大テーマであり、様々なプログラマーが様々な方法でこの問題に挑みました。
 「幽霊君」の場合、横スクロールを捨てることでコンピューターにかかる負担を大幅に下げ、その分を他の要素に回せたことが、高い完成度につながっているように思われます。いわば「幽霊君」は、MSX2の限界を見極め、その性能を存分に引き出した作品なのです。

「幽霊君」雑誌広告・Mファン89年3月号掲載
「幽霊君」雑誌広告(MSXファン89年3月号掲載)。発売直前ではあったが、発売日は「近日発売」のまま。
ROM不足で発売がずいぶん遅れ、システムサコム自らが「幻のソフト」と自虐することもあった。
「本年度」の文句にシステムサコムの無念さが見える。

 当時のパソコン雑誌によれば、本作は何度か発売が延期されています。当初は1988年の年末頃に発売される予定でしたが、予定は遅れに遅れ、翌年4月にまでずれ込んでいます。制作者のひとり・牧野さんは取説で、88年9月末にマスターアップしたものの、ROMがなかなか確保できず、発売が延び延びになってしまったと語っています(当時のメガロムの慢性的不足は、同社の「ソフトでハードな物語II」でもネタにされていたようです)。
 そのせいか、本作はあまり数が出回らなかったようです。MSX界隈におけるシステムサコムのブランド力の低さも災いしたかもしれませんし、見た目の地味さや雑誌での露出の少なさも影響したかもしれません。後にブラザーのソフトウェア自動販売機・TAKERUでディスク版としても販売されましたが、本作は大ヒットしたわけでもなく、基本的には知る人ぞ知るマイナーなアクションゲーム、という地位に甘んじています。しかしその完成度はこれまでに述べたとおり。隠れた秀作として、ゲーム好きの間で高い評価を得ています。

「スペースマンボウ」6面から 「サイコワールド」3面から
ごぞんじ「スペースマンボウ」と密かに評価の高い「サイコワールド」。
当時のMSX界は全盛期の勢いを失いつつあったが、どちらもそんな時期に現れた名作だ。

 本作が登場した1989年は、MSX界の転機でありました。業界のスタンダードはすでにディスク装置付きのMSX2に置き換わり、前年には上位規格のMSX2+が発売されたものの、リリースされるソフト数は大きく減り、告知されても開発中止になるタイトルが増えてきました。
 89年とはMSX界が衰退を見せ始めた年です。一方でこの頃には、ノウハウを貯えたソフトハウスによる、ハード性能を活かした名作がいくつも現れています。T&Eソフトの「アンデッドライン」、コンパイルの「アレスタ2」、コナミの「スペースマンボウ」等が同年の代表的作品です。また、前年末に発売されたMSX2用アクションゲームの銘品・ヘルツの「サイコワールド」は、実質「幽霊君」と同期にあたります。
 「サイコワールド」は卓越したスムーズ横スクロールを実現し、MSX2の限界に挑んだ作品でした。一方横スクロールを捨て、多彩なキャラとアクションにこだわった「幽霊君」は、MSX2の得意分野を活かした作品であると言え、見事な好対照をなしています。
 「幽霊君」もまた、MSX衰退直前の円熟期に現れた、ハード性能を活かした名作の一つと呼べるでしょう。

「海腹川背」フィールド10から
ディープなファンが多い「海腹川背」。ラバーリングアクションでフィールド攻略を目指す。
個性的なアクションが売りであることは「幽霊君」に通じるものがある。

 ところでプログラマー酒井さんは後にシステムサコムを離れ、様々な作品に携わった末、傑作アクションゲーム「海腹川背」を創りあげます。内容こそ相当に異なれど、どちらも玄人好みの個性的なアクションゲームであることは共通しており、そういう意味で「幽霊君」は、「海腹川背」の源流であるのかもしれません。

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